ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

ひとつの見方 サウジ改革派

メムリ」(http://memri.jp

Special Dispatch Series No 2367 May/24/2009

「ひとつの文化現象としてのテロリズム―サウジ改革派の意見―」

ロンドン発行紙Al-Sharq Al-Awsatは、2009年4月27日付紙面で「テロリズム:ひとつの文化現象」と題する記事を掲載した。著者のハマッド(Turki Al-Hamad)は、サウジの改革派評論家で、サウジの学校が今でも過激思想の教育、伝播をやめないのが、サウジアラビアにおけるアルカーイダ撲滅失敗の理由とし、「我々はムスリムである…しかし必ずしもイスラミストはない。イスラムとイスラミズムには違いがある」と述べている※1。
以下その記事内容。オリジナルは英語である※2。
・1年で700人を逮捕、しかし撲滅に至らず
 最近サウジアラビアでアルカーイダの細胞が摘発された。これに先立ち、昨年容疑者が多数逮捕されている。アルカーイダのメンバー500名が(2008年6月に)一斉検挙で捕まったのである。昨年初めから合計700名が、アルカーイダ組織に所属している廉で逮捕されている。(サウジの)治安要員と要人を暗殺し、サウジアラビアの石油施設を破壊して国際経済に打撃を与えて世界を混乱につき落す計画があった。サウジアラビアのアルカーイダの組織は壊滅し、メンバーは殆んど残っていないと我々が考えていた頃、この一斉検挙劇があったのである。このニュースを耳にして、この問題をあらためて考える必要が生じた。
 このレポートは、ポジティブな面もあるが、殆んどはネガティブな内容である。これから三つの結論がひきだせる。
 第1の結論は、テロに対する戦いが続いており、テロリズムとテロリストの追求努力が―サウジアラビアにおいて一成果をあげている点。アルカーイダのメンバー多数が逮捕拘置され、テロ行動の前に細胞が摘発されたのは、その証拠である。これは称賛に値する。サウジ治安部隊の普段の警戒と優れた捜査力がなかったならば、状況は全く違ったものになっていたであろう。
 第2の結論は、アルカーイダが活動を続け、組織として今尚強力である点。撲滅努力が続けられながら、組織は生きのびている。最近テロが少ないのは、組織が何もしなくなったためではない。戦術と戦略を変え、機会を伺っているのである。色をかえるカメレオンが周囲の環境に溶け込み、獲物を待ち伏せるようなものである。それにしてもアルカーイダは何故多くの青年を惹きつけるのであろうか。治安当局の懸命な努力にも拘わらず、この組織が多数のメンバーを獲得できるのは、何故であろうか。
・摘発、逮捕だけでは組織撲滅は無理
 この疑問に答えるには、時や場所のような状況を考えなければならない。撲滅努力があるにも拘わらず、アルカーイダのイデオロギーと組織が命脈を保っている。その理由を、ひとつだけのファクターで説明することはできない。恐らく、時や場所の状況だけでも、アルカーイダのしぶとい生残りを説明できないだろう。
 上記疑問に対する答は、アルカーイダを相手とした撲滅の戦い方にあると思われる。つまり、テロ事件そのものに努力が集中している点である。それはそれで必要なことであるが。問題の根源と直接向きあわないところに、アルカーイダの存続の理由がある。
 アルカーイダの力は、組織自身にあるのではない。メンバーや支持者を呼びこむ環境にある。治安当局の努力は、それはそれで称賛に値するが、活動家や休眠細胞をいくら摘発しても、根絶にならない。当局は摘発に懸命であり、元メンバーに対する厚生・社会復帰(Munasaha)計画もある。(改心メンバーに対する)恩赦もある。そして政府は彼等を犯罪者と決めつけるのではなく、道を踏み誤った者と規定する。しかしこのような様々な対策があるにも拘わらず、アルカーイダは(サウジアラビアで)強力な組織として存在し、(テロ)活動を続け、暗躍のニュースが絶えない。
何故だろうか。
・テロを育てるイデオロギーとの戦いが撲滅のカギ
一番大事なのが第3の結論である。アルカーイダが破壊しようとしている状況の継続がアルカーイダの存続につながる。これが結論である。疫病の伝染拡大は、ウィルス自体の強さによるのではなく、ウィルスが繁殖する環境の存在にある。
例えばサウジアラビアでは、当局は探知、捜査、逮捕に全力を尽くしている。しかし、それで問題が片付くわけではない。雑草は、引きちぎるだけで根元を残せば、再び生い繁る。この場合の根元は、社会化即ち人間形成過程の場である。平たくいえば家庭からモスク、社会クラブからメディアその他まで、この一連の場が、子供の時から個人の人格形成に影響し、方向づけにかかわる。この場がいわば種播きで、その種が考え方や行動様式のもとになる養分を得て育つ。「人はルーツにあり」という有名な諺にある通りである
