ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

本物の学者とは

性格的に見れば、細かいことに対して頑固でこだわりが強く、いつでも本当のことを正確に語らなければならないと思い詰める癖があります。そのためか、昔からよく「あなたは学者さんだから」と言われていました。近いところでは、うちの主人が「現実的ではなく夢想的」の意味で使いますし、ピアノの先生も「実技よりも理屈こね屋さん」の意味でおっしゃった(と私は思う)ことがあります。イスラエル旅行でご一緒した年配の何人かからも、「この人は学者さん」(当然、それは一面、皮肉でもあり、嫌味でもあり、「世間知らずですね」の婉曲表現でもあるのですが)と言われてしまいました。その度に、「あ、すみません」と謝り、深く反省するのですけれども、知りたがり屋は生まれつきなのだから、仕方がない、ですね。
多分、遭遇したひとつひとつの事柄に理由を求め、背景を探ろうとするので、そう言われてしまうのでしょうか。対する私は、「学者」の一般世間的な意味は、「博士号を持ち、大学で専任として勤務している人」だと思っているため、「いえいえ、違うんです!私はただの主婦です」と手を振り回して否定しています。研究会などに出席すると、中には、「私は学者ですから」とか「歴史学者として、私は…」とみずからおっしゃる3,40代の中堅研究者もいるので、(すごいなあ、いつになったら、そういう自信が持てるようになるのだろう、私?)と感じてしまうこともあります。

そうはいうものの、いくら頓珍漢な私でも、本当の学者だと思う師を存じ上げているので、やはり言葉の使い方にはこだわりがあります。特に、今年いただいたお年賀状を拝見して、(学者たるもの、こうでなければ!)と感じたのは、学部時代の卒論の指導教官でいらした、国語国文学碩学からのものでした。既に80代になられましたが、実に矍鑠とされ、シャープでいらっしゃいます。私が勝手に申し上げているのではなく、昔から、愛知の誇る碩学そのものと呼ばれる方なのです。
学部生の時に感じたのは、(専任教員の中で最も年長でいらっしゃるのに、一番先端の話がよくおわかりになる先生)という印象でした。そして、私の進路希望を聞き、ついでに母の学歴も聞かれて、「そういう人だったんですか」と目をかけて(?)くださったのです。数年後、マレーシア派遣が決まった私に、日本軍政マラヤ時代に作られた馬来語大辞典をお餞別にくださいました。この辞典は、申し訳ないことに、現在でもこの水準を超えるマレー語辞書は、ちょっと見当たらないのではないかと思われるほど、驚くべき内容を有しているものです。単に「反戦平和」論だけでは到底わからないであろう、大東亜共栄圏時代の学識事情の片鱗をうかがわせます。
当時から、この先生は新刊書にもよく目を通され、「この本の何ページには間違いがある」とか、「この人は名が売れているかもしれないが、実は文法説明にミスがある」などと、私の目の前でおっしゃっていました。それを聞きながら、人前で物を発言することの恐ろしさと同時に、ここまで見抜く目をお持ちの先生なら、私のことも見ていてくださるだろうという勝手な安心感も抱いたものです。

ところで、肝心のお年賀状なのですが、さすがは先生でいらっしゃいます。タイ語の「アユタヤ」の「アユ」の意味と、「水」「流れる」との関連性について、質問が書かれてあったのでした。タイについては、10数年前には京大東南アジア研究センターの夏季セミナーなどで勉強していましたが、タイ語まではとても手が回らず、しかも、このような謹厳な学者に対していい加減なお返事もできず、畏れ多くもそのままにしてあります。もちろん、専門のタイ研究者にきちんとお尋ねするつもりで、慎重にしているのです、という身勝手な言い訳付ですが。

「60年以上前から知りたいと思っていたことです」と添えられているところが、すばらしいと思います。多分、「あゆち」(万葉集の「年魚市潟」(あゆちがた))との関連もお考えなのだろうと拝察しております。

こういう方をこそ、本物の学者とお呼びすべきであり、間違っても、軽々しく私に対して同じ表現を使ってはならないのです。どうぞお気をつけください!