ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

私流 旅のスケジュール管理 

正味二週間二カ国のリサーチ旅行から帰国して、ようやく今日で二週間がたちました。
メールの山はまだ片付いていませんが、お礼状などは、ぼちぼち(と関西弁を借用)送り始めています。とにかく、家事も二週間たまり、メールのみならず、郵便物や新聞も山積みだったので、少しずつ整理しています。気持ちがだんだん落ち着いてきて、あの集中した二週間を、ブログに綴りながら、客観的に査定する時期に差しかかったように思います。
到着直後に、空港からオーチャードのホテルまで荷物を運んでくれたD家の一員、11歳の長女ナオミちゃん(←日本人名ではなく聖書名です!)が、チェックインする時にフロントで私が提示した予約用紙のコピーを貼り付けたノートを見て、「はぁ!」とびっくり驚きの声を上げていました。
この小型ノートには、リサーチを始めた頃からの恒例として、緊急連絡先やパスポート番号、クレジットカードの番号、血液型、宿泊所の住所と電話番号、滞在スケジュール日程表、連絡を取るべき人の住所や電話番号、訪問場所の予定と住所、事前にやり取りしたメールのコピー、電子チケットの印刷、手土産リスト、荷物リストなど、ありとあらゆる重要項目が、ページの余白をたっぷりとって、手書きで記してあります。目次も100円ショップで買ったシールを貼って、すぐにページが開けるようになっています。特に大事な用件には、付箋も貼ってあります。
この一冊に、無事済ませることのできた用事や連絡、行動記録、電話や面接で話した内容などを別の色ペンで書き込み、レシートやチケットを持参の小型スティック糊で貼ったり、ホチキスで綴じ込んだりすることで、旅が終わる頃には、とりあえず簡潔な、私だけのフィールド・ノートができあがる仕組みになっているのです。時間のある時には、地元の新聞の切り抜きも貼り付け、ちょっとした資料集のできあがりです。次のリサーチ旅行の際には、前のノートを見て、そのまま写し取ったり、変更を加えたりすることで、変化にも対処可能です。
今回は、強行軍のため、とにかく健康第一に、睡眠時間の確保と、朝ご飯はビュッフェで30分ぐらいしっかりと、をモットーにしていました。夜は、こまごま取ったメモと集めた資料に日付と場所などを書いて整理し、郵送すべき荷物には、リストを作成してからビニール袋に包んで箱に詰めていきます。朝になると、朝食後、コーヒーや紅茶を飲みながら15分ぐらいかけて、一日のスケジュールを練ります。その時にも、このノートが非常に役に立ちます。その代わり、誰が見ても、観光旅行者ではなく、リサーチャーだとわかるようです。(マラッカでは、「プロフェッサーなんですか?」と、英国国教会の中で店番をしていたインド系のおじさんに尋ねられてびっくり。運転手兼ガイド役の華人のおじさんにも、「マラッカについて論文を書くなら、もっと滞在しなきゃだめだ」などと「説教」(!)される始末。)

シンガポールで見かけたように、片手に携帯を持って、何事も携帯メモに入力する方法は、実にスマートです。国立図書館でも、そのような姿をよく見ました。特に、20代から30代ぐらいの世代に多かったようです。その国に住まいを構えて滞在しているならば、手っ取り早くスケジュールを管理するのに、それは良い方法なのだろうと思います。ただ私は、多少不格好でも、このノート式が一番合っています。充電や故障の心配もないし、手を動かして記憶を強化できるし、ダブルブッキングもなく、色分けをしたノートを開けば、次に何をしなければいけないかが一目瞭然だからです。そして、これを書き込んでいくことが、私の旅の準備であり、締めくくりでもあるわけです。
だから、今ではぶくぶくに膨れあがり、二倍ぐらいの厚さに。でも、これを自宅の棚に順次並べることで、いつでも気になることは開いて事実確認できますし、思い出したことも書き込めます。このブログに書いたエピソードは、そんなノート作りから生まれてもいます。ノートを書いている時が、一番の体休めであり、エネルギー補充期であり、頭と心を整理する時間です。とても楽しいです。
「え、携帯持っていないの?」と、シンガポールでもマレーシアでも驚かれました。「日本人なのに?」
いえいえ、古い伝統的な歴史を持つ国の出身者こそ、こういうところで違いを見せなければなりません。何でも、新技術に飛びつくばかりが、人間の発展の証でもないのですよ。
「ま、文系だからな」とは主人の言。「そういう人があまりにも多いと、こっちの仕事も意味がなくなるからさ」。
そうかもしれませんね。でも、シンガポールでもマレーシアでも、最新技術の移転事業で、まばゆいばかりに輝いて威光を放っている高層ビル群の傍ら、過去を振り返る余裕や意識が芽生えたようで、あちらこちらに、昔はなかった博物館や昔風の展示が出ていました。ほら、古い写真には、それなりの味というものがあるでしょう?人間には、バランス感覚が働いているんですってば。
ところで、サンジーフ君は、キナバル山登頂に成功したので、次は富士山だ、それができたら、キリマンジャロにも登ってみたい、などと口走っていました。「あれ?日本で博士号はどうなったの?」と尋ねると、ITの仕事に従事しているサンジーフ君、「この分野は、日本は遅れているからね」。こら、私だけを見て判断するな!実は来年、英国へ修士号取得を目指して勉強に行くのだそうです。「そのまま英国に住み着く?」「それはどうかな。でも、いい女性が見つかったら、そうするかも、ね。前のガールフレンドとは終わっちゃったからさ。今はフリーなんだ」。
10数年前までは「途上国」扱いされていたマレーシアが、いつの間にかここまで自信をつけて成長していたのでした。国境を越えてたくましく生きていく人間の活力を見た思いです。