テロリズムと破壊的勢力に対する治安上の戦いと成果は、この破壊的行動様式の背景にあるイデオロギーとの戦いを伴なっていない。アルカーイダは数百名の新入りを確保する。そのほか無言の支持者やシンパを加えれば、どれ位になるだろうか。それだけの数を惹きつける原因は、イデオロギーとの戦いの欠如以外に考えられない。
ひとつ欠陥があるのである。間違いない。それは(サウジアラビアの)教育機関によってつけられた傷である。我々は社会的に文化的に正しい道をはずれ、1970年代後半(メッカ包囲後)イスラムの再覚醒(Sahwa)という迷路状のイデオロギーに踏みこんでしまったのである。教育機関は、例外なくこのイデオロギーを反映し始めた。
学校と教育カリキュラムは過激思想の伝播を続けている
このイデオロギーの本質は、不信心者の皆殺しを求める血と死の文化である。サウジアラビア内外の人が誰であろうとも、このイデオロギーに完全に同調しない者は、不信心者として抹殺される。教育機関はすべてこの線に沿って形成された。時代背景もある。当時イラン革命が、サウジとは違ったイスラム概念を輸出しようとしていた。このイランに対するイデオロギー闘争があり、湾岸へのアクセスを求めてアフガニスタンを占領しようとする―超大国とは、政治闘争を展開中であった。この二つのファクターの故に、教育機関内で起きていることに見て見にふりをする結果を生んだ。いや、政治目的のために助長するケースすらあった。かくして、我々は自分達が播いたものを今刈りとる破目になったのである。
恐らく状況がすべてに優先するのであろう。又政治ゲームは政治ゲームとしてのルールがある。誤りを犯すのは恥ではない―人生は本質において試行錯誤である―。しかし、誤りがあったことを否定し、或いは同じ誤りを何度も繰り返すのは恥である。国家について言えば、かつては有効であったかも知れないが、状況が変って厄介なものになった政策を続けるのは間違っている。結局賢人とは、他人の言うことに耳を傾けるだけでなく、自分自身の経験と歴史に学ぶ人である。教育機関を(イデオロギーの)軛から解き放そうとする動きがあった。それを否定するのは偏屈だけだろう。もっともその動きは氷山の一角を扱っただけである。
 問題はそこにある。インパクトを弱めようとする努力があるにも拘わらず、学校と教育カリキュラムは、相も変らず過激イデオロギーを流布している。そのため、化学や医科学の分野でもイスラムをからませた教育をすることになり、人文科学も(信仰を持つ者と不信仰者に)分類する結果を招き、憎悪と死の文化を称揚し、まき散らしている。今でもモスクによっては死、破壊そして人殺しをたたえる説教が続けられている。我々には寛容と宗教間対話を呼びかける新しい説教が必要である。我々は全員がアダムの子ではないか。我々は生命と人類の栄光を称える説教が必要である。するとこの時、「我々の文化と宗教を棄てるということか」とたずねる人がでてくるだろう。
イスラムとイスラミズムは異なる
勿論そのようなことはない。今日世界を支配する人々は自分達の文化と宗教を忘れてはいない。彼等は自分達の宗教をしっかり持っているし、世界の動く仕組もよく知っている。
我々はムスリムである。一点の疑問もない。しかし我々がイスラミストになる必然性はない。そして、イスラムとイスラミストは違うのであるイスラムの再覚醒(Sahwa)の前、我々はムスリムの社会であり、世界の中での我々のめぐり合わせを忘れたことはなかった。しかしその後、教育機関がイスラミストに拉致された後、我々はイスラミストの社会となり、世界のめぐり合わせを忘れてしまった。この状況から抜け出す方法はひとつしかない。我々が無視した世界に戻り、我々のイスラムと我々の人類へ回帰することである。過激主義と暴力の背景にある文化と知識の根元を引き抜かなければ、我々はいつまでもこの(イデオロギーの)雑草に苦しむだろう。ひきちぎるだけでは根は残り、そこから再び雑草が生い茂る。
状況が変るまで、アルカーイダとその支持者は存在し続け、この同じやり方でいつまでも姿を現わすだろう。
※1 ハマッド関連の画像をMEMRI TVで見る場合は次を参照。 http://www.memritv.org/subject/en/602.htm
※2 2009年4月27日付Al-Sharq Al-Awsat(ロンドン)。明確を期すため文章に少し手を加えたほか、小見出しを編集部でつけた。
(引用終)