ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

親の心配・子の苦労

実家の父から警告メールが届きました。私のブログを見たけれど、時間をもっとセーブすべきだというのです。
親というのは、いつまでたっても子どもの心配を続けるものだそうですが、わかってますってば。多分、こまごまと毎日長い文章を書いているので、(一日中パソコンに向かっているのではないか、眼を悪くし、ついでに頭も悪くするのではないか)とでも思っているんでしょう。

「大丈夫です」と一押ししておきました。実のところ、二十代の頃より目も疲れないし、視力も悪くなっていないし、充血も消えました。往復の通勤時間の約2時間かそこらで、英語版と日本語版の合わせて一日分のブログが書けてしまうのですから、どちらの方が有意義な時間の使い方でしょう?前から書いているように、以前ワードに保存しておいた文章やニュースを複写して掲載するだけの日もあります。ものの数分で終わってしまう作業です。

恐らくは、自分が、メールでもホームページでも操作に苦労しているので、こちらはもっと疲れていると想像しているのでしょうが、そもそも世代もパソコン機種も違うんです。杞憂です!うちの両親って、あの世代の名古屋育ちの割には恵まれて、ちゃんと税金で四年制大学まで出ているのに、変なところで前近代的な考え方をするんです。

毎日、家ではタイマーをかけて暮らしています。朝8時から20分間はスペイン語講座、正午にはラジオ体操、その後30分置いてドイツ語講座、と決まっているのです。その合間に、近所の小高い山への散歩も兼ねて、歩くか自転車で、往復一時間以内の買い物などに出かけます。念のため、毎日ノートにパソコン利用時間を記録してもいます。

ですから、高度経済成長時代の父のモーレツ社員暮らしより、余程健康的だと思っています!文章のアイデアや加筆修正なども、実は、家事や買い物をしている時に思いつくのです。(うーん、今日は何を書こうか)と、あたかも困って鉛筆を転がすように、パソコンを開いて画面を見つめることは一度もありません。また、思いついたら、買い物途中でも、鉛筆を取り出して、お財布に入っている紙の裏などにメモをしておきます。バスを待っている間もそうです。いつでも考えているから、すぐに書けるのです。そもそも、大した内容じゃないし...。

もともとは、研究テーマの公開が目的でした。今では、昔と違い、自分から主張していかなければ、なかなか周囲にもわかってもらえません。論文や研究発表でははみ出してしまうようなリサーチ上のエピソードなども、ここなら即時に、ないしは、時間をおいて総括して書くこともできます。むしろ、相互/共通理解の促進を求めての一手段と考えているので、親が心配するほどの労力でもないのです。むしろ、繰り返し書いているように、ブログを始めてから、元気いっぱいになってきました!

毎日のように書き続けることで、自分のテーマが公共化され、研究発表もやりやすくなります。一昔前とは、環境が変わってきたのですから、いつまでも閉ざされた内向きのやり方では浦島太郎子になると思います。

もしかしたら、本を読むならいいけれど、パソコンを見るなら馬鹿になるとでも考えているのかもしれません。そういう不要な誤解をさけようとして、わざわざ、借りてきた本やらCDの話も、時々入れているのです。または、個人情報の開示を心配されているか、そもそも恥だと思われているのかも…。それについても、対策は考えてあります。

現代文明の利器は、バランスを考えて賢く用いるべきだと思います。あ、タイマーが鳴りました。今日はこの辺で…。

(追伸)もし、今でも親の家で暮らしていたとしたら、学会や研究会通知が葉書か封書で来るものと思い込み、「すみません。最近、連絡がないんですが」などと電話か書簡で問い合わせをしていたかもしれませんね。言うまでもなく、今やほとんどの連絡はメールで来ます。著作の発行通知も学会ホームページに自分で入力するようになっています。ブログのおかげで、論文だけではうかがいしれなかった、その研究者の考え方や性格がわかり、コミュニケーション上も役立っています。