ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

再びエレ―ヌ・グリモー

おととい、昨日と、エレ―ヌ・グリモーのインタビューやピアノ曲、協奏曲などに夢中になっていました。英語版ブログ第二弾(http://pub.ne.jp/itunalily/)に、特に気に入った映像や曲目をアップしておきましたので、ご興味のある方はどうぞご覧ください。私の好みがよく反映されていると思います。
内省的で深い曲と同時に、華やかでスケールの雄大かつ技巧的な曲が好きなんです。その意味で、ラヴェルのピアノ協奏曲は私好みの最たるもの。マルタ・アルゲリッチと比されているようですが、微妙にタッチや曲の解釈の異なる点が、これまた興味深くて、おもしろいと思います。
彼女の自叙伝を読んだ時、ご両親が「学校の教師」とあっさり紹介されていたのに驚きましたが、実は言語学者ユダヤ系との由。生い立ちといい、ご両親の教育的配慮といい、その人生哲学といい、(いかにもいかにも)と思い、ますます目の離せない現代ピアニストの一人です(参照:2008年5月30日・5月31日・6月8日・6月29日・7月1日・7月18日・8月4日・2009年1月20日・3月21日・5月4日・6月28日・7月1日付「ユーリの部屋」)。

http://www.asahi.com/showbiz/music/TKY201102090254.html
心開き鍵盤に向かう エレーヌ・グリモー「レゾナンス」
2011年2月9日16時4分


フランスのピアニスト、エレーヌ・グリモーが「レゾナンス(共鳴)」と題したCDをリリースした。「いつも心の中のドアを開けた状態にし、本能を研ぎ澄ませて楽曲に向き合ってきた」と語る。
 「妖精」とたとえられる愛くるしさはデビュー当時から変わらないが、音楽の説得力は、内面の深化を物語る。
 先月、日本で5年ぶりのリサイタルを開いた。プログラムはCDと同じ。旧ハプスブルク帝国の作曲家による四つの楽曲に、タイトル通り、互いに響き合うものを見いだしたという。モーツァルトは激情的に、ベルクは色彩豊かに、リストは繊細に、バルトークは軽快で無邪気にと、いずれの作曲家からも、これまでの一般的な印象とは異なる表情を引き出した。
 「時代も個性も全く異なるのに、弾いているうちに、曲同士がおのずと反応しあうんです。とてもミステリアス。曲の方が、私の方を選んでいるようにすら思えてきた」
 ピアノを始めたのは8歳。その後パリ国立音楽院に最年少入学、15歳で最初の演奏ツアーを行う。「鍵盤に触れるのが遅かったのはラッキーだった。自分が何者で、どういう音楽が好きで、何がしたいのかが分かった上で音楽に向き合えたから。それらが有機的に混ざり合いながら成長することができたのだと思う」。周囲もそのゆるやかな歩みを焦らず見守った。11歳でベルクに目覚めるなど、レパートリーも自分の感性の赴くままに蓄積していった。
 「自らの信念には頑固」という。その性分は音楽以外にも及ぶ。米国にオオカミ保護のセンターを設立し、野生のオオカミと一緒に「生活」したことも。「現在の地球に生きている以上、自然や環境に無関心でいてはいけない。芸術活動とは、今も昔も変わらず自然の美や価値を見いだしていくことだと思うから」
 その頑固さは一方で、世の中を素直に受け入れるしなやかさにも通じる。「人間の感性を育てる細胞や繊維のようなものって、結局寄り道から生まれると思うんです。偶然の出会いが自分を導いてくれる。すべての出会いに心を開き、感覚を研ぎ澄ませたい」
 例えば10年ほど前に来日した時、たまたまポリーニショパンのリサイタルをやっていた。聴きにいって、「私もショパンをやらないと」と心に火がつき、次のプロジェクトが生まれた経験もある。

 「柔軟で弾力性のある人間であれば、常に幸せでいられる。闘うことは無意味です」(吉田純子

http://www.japanarts.co.jp/html/2011/piano/grimaud/

心身が解放され、いまや自由に自己を表現できるようになったグリモー。
成熟した演奏はピアノ好きの心をつかんで離さない


  1987年夏、妖精のような容姿をした17歳のエレーヌ・グリモーがテレビCM撮影のために初来日を果たした。この時は記者会見の席上でリストの「ダンテを読んで」、ショパンの「バラード第1番」、ラフマニノフの「音の絵」を演奏したが、その細くしなやかな指先からは雄弁な音楽が紡ぎ出された。彼女は当時から選曲に強いこだわりを見せ、ひとつのプログラムに統一性を持たせていた。
  あれから23年、いまや世界の舞台で活躍する国際的なピアニストに成長。コンサートや録音のプログラムもさらなる進化と深化を見せ、テーマに基づいて選曲を行っている。
私は昔から好きな作品しか弾きません。自分の感性に合う作品を選び、その世界にのめり込んでいく。作曲家の心の葛藤に完璧なる共感を得るまで自己に過酷なまでの練習を課す。その行為が私を奮い立たせるのです」
  子ども時代のグリモーは学校に行きたがらず、友達がひとりもできず、両親が途方に暮れるほどの問題児だった。やがてひきこもり、自傷癖を持つようになる。だが、7歳のある日、ピアノに開眼し、運命が劇的に変わる。初めて触れた鍵盤の感触に魅せられ、練習しても終りのない、決して完成されることのない芸術の奥深さにほれ込み、もてあましていた全エネルギーをピアノにぶつけるようになる。以後、一気に才能が開花、天才少女と呼ばれるようになった。しかし、孤独な生活は変わらず、ピアノが唯一の心の友だった。
  グリモーの演奏が大きな変貌を遂げたのは、90年代の終わりにアメリカに居を移してから。ふとしたことから1匹の野生狼と心が通じ合った彼女は極貧の生活を続けながらお金を貯め、ニューヨークの北に土地を購入して野生動物保護センターを開設。いまでは心に障害を持つ多くの子どもたちがここを訪れる。
  夜、動物たちが寝静まった後、グリモーはピアノに向かい、静謐な空気のなかで自由に音楽と対峙し、心を開放させる。そして「いまはやるべきこと、挑戦したいこと、夢や希望がいっぱい胸に詰まっていて、爆発しそうなのよ」と笑いながら語るようになった。
  グリモーの演奏は作品の内奥に迫る洞察力に富み、哲学的な面をも見せ、しかも内面的な情熱がマグマのようにふつふつと燃えたぎっている特有の音世界。今回のプログラムではオーストリア・ハンガリー帝国の栄光と滅亡の歴史に目を向け、その時代精神を映し出し、民俗舞曲の要素を取り入れた作品に音楽的意義を見出している。そうした演奏は聴き手の心の奥にじっくりと語りかけてくるもの。彼女の真意をつかみ、演奏と一体化するためには、聴き手もある種の勉強が必要かもしれない。エレーヌ・グリモーとは、そうした知識欲をかきたてるピアニストである。
音楽ジャーナリスト 伊熊よし子

PS:こんなサイトもありました。(http://ja-pianist.seesaa.net/category/8952486-1.html