ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

知を愛する郷土 (1)

母校(学部)を久しぶりに思い出したところで、2003年に大学校史編纂委員会(編)がまとめた回想集『想い出』を本棚から取り出し、再び読み返してみました。入学後25年経った今、諸先生方の深い慈しみと真理愛および先見の明を感じた次第です。
まず、「校歌」の歌詞をご紹介いたしましょう。あえて、作詞者名と作曲者名は伏せさせていただきます。(知る人ぞ知るお方です。)

一、大学は叡智の住みか    をとめわが叡智のすみか
  さんさんと日光注ぎ    ほのぼのと月影にほひ
  瑞陵の丘のあけくれ    澄み徹る叡智のすみか


二、大学は正義の城砦     をとめわが正義のとりで
  ひ弱さをかなぐり捨てて  くれなゐに血潮は燃えて
  大空へ胸を張りつゝ    護りぬく正義のとりで


三、大学は生命の泉      をとめわがいのちの泉
  いにしへのあゆちのほとり 涌くきいでし清水に似たり
  ま玉手の玉手さしのべ   酌まむいざいのちの泉

* 学長の「序文」から抜粋(学長名は伏せさせていただきます)

しかしながら、当時の日本社会の空気についての強い印象がある。1950年6月に開始された朝鮮戦争が国内外に落とした影を負っていたとはいえ、この時代の日本は飛び切り自由であり、途方もなく明るかった。平和国家、そして文化国家として再生するのだということが人々の共通の目標になっていた。本学はまさにこのような空気の中で最初の7年間を送っている。師生ともどもの表情は必ずや希望に満ち溢れていたに違いない。


(中略)しかし敗戦直後の日本社会がもっていた雰囲気はなお存在していたと記憶する。本学には必ずや草創期の余韻が漂っていたことであろう。この時期に本学に入学した先輩たちからうかがったお話には、教員と共同で開かれていた自主的な研究会など、自由に学んだ思い出への言及が数多い。


(略)草創期の本学が今に残したものの中で、手にとることのできる存在が書籍である。そこには現在をなおも照らし出す学問の灯火の軌跡がある。


一例を挙げよう。1990年代の末期に本学に赴任したわれわれ中国学の従事者が感嘆することの一つに、図書館における基準的漢籍と中国学の基礎的研究文献の蓄積がある。(中略)中国学への見識と乏しい研究費を割いてこれだけの書籍を整備する配慮が、40−60年代の文学部国文学科の教員の中に備わっていたと思われる。ここ2年、すなわち2001−2002年の(略)の中で国文学科の学生たちが和刻本の漢籍を読む学力を備えていることをつぶさに知る機会があり、知的関心の継承が今に及ぶことを知った。学際という用語のない時代、本学には境界領域への関心と国際的視野がすでに根を張っていたのである。


(略)高度成長はバブルを生み、誰の目にも異様であった各都市の地上げが廃墟のみを残して終息した。それとともに経済の破綻が随所に現出し、年と共に深刻化している。自由が消滅したのでもなく、暗黒が光を覆ったわけでもない。ただ、人びとが希望を共有することは困難になっていた。全国規模にわたる日本の社会自身に漲る力が、大学という存在をしっかりと支えてくれる時代もすでに過ぎ去っていた。学生の内側から学びへの強い意欲と豊かな人間性を引き出すという大学固有の営みをどのように堅持していくか。(略)


この方向は間違ってはいなかった。教育の成果は歳月が証明する。(略)


本学の現代史に属する1998年以後の4年有余、未曾有の規模で予算・人員の削減が実施され、中央では地方独立行政法人制度の法制化と公立大学法人化の準備が進行している。その中で大学運営それ自体のあり方を私たちは改めて見直さなければならなかった。本学創立以来半世紀余、はじめての経験である。


本学は、1998年の改革に引き続き、この時をはるかに上回る構成員の知恵と力を結集し、将来を展望する新たな構想を打ち立てねばならない。草創期のように日本の社会が本学を自ずと下支えしてくれる条件はもはやない。本学は自ら社会に働きかけ、そのことを通じて社会を変えていくべき時代に際会している。


問題は必ずしも法人化を選択するか、在来の直営形態を維持するかという分岐にあるのではない。一つの組織体としてどのような学生を育てるかという明確な方針をもち、それを踏まえて全学が方向を一つにして進む体制を樹立するか否かにある。草創期の本学教職員は当時の社会の影響の下にこうした体制をいわば即自的に構築していた。繰り返しになるが今は自らの意識的、対自的な努力が必要である。


ここに出版される回想録『(省)』を通じて本学草創期とそれを直接継承した1960年代に至る歩みが諸先輩によって語られる。諸先輩は私の記してきたように、輝かしい同時代の光を存分に吸収し、それに支えられながら進んでいかれたのか。はたまた、それは当時の日本の社会と本学の草創期をめぐる私の幻想に過ぎず、諸先輩は今と同様に、社会が大学を支えきれぬ時代の中で、大学の側から社会に働きかけつつさまざまな困難を切り開いて来られたのか、そのいずれにせよ、諸先輩の軌跡から学ぶものはきわめて多いと予測する。(終)

「『回想録』に寄せて」大学全学同窓会会長(氏名は伏せる)


(略)もちろんこの50余年の間に1960年代の安保問題、高等教育の拡大、1970年前後の大学紛争、その後の大学改革の影響を受けたことは言うまでもありません。優秀な教授陣と学生が上述のような多くの変遷を経て力を培い校風をつくり現在にいたっています

私は、知を愛する郷土、愛知県出身者であることを今ほど誇りに感じることはありません。