ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

10年後はどうなっているか

「だけどさあ、その論文って修士レベルなんだろう?まだ若い人なんじゃないか。たまたま、こっちが知らないと思って、うれしくて論文送ってきたんだよ。そうカリカリすることもないよ。それに、若い人にあまり本当のことを指摘すると、かえって厳しすぎるんじゃないか?シンガポールにだって、ちゃんと見抜く人がいるはずだよ。アメリカでちょっと勉強して帰ってきたからといって、その人の意見がすぐ通るほど、そこまで人間社会、甘くはないよ。第一、ユーリは見抜いたんだよね。書かれている情報が決して新しくはないって。明治時代にハートフォード神学校の方針に疑念を抱いた内村鑑三のことだって、そういう背景を知っているなら、それは、ユーリが自分なりに勉強していることの証だよ。相手にならんじゃないか」。これは、昨日のブログに書いた内容に対する、主人の感想です。
本当にそうならいいんですけれど。私が感じるのは、正直に言って、一種の苛立ちです。「同じ目線に立って」とはいうものの、明らかな立場の違いが歴然としているならば、余裕を持って寄り添うことができるのでしょうが、私のように、個人レベルで、シンガポールも含めて、マレーシアのことに長く関わっていると、時々、こちらが知らないと思って、いろいろ指摘したり教えようとする現地の人がいます。若い頃なら何もかも珍しかったので素直に新鮮に驚くことができましたが、今では、(既に日本ではずっと前に指摘されていたことなのに、現地では、今になって気がついているのか。しかも、こちらが知らないと思っているんだ)(それはあなたのグループだけが言っていることでしょう?私は、その立場には立っていないんです)などと言いたくなることも多くなります。しかし、それを言ってしまったらお仕舞い、というジレンマもあります。場合によっては、はっきり表明しなければ相手に伝わらないこともあるので、その見極めが実に難しいと思います。
それと、当事者が知らない情報をこちらが知っていたと判明した時には、「あ、もう日本人ったら...」と舌打ちする華人にも出くわしたことがあります。地元の華人なので、自分達こそが主であるかのように思っていたら、実は日本人の方が遙かにそれを上回る詳しい情報を持っていたことがわかる時です。戦時中の経験も感情的に思い出され、現在の各種政策で冷遇されていることを思えば、つい、何かと悔しさが滲み出てしまうのでしょう。
ただし、短期交換留学や語学留学ではなく、研究留学をした人ならば、そこは謙虚になってくれることが多いです。「日本に来て、それまでの人生観が変わった。日本人は東南アジアのことを知らないと思っていたら、実は日本人研究者の方が、遙かに詳しく知っていた」などと。クラン出身の客家人の先生が、シンガポール大学と日本の諸大学で教鞭をとっていたのですが、噂によれば「あまりおもしろくなかった」そうです。なぜかと言えば、「こちらが知っていることばかり教えるから、新奇性がない」。ロンドン大学で博士号まで取得された経歴の立派な方なのですが、学生はシビアで、その点はいいのではないか、と思いました。
私の学生時代を振り返ると、なぜもっと自己主張して教授陣にも要求しなかったのか、と反省することがあります。「和の精神」とか「長幼の序を尊重する」などと、真剣に語られていた時代でした。「先生を立てなさい」と。眠くてつまらない講義でも、自分で本を読むなり内職するなりしてやり過ごしました。今なら、学生が授業評価をするので、大変と言えば大変ですが、活気が出てきたこともまた事実で、その意味では、遅ればせながらもよい傾向だと思います。
とにかく、マイペースを守りつつ、自分なりのものを確実に積み上げていけたら、と思っています。10年後にどうなっているかが、楽しみであればいいのですが。