ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

シンポ・鳩山会館・谷中霊園 (3)

こういう調べ物は、全く趣味の範疇ではありますが、さまざまな面で何かと役に立つこともまた確かです。例えば、現政権の動向およびその背景を知る上でも、一つとっかかりがなければ、ただ与えられる情報に対して、そのまま子どものように反応するだけに終わってしまうでしょう。
ただ、私の関心事の重点は、東京ではなく、岡山のルーツにあります。もちろん、今後の調べ物は、当然のことながら、岡山県真庭市の勝山藩史に及ばなければなりません。こういう資料が、おじいちゃんの家にあったのを、確かに私は見ているのですが、家主なき跡となっては、それもどのように処理されたのか、判明しがたいところです。国文学科出身ゆえ、このような古くて重厚な文献を見るのに慣れている割には、どうも環境に恵まれず、何かと遠回りしています。
しかしながら、この度、昨日挙げた小さな資料リストで判明したには、犬養道子氏のお祖父様やお父様、そしてお母様も、鳩山一郎氏や薫子さんと昵懇であったらしいことです。また、緒方貞子先生の祖父母に相当する芳沢謙吉外相とその妻操氏は、ご主人のお父様の竹虎氏と併せて、鳩山家と関係が深かったとの由。岡山系譜といい、私の学生時代からの読書歴といい、犬養道子氏や緒方貞子先生や鳩山由紀夫氏と実際にお目にかかった経験といい(参照:2007年11月7日・2007年12月11日付「ユーリの部屋」)、何かと相互に関連があって意義深く思われます。
というわけで、単なる暇つぶしではなく、これから本腰を入れて、ということです。私なりに注目しているのは、書き残されたものからうかがえる、「排除」の観点です。例えば、薫子さんにしても、直系は有名でどの系図にも出てきますが、傍系、つまり横の関係は消されています。だから、夫の母方の祖母の「何かの何か」という関係であっても、第三者にはわからなくなっているのです。ご本人がどう考えていらしたかも、この点、不明なままです。では、薫子さんの姉妹や薫子さんのお父様のごきょうだいの縁戚関係というのは、どうなったのでしょうか。恐らくは、その辺りが私の知りたいことを解き明かしてくれるように思うのですが。

