ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

ちょっとおもしろい話 サウジ編

メムリhttp://www.memri.jp

Special Dispatch Series No 2156 Dec/25/2008

サウジアラビアのコラムニストが同国の音楽禁止を批判
最近サウジの日刊各紙は、良い音楽の重要性に関する記事を掲載し、音楽が子供たちのマナーと能力(の開発)に効果があること、また音楽が成人の人格とマナーの穏健化に貢献することを強調している。これら記事は、サウジの若者たちのパラドックス━西側やアラブの、良い美意識や感受性を開発する古典音楽に接することが出来ない反面、浅薄なポップミュージックはテレビとインターネットで聴くことができるというパラドックス━を提起した。若者が良い音楽に接することが出来ないのは、公立学校が宗教上(の戒律から)音楽を禁止しているためだ。
以下は、このトピックに関する各紙記事の抜粋である。

・音楽のクラスは「子供たちの感情の平衡、記憶力、学習能力を改善する」
サウジの日刊紙ワタンで、コラムニストのハリマ・ムザッファル(Halima Mudhaffar)はこう書いた:「(学校での)正規の古典音楽の授業がわれわれには必要と思われる。驚いたことに、教育省の刊行物がカリキュラムと教授方法の開発を呼び掛ける一方で(同省は音楽の授業を)芸術カリキュラムに導入しなかった・・・とりわけ(音楽のクラスを)必要としているのは低学年の子供たちだ。なぜなら、音楽には(子供たちの)感情の平衡、記憶力、学習能力の改善など多くの利点のあることが科学的研究で分かっているからだ」
「(私の言う音楽とは、われわれの社会に)侵入してきた騒々しい、低俗な(ポップ)音楽ではなく・・・作曲家ベートーベン、天才モーツァルト、(現代の古典アラブ音楽の作曲家ムハンマド)アブドルワッハーブなどの良質な音楽である・・・
「こうした音楽(を通じて、子供たちは)良い美意識、良いマナー、周囲の美に対する感受性を獲得する・・・これら特質は、われわれの日常生活と行動に欠けている・・・家や街、勤め先にすらない・・・
「残念なことに、われわれが芸術一般を不快に感じるようになったのは宗教過激主義━長期間われわれの社会に存在し、(今日も)存在し続けている宗教過激主義のせいである。こうしたわれわれの態度を矯正するため、われわれは(この過激主義に)強く反対しなければならない。
「驚いたことに(教育)省が学校の文化教育を著しく開発する、この(音楽授業)を延期した。同省は音楽の授業や、学校の遊戯における音楽の使用禁止によって(現実に)現世代と次世代の生徒たちの生活から音楽を排除したのだ。その一方で、生徒たちは毎日、衛星テレビや音楽テレビで、またウエブサイトで音楽にさらされている。これらテレビ局のほとんどはサウジが資金を出している・・・」
「われわれが音楽を不快に感じる原因は宗教過激主義にある」
「なぜ、こうなったのか。われわれの(国の)ほとんどの通りには、低俗なテープやCDと一緒に良質なテープやCDを、商業省の許可を得て販売している店が存在する。また、サウジのテレビ局はサウジや湾岸出身の歌手の歌を流している。サウジの一部の町では(音楽)フェスティバルが開催され、数千人が詰め掛けて、手拍子を打ち(音楽に)合わせて歌を歌っている。さらには、ベストな(歌手が)出演し、数百万人が押しかける国家的なジェナディリヤ(Al-Jenadiriyah)フェスティバルも開催されている。※1 サウジの建国記念日でも歌手たちは演奏する。
「そうしたなか教育省が介入し、社会の現実を無視して・・・熱狂的に演奏される、無害な音楽を伴った国歌を聴くことを(生徒たちに)禁止した。その口実はすべて、音楽に対する(宗教的な)禁止(に従うという)ことだった・・・
「子供たちは父親や兄弟の車の中で音楽を聴く(ことができるし)、国営のテレビ局で(音楽ビデオを)見ることができる。こうした時、子供たちが禁止(措置)に従うとは私には思えない。これ(音楽禁止)は偽善の病だ。
「(以前)私は、学校の芸術カリキュラムに音楽の時間を加えるよう主張した。だが、(信仰心から)禁止(措置)を信じ・・・これら(音楽)クラスに関心のない人々の意向を尊重して、これらのクラスを必須ではなく選択授業にするよう主張した。私の記憶が正しいなら、私がこう主張したのは、文化・情報省が(2003年に)主催した第1回サウジ学者会議の文化討論の場だった。
「(今日)周囲の騒々しい音楽からわれわれの少年少女を守りたいという思いから・・・私は教育省に対し(カリキュラムに音楽を導入するよう)再び忠告する。周囲の騒々しい音楽は子供たちのマナーに悪影響を与え、その記憶力をだいなしにする」※2
・音楽は子供たちの感情表現を助ける
サウジ日刊紙アルジャジーラのコラムニストで、リヤドのキング・サウード大学の教育学教授ファウジア・バクル(Fawzia Al-Bakr)はこう書いた:「・・・永遠の芸術である音楽が、われわれの町や家から姿を消した。そして、われわれは自分勝手な娯楽世界を作り上げている。われわれはこうして(メディアを通じて)アクセスできる低俗な(音楽)の虜となった。われわれにはもはや(良い音楽と悪い音楽を)比較し、区別する知識がない。
「われわれの青年たちは、良い音楽という楽しみを全く(知ることなく)『リズム音楽』や『ダンス音楽』の熱狂を求め始めた。
「われわれの家や学校に音楽のないことが、われわれの(生活)スタイル、性格、ヒヤリング、細やかな気配りにどんな影響を与えるのか、予測は困難だ。というのも、われわれはもはや音楽を経験していないからだ。芸術を学び、経験し、創造することによって、われわれは細やかな気配りを持ち、他人との繋がりを作り、心を通わせ、正確かつ論理的な思考を(開発)することができる・・・(音楽は)われわれが現代世界において、個人生活と社会生活で必要とされる技巧の磨き上げ(を助ける)・・・
「音楽はまた幼い子供たち、また十代の子供たちにとっても、自分たちの感情を、社会的に受け入れ可能なチャンネルを通じて表現するための理想的な道である。音楽はまた、これらの年代の子供たちが持つ過剰なエネルギーの放出を助ける・・・
「子供たちは、生まれたその日から、音と色と水に惹きつけられる。周囲の自然の音と交わる。従って・・・われわれの義務は、この自然(の資源)を子供たちに戻すこと、そして子供たちの(感情の)平衡獲得を助けることである。人が感情の平衡を獲得できるのは、人があらゆる形態の芸術を享受することができる世界だけだ」※3
注:
(1) 1985年以来、サウジアラビア国王がスポンサーとなって毎年開催されている同国の伝統文化フェスティバル。伝統的な音楽、本、衣装、芸術、手工芸に演奏・展示される。
(2) ワタン紙(サウジアラビア)2008年10月25日
(3) ジャジーラ(サウジアラビア)2008年10月25日
(引用終)