ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

女性ならではの視点を活かして

先々週の日曜日のNHKテレビ「ETV特集」では、故須賀敦子さんを偲ぶ追悼番組が放映されていました。めったにテレビを見ない生活ですが、結婚以来の毎週の習慣となった「N響アワー」の後、興味があれば続けて見ることもあります。
そこで関係識者の発言が出てきたのですが、最も私が注目したのは、ドイツ文学者であられる池内紀先生の言葉です。「我々はヨーロッパへ学問を学びに留学したが、須賀さんは、学問だけでなく現地の人々の生活も学んできた」という内容でした。さすがは、東大教授間の政争を嫌って早期退官された池内先生、おっしゃることが一歩踏み込んでいらっしゃいます。
確かに、男性と女性とでは、同じものを見ていても視点や感性が違うのは当たり前です。男性なら、社会的枠組みだとか、国家としての理論形成などを把握しなければ、学問していないと見なされることを恐れてなのか、大きな話がお好きなようですが、女性は手で暮らしを体感するので、こまごました人々との関わりの中から何か特徴をつかみとろうという傾向が生まれるのではないかと思います。
知らずと私も、ずっとそのようにしてきました。それなのに、「枠組みは何ですか!」「マレーシアという国家の中で、そのテーマは一体どういう意味を持つのですか!」と、まなじりつり上げて怒ってきた同世代の男性研究者が、これまでにも数名いました。ご年配の名誉教授方は、さすがにそういうことはおっしゃいません。むしろ、「いやぁ、女性は強い!枠組みなんてありません、と人前で言い切れる、そこが素晴らしい」と褒めてくださいました。こちらは当初、何のことやらさっぱりわからず、ただ目をぱちくり。だって、それ以外に言いようがなかったから、素直にそのまま申し上げただけなのですが。
今回のリサーチの旅で感じたことは、グローバル化の波はもう押し返すことが不可能で、噂も含めて、人や組織の評価が、国境や民族や宗教や言葉の違いを超えて伝わっていく現実でした。それとて、何も恐れることはなく、ただ、自分の能力範囲内で、事実や体験に基づいて、誠実にきちんとやっていさえすれば、所属や肩書きがなくても、人を介して話を通してもらえることもわかりました。
昔、「東南アジアはルーズだから、これでも大丈夫」などという発言を大学で聞いたことがあります。これこそ、相手を知らないことからくる大きな誤解で、たとえ表面的には穴だらけのように見えても、向こうは向こうの論理ないしはやり方で事が運んでいるのです。あの口コミネットワークの威力には、すごいものがあります。
社会階層とは言うものの、どの人達も、それぞれの位置づけの中で、相互に融通し合ってたくましく生き抜いています。判断の物差しとなるのは、理論や机上の議論などではなく、実体験からくる直感のようなものです。日本人のみならず、アジア人は全般に、非常に繊細な感受性があり、一見乱雑そうに思われても、我々の感覚とはまた別の感覚が働いているようで、非常に鋭く人を見ているんだなあ、と感じます。問題は、こういうことを、頭で知ったつもりになっているだけではなく、現実の文脈で自分なりに体得して、適宜実践できるかどうかなのです。単に学歴だとか所属だけでは推し量れない能力が、ここでは求められるかと思います。私が何度もやめたくなったのは、育った環境がまるで違うために、その点で自信がなかったからです。そういうこともわからずに、「じゃ、やめれば?」と安易に「助言」する人にも、ですから腹が立ちました。
シンガポールの「成功」は、諸外国からの批判にもめげず、厳しい法律と徹底した能力主義で国家形成に邁進した、血の滲み出るような努力の賜物でもあります。が、単純に喜べないのは、近隣諸国との関係がいまだ脆さを含んでいることと、危険と隣り合わせの日々である現実を知るからです。まるでガラス張りのショウケースのようにプライバシーがなく、常に観光客や外国人研究者によって街の隅々まで眺められているような、小さな都市国家シンガポール。いつでも「見られている」ことを意識せざるを得ない人々の暮らし。Dが、私の身の安全のみならず、マレーシアで何をしたかをいろいろと知りたがるのは、恐らくは、そういう背景からくるのでしょう。
「その話、私は驚かないよ。シンガポールは少しましだけど、マレー社会は、見かけの発展とは裏腹に、まだ閉ざされた共同体なんだから」とは、帰国経路の途中で、チャンギ空港から無料電話をかけた私に対するDの応答でした。「そうなのよね。本屋さんも、日本のメガ書店並に巨大化したんだけど、質がねぇ。シンガポールでならば、複製版にして国立図書館でオープンにしている本が、クアラルンプールでは、馬鹿みたいな高い値をつけて、ビニール包装して陳列されているの。それって、本の中身の判定ができていないってことじゃない?」と私。「だから、立派な高層ビルなんか建てていないで、もっとお金を国民の教育投資に使うべきだと思うんだよね」。喜んだのはDです。「ね、私達、文化背景は違うけど、その点では考えが一致していると思わない?私もそう思う。マレーシアは、もっと教育にお金を費やすべきだよ。そんな、すぐ紙の詰まる古いコピー機を、いつまでも国立図書館に置いていないでさ」とD。
シンガポールも大変だけど、がんばってね。全体として、シンガポール政府は賢明で敏いと思う。でも、戦略的位置にあるシンガポールの財産は、何よりも人的資源なんだから。効率性とよいサービスとこの地域に関する高度の情報。これが、シンガポールに来る外国人の最も必要としているものなの」。
「うん、ありがと。シンガポールについても、何か気づいたことがあればどんどん提案してね」。
「そうね、じゃ、シンガポールの新聞に投書でもしますか」。
ここで時間がきたので、無料電話は終わり。それにしても、日本に生まれてよかったとつくづく感じました。