ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

神戸バイブルハウスにて(2)

ブログの利点は、即時性と継続/持続性、そして保存性と再現性といった、複数機能を兼ね備えていることでしょう。そこで、しばらく神戸バイブルハウスでのお話を、個別に、あるいは総括して綴ってみたいと思います。

1月10日と17日の午後、予定通り神戸バイブルハウスに出かけ、脳神経外科がご専門の白方誠彌先生から、「聖書と医学」と題する聖書セミナーを受講しました。いずれも20数名の参加者が集い、熱心に拝聴し、かつ積極的に質問をされていました。
白方先生と言えば、京都・日本バプテスト病院長そして大阪・淀川キリスト教病院の初代日本人院長として、ずっと前からお名前を拝見しておりました。今回、私は初めてお目にかかる機会を与えられました。
まず、僭越ですが、簡略をお許しいただき、ご経歴をご紹介いたします。

1930年宮崎生まれ。九州大学医学部医学科卒業。岩手医科大学と神戸医科大学での講師の後、1971年から神戸大学医学部助教授(脳神経外科学)。1978年から淀川キリスト教病院の院長と理事長。その後、2007年3月退任まで、日本バプテスト病院の院長と理事長。現在は、日本ホスピス緩和ケア研究振興財団理事で、阪神聖書研究会会員。
また、1997年11月2日号の『クリスチャン新聞』第58信によれば、「日本キリスト教病院協会」の初代会長の重責も担っていらっしゃいました。

その記事に基づいて病院の話をしますと、1997年時点で、日本には計26のキリスト教系病院があったそうです。(なお、現在は約40とも聞いております。)名古屋で思い出すのは、南山大学近くの聖霊病院ですが、東京なら聖路加国際病院、関西なら上記の日本バプテスト病院や淀川キリスト教病院があります。また、横須賀市の衣笠病院、福岡件の亀山栄光病院、東京の救世軍ブース記念病院、東京アドベンティスト病院なども含まれるようです。そして、韓国と台湾のキリスト教主義病院も合同で、会合が開かれたとのことでした。その会合での全体を貫くテーマになる聖書引用は、「まことに、あなたがたに告げます。あなたがたが、これらのわたしの兄弟たち、しかも最も小さい者たちのひとりにしたのは、わたしにしたのです」(マタイ25章40節)(注:『新改訳聖書』(1973/1983)の訳による)だったそうです。

関西在住のよしみで、白方先生の関係された二つの病院についても、その沿革を簡略に記してみます。
淀川キリスト教病院
1953(昭和28)年 淡路に病院用の土地5400坪を購入
1955(昭和30)年 フランク・A・ブラウン医師により淀川キリスト教診療所が開院
1960(昭和35)年 宗教法人在日本南プレスビテリアンミッション淀川キリスト教病院となる
1978(昭和53)年 白方誠彌医師が院長に就任(1996(平成8)年まで)
現在も病院経営が継続されている。
・日本バプテスト病院

≪ユーリの二回分の質問≫
1. キリスト者の医者と非キリスト者の医者の相違点
冒頭で先生は、「キリスト信仰のおかげで豊かな人生を歩むことができた。数々の問題にも打ち勝つ力が与えられた」と、おっしゃいました。そこでおうかがいいたします。不謹慎な問いかもしれませんけれども、クリスチャンのお医者さまと、信仰はないけれども腕は確かだというお医者さまとでは、医学界の現場で、先生ご自身、何が違うとお感じになりましたか。
2. 死の床にあるキリスト者と非キリスト者の相違点
先週は、クリスチャンのお医者さまとクリスチャンではないお医者さまの違いについてお尋ねいたしました。50年間もお医者さまをなさっていると、死を看取ることもおありかと思います。(「数限りなくあります」と白方先生。)今回の質問は、先程の復活信仰との関係で、クリスチャンの患者さんとそうでない患者さんとでは、死の受容ないしは臨終に際して、何が違いますか。

これに対する先生のお答えは、またのお楽しみに...。

次回以降は、「ホスピスと信仰」「老いと信仰」「尊厳死と信仰」と題して、2月7日までの計3回、毎週木曜日の午後2時から4時まで、白方先生のセミナーが引き続き開かれます。もし、ご興味のある方がいらしたら、神戸バイブルハウスまでお電話ください。事務は、午前11時から午後5時まで、078-252-1966です。