ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

9歳のヴァイオリン演奏

お気づきの方もいらっしゃるかと思いますが、長らく開店休業中だった英語版ブログ(http://pub.ne.jp/itunalily)を、おとといと昨日、アップしました。
2010年6月21日付の上から4番目の映像は、是非見たいと思って、もう何年も前から探していたものです。普段、テレビをほとんど見ない生活をしているために、当時、BS2で庄司紗矢香さんの特集番組を放映していたとは、話には聞いていたものの、すっかり見逃していました。特に、彼女自身のインタビューで「私の9歳頃の演奏をお聴きになると、また印象が一変すると思うんですが....」と18歳ぐらいの時に語っているのを読んで(http://www.toshima.ne.jp/~menuhin/Sayaka.html)、(これはただ者じゃないなぁ。そこまで自己観察がはっきりできて、人生で成し遂げたいことが計画的にわかっているなんて)と驚き、それならば、その「9歳頃の演奏」なるものを見てみたいと願っていました。
数日前に、たまたまグーグル・アラートが探し出してメールで教えてくれたものをクリックしてみたら、そこに上記の映像が含まれていたというわけです。うれしくて、ご参考までに、関連する映像を何本かまとめてご紹介しました。また、翌日には、彼女が尊敬しているという夭折の女流ヴァイオリニストであるジネット・ヌヴー(1919-1949)から、私が印象的だと思った映像を数本アップさせていただきました。

さて、その「9歳頃の演奏」ですが、いやぁ、びっくりしました。1992年の発表会で、ヴィエニヤフスキーのヴァイオリン協奏曲第2番を、ピアノの伴奏で演奏していたのです。体はとても小さいのに、表情も表現力も、大人顔負け。最初は高音部にミスがあるものの、顔色一つ変えずに弓を動かし続け、二度目の繰り返しでは、しっかりと指を伸ばして高音をキャッチ。実に伸び伸びとして、呼吸はもちろんのこと、眉毛ひとつの動きまで音楽そのもので、(これは、少なくとも日本の先生が教えたことを素直に真似しているだけの演奏じゃないなあ)とわかりました。以前、別のインタビュー記事で、「レッスンでは、先生の言われた通りに奏かないといけないから、つまらないなあと思って...」「演奏会の時には、内側から湧いてくるものがあって、舞台では自分の思うように演奏してみようと思いっ切りやってみたら、後で先生に『あなた、どうしちゃったの?』と驚かれた...」などと読んだことを思い出して、まさに納得。

パガニーニ国際コンクール優勝記念として、銀座で開かれた、まだ裾の短めの赤いドレス姿の演奏会も、上記のブログに掲載しておきました。その中には、舞台裏で、故小渕首相がにこやかに紗矢香さんに話しかけている映像が入っていますが、昨今の政治動向を思えば、何だか実になつかしいというのか...。いかにも日本の典型的なお父さんって感じだった小渕氏、そういう一面もおありだったのですねって。もっとも、紗矢香嬢の方は、突然の一国の長たる政治家のご登場に、困ったような当惑した表情を見せていましたが。

最近はやや変わってきましたが、10代の頃のインタビューでは、話し方が落ち着いていて、いわゆる若者言葉などが全く入らずに、静かで内向的で端正かつ知的な感じがするのですが、ヴァイオリンを持つやいなや、何かに取り憑かれたような、人が変わったような没頭そのものの演奏は、まさに天性の賜物だという印象を与えます。また、受賞当時は気がつきませんでしたが、今聞けば、確かにどこか、少々荒っぽさが残る音色です。ただ、本人の熱意と並々ならぬ努力、そして、周囲の見抜いて育くむ環境によって、原石が確実に磨かれて、年ごとにますます光り輝いているともわかります。
彼女の演奏会には、もう6回行きました。いずれも、東京公演の前触れとして京都や大阪や西宮などで開催されたもので、コリン・デービス指揮・ロンドン交響楽団シベリウス、アラン・ギルバート指揮・北ドイツ放送交響楽団ブラームス、大阪フィルとのリゲティなど、その後、テレビで放映されて有名になった演奏会も含まれています。その他には、いずみホールでのイタマール・ゴランとのブロッホなども強烈な印象でした。あの時聴いたブロッホがきっかけとなり、ユダヤ文化やユダヤ教についても、もっと勉強したいなあと思うようになったほど、演奏が魅力的だったのです。

今年はどうも、いろいろな理由で外に出る機会が格段に減り、どこか煮詰まった気分にもなっていたのですが、振り返ってみれば、大変贅沢な時間と機会に恵まれてきたとも言えます。それに、舞台では華やかな演奏家達も、その実、普段は孤独な練習と移動の日々。たった二時間ほどの舞台のために、数時間から一日以上かけて移動し、もっぱら空港とホテルとホールだけの滞在。そして、その何倍もの練習を積み重ねる毎日。楽器のメインテナンスにも消耗する神経。いったん人気が衰え始めたら続けていくのは難しいという薄氷を踏むような人生選択...。
それを思えば、私なんて、なんてお気楽なんだろうとも申し訳なく思います。だからこそ、一期一会だと、一つ一つの演奏会の思い出を大切にしたいのです。