新聞投稿の議論
大学生の頃までだったでしょうか、少なくともインターネットが普及する前のことです。新聞の投書欄には、大学教授や文筆家なども投稿者に含まれるのが普通だったように記憶しています。情報源が、本、新聞、雑誌、テレビ、ラジオぐらいしかなかったので、紙上議論が今以上に真剣勝負だったようにも思います。何しろ、国民の数割は目を通すわけですから、責任が伴います。
ところが、この頃は、私も含めて、インターネット上で意見や感想を気軽に出せるようになったこともあってか、全国紙の投書欄の質が低下したようにも感じていました。表現媒体が広がったので、何も新聞投稿に依存する必要はなくなったのでしょう。
質以上に気になっていたのが、ブログでもそうですが、発信が一方通行になってきたことです。投書も、多様な意見の展示会といえば聞こえはいいものの、(ちょっと、この意見、どうみても身勝手じゃない?)とか(社会常識に欠けた投書だなあ)などと思う一方で、反対意見や代替見解が載せられることも減ったように思っていました。ブログだって、数年前までは、何らかの書き込み応答が普通だったと思います。私など、クラシック音楽のいろいろな投稿欄には、しばしば感想を書かせていただいていました。ところが、自分でブログを開くようになると、ひと様のところで書くよりは、自分のブログに書いた方が手っ取り早い、ということもあって、そういうことをあまりしなくなってしまいました。
これがいいことなのかどうかは、一概に言えません。ブログの場合、開設者が主で、コメント欄への書き込みはお客ですから、意図せずとも、主や先客に同調するような書き方になってしまいます。また、その開設者と似た傾向を持つ人々が集まるので、顔が見えないだけで、広いようで狭い、とも言えます。それに、内輪の議論になってしまうぐらいなら、わざわざ電子版で公表する必要もないでしょう。
ただ、この頃、新聞投稿欄に、多少の工夫が見られるようになってきました。紙上議論ほどではないまでも、ある人が意見を載せると、翌週ぐらいに、別の反論が載るようになったのです。
例えば、最近の朝日新聞では、学生奨学金の返済を軽減してほしい、という意見がありました。その人は、成績優秀だったので奨学金をもらえたが、大学卒業後は就職をせず、フリーライターをしているために、毎月の返済が負担なのだそうです。だから、返済条件を軽くしてほしい、という主張でした。
なんだか随分わがままな意見だなあ、これでも「多様な社会」の反映なのか、と不愉快に思っていたところ、数日後に、私と同意見の反論が掲載されたのです。50代ぐらいの主婦の方だったかと思いますが、「奨学金とは、返済されることを前提に貸すものであって、勉学のための借金なのだから、返すべきだ。就職をしないでおいて、返済が負担だとは何事か。あなたのような人が増えると、奨学金制度そのものが崩壊する」というご叱責でした。また、貧しい家庭の出身だと自己紹介された小学校教諭の20代の男性も、「確かに給与内での返済は大変だが、やりくりすれば、返せなくもない。こうして念願の教師になれたのも、奨学金のおかげだ、ありがたいと思って、毎月支払っている」と感心なご意見でした。
別件で、似たような事例がありました。もうすぐ大学を卒業するという22歳ぐらいの女性が、「私は学んだことを社会で生かすために就職をするのだが、周囲は専業主婦になることばかり考えて、のんびり過ごしている」というご立腹の投書でした。思わず笑ってしまったのは、二十歳前後の頃、私もこういう意見を聞いて、つい揺らいでいたなあ、と思い出したからです。同時に、この歳になると、(別に周りがどんな生き方をしようと、その人の選択じゃない。自分の選んだ道に邁進していればいいのに、どうして周囲ののんびりがそんなに気になるの?)と思ったりもします。そうこうするうちに、今朝の投稿欄には、20代の高校教諭の女性から、「働いているからといって、社会貢献できているとは限らないし、専業主婦だから、社会貢献していないとはいえない」などという意見が掲載されていました。もしも専業主婦が反論していたら、どっこいどっこいですが、若い高校の先生が諭されている点、実感がこもっていますね。先生も、時々はため息をつきながら、(あ〜、私にも奥さんがほしい)とつぶやいていらっしゃるのかもしれません。
欲を言えば、この一往復だけでなく、最初の投書者から、さらに反応がほしいところです。
そういえば、縮刷版で昭和時代の新聞記事を調べていたところ、名古屋の女性教諭が、「新しくできたばかりの市営住宅に私も住みたいのに、給与が水準以上だから入居できないと市役所で断られた。居住の自由が憲法では認められているのに、どうして住む所ぐらい、自由にならないのか」と投書していたのを見つけたことがあります。(学校の先生をしているのに、市営住宅の建設目的をご存じないのかな)と不思議に思いました。これも、できれば反論が読みたかったところです。
しかし、女性の意見って、こういう次元が多いんでしょうかねえ、私も含めて。