さて、前置きはこれぐらいにして、3月17日、約1週間前の赤坂でのシンポジウムの話に戻ります。鉛筆で走り書きしたメモに沿って、要点を書き記します。
10時5分から「10分間のご挨拶」と予定されていた鳩山由紀夫総理のお話は、私の時計では10時11分にご入場になられ、パネリスト一人一人に丁寧にお辞儀された後、始まりました。大型パネルが左右に一台ずつあり、そちらでもお顔を拝見することができましたが、画像が暗いので、どうしても壇上のご本人を直接見上げることになります。正面の向かって左側には、SPが4人、右側には2人ほど、警護体制がっちりの中で始まりました。。
ご挨拶というよりも、一種のスピーチのようで、メモはお持ちのようでしたが、作られた原稿を読み上げるようなこともせず、手振りを交えて、会場を左右広くバランスよく見渡しながらの、落ち着いた「演説」でした。国会の「政治とカネ」問題で、壊れたレコードのような答弁を繰り返す姿を何度も放映したりするのではなく、また、些細な点で「ぶれた」とか「ぶれない」とか、うるさい姑や小姑のような揚げ足取り報道を日々掲載するのではなく、こういう自己の信念や考えを熱心に示そうとする総理の姿勢を、マスコミがもっと放映したらいいのに、とも思います。その内容の是非を通して、そこから議論を活発にすべきではないでしょうか。10時半のご退場まで19分に及ぶ「ご面会」でしたが、お茶の間テレビに浸っているようなタイプの一般人にとっては、いささか印象が変わること、間違いなしです。
いわゆる「コクモンケン」、つまり日本国際問題研究所の研究成果がアジア随一の高い評価を受けていることを褒められた上で、「おととい(ユーリ注:実際には「昨日(3月16日)」)、東チモールの大統領と面会し、オバマ大統領というヴィジョンをもつ大統領がアメリカで生まれ、日本でもようやくヴィジョンをもった政権が生まれた、という話が出ました」と披露。「日本では、ヴィジョンというものをメディアは評価しないが、ヴィジョンなき政治が日本を危険にさらしてしているのではないか」との持論を提示。
国内政治に関しては、「これまでは国がトップで地方が下位に置かれていたが、そのことがこの国を危うくした」ために、「国と地方を同格にする」意図を明示。そして、「政府とNPOを同格にして、社会を変えていきたい」。内政に関しては「新しい公共」を挙げ、「旧政権とは大きく違う点」として、「東アジア共同体を積極的に構築する」とのこと。ただし、ことばで言うのは簡単だが、実際にはたやすくなく、「現実のスピード感の中で構想を持つ」姿勢が重要である、と。また、「役所との軋轢が一つの障害になっている」と指摘。「日本をアジアの一国として世界に開くということ、その構築をめざすシンポジウムとして、ご提言を政府にも指南して」ほしい、との由。そして、「今日一日、新たな日本づくり」の意欲を示していただきたい、との奨励。
日米安保については、「アジアの国々も安心」して「経済発展」ができた経緯から、「安心協力体制をつくる」意図として「これからも日米同盟を軸として大切にしていきたい」。その上で「長期的ヴィジョンの中で東アジア共同体は柔軟性を持った体制」を望む、との由。そして、「どの国が入り、どの国が入らないか」というような「排他的な考えを捨て去るべき」であり、例えば「ASEAN+3」か「ASEAN+6」か、などというような議論、あるいは、APEC、東アジア首脳会議、中国、韓国、日本が中心だとかいうのではなく、「柔軟性、透明性、開放性を大切にしたアイデア」を出すように、との要望。そして、総理の施政方針演説(2010年1月29日)でも出されたメッセージ「命を大切にしたい」が再現され、「命を結び合わせていきたい」「二度と戦争を起こさない」「国や民族が違っても、一人一人の命が大切だから、結び合っていかなければならない」と強調。
ここで肝要なのは「経済的連携の強化」であり、EPA(Economic Partnership Agreement:経済連携協定)やFTA(Free Trade Agreement:自由貿易協定)については、「あまり考えてこなかったこの国」と批判し、「環境問題をどの地域と協力していくか」「農業に関して国内に懸念あり」と指摘。「インドネシアシンガポールやアジア太平洋の国々」との間で「互いに合意を見出す」方向性を打ち出した上で、その場合、「Win-Winの関係」が大切であり、「あまりにもその国の主権ばかり主張していては、地球をみじめな状態にしていく」。さらに、「コペンハーゲンでの合意は成功しなかったが、その悔しさをバネにメキシコへ」つなげていく、と前向きな姿勢。
ここからは、お祖父様が提唱された鳩山家お得意の「友愛」について。「東アジアを」とつい口走ってから、「失礼、東シナ海を」と言い直されて、「さまざまな火種のある東シナ海を‘友愛の海’にしたい」。かつては対立していた「フランスとドイツ」が、「石炭と鉄鋼」を軸に協力体制に変化し、ひいては「EUが実現」したという事例を引き合いに、「災害対策」として「日本独自の発想」の「友愛ボート」の提案。
「教育問題」に関しては、「日本、中国、韓国の首脳会議で提唱した」点として、「大学における単位の互換性」を提示。これには「スピード感が求められる」として、「同じものを学びながら、歴史を共有」する姿勢が若者のうちに育まれれば、とのこと。
しかし、「日本が遅々として動かない」「鎖国的な意識」が依然として存在する点を非難し、「開かれた国益」を求めて「心の壁を取り除くこと」を要請。その一例として、「フィリピン、タイ、インドネシアから日本のお年寄りのために看護師や介護士が来ている」のに、「日本語の難しさのために資格が取れない」「こんなバカなことが現実に起きている」と強く非難。そして、「堂々と国を開く覚悟」を求め、「日本の国民の心が閉じていては決して成就できない」と叱咤。「新しい政権が起こされた」今、例えば、「厚生労働省文部科学省セクショナリズムを取り除く」努力が求められる、とも付加。
最後に、「お祝いにかえまして、10分間の挨拶ながら、長いお話になりましたことを心からお詫び申し上げる」と同時に、「東アジア共同体」が議論されることは「大きな喜び」であり、「皆様には積極的に、この構想のどこに利点と欠点があるかに関して、大いにご議論していただく場となれば」という、いささか早口の結び。
その後、壇から降りられて、道傳さんを最初として一人一人のパネリストに挨拶と握手。もちろん通訳なしで、そのまま英語で応対。その後、会場の右端からお付きの人々と共に出て行かれましたが、晩年の昭和天皇のような猫背が、やや気になりました。開始時と同様、会場の拍手を求められましたが、9割以上は埋まっていた人数の割には、どこかやはり、今一つ小さい拍手のように聞こえました。恐らくは、このスピーチで述べられた内容は、既に「知る人ぞ知る」ものだったからではないか、とも思います。
それに、終わりの「心からお詫び申し上げる」が何度か繰り返されたために、かえって「ノリの軽さ」を出してしまったようで、それが残念だったと思います。
明日、その後のシンポの様子と「一日鳩ツアー」について書きます。