ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

矢内原忠雄氏の土曜学校講義(1)

昨晩は、矢内原忠雄氏の『土曜学校講義』の数巻から、部分的にアウグスティヌスとミルトンに関する箇所を夢中になって読んでいました。
それにしても、熱心なよい先生がいらしてくださって、感謝の限りです。専門外ということもあり、自分一人ではアウグスティヌスもミルトンもなかなか読みこなせませんが、私のような者でも、懇切丁寧な生きた講義に、著作を通して触れる機会を与えられて、僥倖以外の何物でもありません。
つくづく驚かされるのは、平和希求にもとづく主張から東大教授職を追われ、日々の暮らしにも困窮した戦時下で、互いに明日の命をも知れぬ時期に、このような真剣勝負の古典講義をご自宅でなさっていたことです。受講の条件は、基督教伝道雑誌『嘉信』の購読者であることが第一。受講志願書を提出の上、選抜されて許可を受けた後、受講料も払って、毎週土曜日にご自宅に通い詰め、膝の上でノートをとる集中した二時間だったそうです。
当時のことゆえ、テキストは矢内原氏が読み上げて書き取らせていたようです。従って、講義録の出版時には、使用テキストの確定が困難だったものもあるそうです。また、講義ノートの取り方まで細かく助言されていたのですが(例えば、アウグスチヌスと全部書かないで、「ア」とかアルファベットの略記号だけにしなさい、などと)、速記術を習得された女性が一人参加されていて、助手代わりのように、講義全部を速記で書き取ったのだとか。今なら、当然のようにレジュメを配布して、机も冷暖房も完備の中で行うことを要求されるのでしょうが、物質面では整っていなくても、熱意と工夫と能力さえあれば、勉強はできることを示しているのですね。(注:熱意だけでは勉強はできません。やはり、工夫と能力が必須です!)
現在の研究進展により、専門家から見れば、その解釈はどうか、と思われる箇所が節々に恐らくはあるのでしょうが、それにしても、当時の東京の様子を想像するだに、ものすごい気迫だと思わされます。
土曜学校を始めてしばらくしてから、二部としてアダム・スミスの『国富論』の経済学演習も開かれたそうですが、こちらは同じ二時間でも、先生のご専門そのものなので、準備もはるかに楽でいらしたとか。つまり、基督教の真理を、古典を学ぶことを通して若い学徒に伝えるための準備は、矢内原氏であっても、相当の苦労をされたようなのです。それだけに、非常にわかりやすく、(なるほど)と納得させられますし、ところどころに挿入されているエピソードや訓話も極めて興味深いものです。
学生が主な対象であっても、細々とした注意をされるところに、厳しくも温かい愛情が感じられます。例えば、こちらも心を開いて講義しているのだから、講義終了後の感想文はきちんと提出しなければならない、と諭したり、こういう時勢なので、交通機関の事情や仕事に行かなければならない場合、遅刻しても私は許します、その代わり、自分の怠慢で休んではなりません、とルールを提示したりしています。
また、1945年8月15日前後は、さすがに二週間ほどお休みをされたようですが、翌週からまた、何事もなかったかのように淡々と、ミルトンの講義を続けられました。

ここで派生的に思い出したのが、タリバン政権下のアフガニスタンにおける、女の子達のための家庭学校です。もっともこれは、都市部の進歩的な地域に限定されていたようですが、女子教育が閉鎖された間、これではいけない、と元教師だった女性の先生達が、こっそりと家庭に学齢期の少女達を集めて教えていたことです。
いつ、どこで、どのような状況であっても、学ぶことをやめてはいけないこと、また、学びへの希求は抑圧されても消えるものではないことを、これらの事実が示しているように思われます。