ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

家族をめぐる小話もろもろ

昨日は、アメリカから二通のカードが届きました。一通目は、学年上は大学院の後輩に当たるものの、年齢的にも仕事の経験上も私の先輩であり、アメリカで国際結婚をされた方からで、恒例の年次報告のようなお手紙が来たのです。もう一通は弟夫婦からでした。

数年前、弟夫婦が結婚の挨拶に来た時は、主人の健康状態が本当によくなかった頃でした。二人の前でも、「長時間座るのがつらい」と言ったのに、化粧も濃く、ネイルアートで派手な爪飾りをつけた彼女が、「大丈夫ですか」の一言もなく、自分のことばかり考えて、勝手に挙式の話を進めているように見えたので、(もっといい娘さんをお嫁さんに選べばいいのに!)と、小姑根性丸出しで、私は内心、怒り心頭でした。後で、主人も「あの娘、計算高いなあ」ともらしていましたし、父は父で、「あれ、歳いったから結婚あせっとるんだわ」と他人事のように笑っていました。んもう!何だか、親の言うことを素直に受けとめてマジメ一筋に生きてきた私が、一番、馬鹿をみているみたいじゃないですか!

でも、どうも実妹とは話が合うらしく、妊娠中も妹に電話しては、何かと相談していたそうです。写真を見ても、妹とどこか雰囲気が似ていますからね。若いうちには、めいっぱいおしゃれして楽しみ、勉強も仕事もほどほどに。結婚が決まったら、適当におしゃれも続けながら、家庭の奥さんとしてかいがいしく家族のために尽くす、そんなタイプなんです。
三歳違いの妹と私とは、小さい時から、顔立ちも体格も性格も趣向も、何かとタイプが異なっていました。親の方は、同じ色とデザインの手作りワンピースなどを着せて、幼稚園から高校まで同じ所に通わせましたが(そういえば、学部は違いますが、大学も一時期かぶっていました)、同じ親から生まれても、違うものは違うんです。ですから、末っ子の弟は、勉強や学校に関しては私に、趣味や遊びに関しては妹に、と使い分けていたんでしょうねぇ。妹の方が、学校の成績も運動神経も、私より遙かに上だったのですが、何というのか、要領がいいだけで、卒業すると何もかもさっぱり。大企業に勤務していたのに、お茶くみがいやだと言って、さっさとやめてしまい、今では平凡な主婦におさまっているんですから。(←かくいう私も、ですね!)

それにしても、甥っ子は本当にかわいい!私から見れば、まるで早く出現した孫みたいなんです。妹の子も、すっごくかわいい!やさしそうな顔をしています。

妹や弟には、それぞれ分身ができているのに、どうして我が家にはいないんでしょうか。結婚前、主人はよく言っていました。「僕にも自分の家庭がほしい。僕達の子、ぜったいにかわいいよ。どちらに似たとしても、色が白くて、目は大きい。これは確実。それに、頭のいい子に育ったらいいな」。
夢は、語っている間が一番楽しいもの。でも現実は…。結婚後一年して、突然の主人の発病。そして、私の研究テーマも、当初に予測していた以上にやっかい、といった感じなんです。私の場合は、それこそ、妹や義理の妹を見習って、要領第一でやれば、何とかなったのかもしれないですが、もしそうしたとしたら、たとえ表面的には形にはなったとしても、自分が自分じゃないみたいで、おさまりがつかなかったと思うのです。こればっかりは、持って生まれた気質というのか、個性というのか、どうしようもありませんね。

妹や義理の妹を遠くから見ていて、(平凡だけど、小さな幸せで満足できるなら、その方が人生楽しいのかもしれない)と、時々は思ったりします。彼女達がこの世に残せるものは、多分、子ども以外に何もないだろうけれど、無理せず日々の暮らしが営めれば、人生それで充分、なのかもしれませんからね。私のように、力もコネもお金もないくせに、「アジアの一員として、何かお役に立てることでもあれば」なんて大マジメに考えて、現実とぶつかって志気が下がるぐらいなら、彼女達の方が、現実的で、賢いといえば、賢いのかもしれません。

12月23日付「ユーリの部屋」では、1980年代のドイツ単独旅行の話を書きました。その4年後、妹も、大学の卒業旅行でクラスメート数人とグループを組み、西ヨーロッパへ行きました。例えば、ドイツならばロマンティック街道など、おなじみの有名観光地に寄っただけですが、うちの父なんかは明らかに、私の時よりも、妹の旅行ルートの方に興味を持っていました。そりゃあ、職場で同僚と話すにも、その方が世間映えしますからね。フランスやベルギーなど、洗練された場所にも出かけたんですから。父にとっては、私の場合は、見知らぬペンフレンド(と言っても、きちんとした中流家庭)の家に泊まり込んで得難い経験をしたと言っても、あくまで個人の話に留まるわけで、世間話のしようがないのです。

こうして考えてみると、主人も私も、亡くなった主人の母方の伯父も、どうやら似たような共通点があります。まずは、意志が強いと言えば聞こえはいいのですが、要するに、一徹なところ、これはお互いにそっくりです。そして、要領よく世間を渡ろうとする狡いヤツが嫌いなところ、これも似ています。さらに言えば、理想を実践しようと真面目に努力して、実現手前でなぜか挫折しそうになるところです。三つ目の点については、主人と私の場合、最後まで人生貫徹しなければ、まだ何とも言えませんけれども。

そう言えば、主人と結婚の話を進める過程で、家族紹介という段階になった時、まず妹を呼び出して、三人で蟹料理を食べてお茶を飲んだところ、後で、母にこっぴどく叱られました。「男はね、少しでも若い女性の方が好きに決まっている。妹の方に目移りされたら、どうするの!親に恥かかせる気?」
本人に言わせると、「は?僕、妹さんとだったら、多分、お見合いしても続かなかったと思うよ。性格も趣味も違うし、第一、話が合わないじゃないか」。

実は、母は単に、自分の経験からそう言っただけなのです。婚約中、父が母の実家に寄った際、母の妹、つまり私の叔母がお茶を出したら、母より多少は美人だということで、父は心が揺らいだのだそうです。「美人」といっても、かつて叔母自身が私の写真を見て、若い頃の自分と似ていると、手紙に書いてきたことがありますから、全然、たいしたことないんですが。ややこしいことに、弟と私は、互いに顔つきがとても似ていると言われます。つまり、父を誘惑した(?)という叔母の美人遺伝子(?)は、母を通じて弟と私に表出されているのです!

まあねぇ、時代が違いますから、その辺のことは何とも言えません。ただ、そういう結婚前後の揺らぎの話は、口が裂けても言うものじゃありませんね。とにかく、私にとっては、どっちでもいい話です。父と母が結婚していなければ、私もこの世に存在しなかったのですから。そして、妹も弟も、その子ども達も…。当の叔母は、妹が生まれる前、テレビのシャボン玉石鹸のコマーシャルに出てきた女の子に、私がそっくりでかわいいと言って、とっても可愛がってくれました。

それはそうと、私は、主人の好きなタイプを知っているのです。例えば、テレビに出ていた有名人なら、森田美由紀アナのような女性です。それから、私と出会う数年前、同僚のR子さんに好意を持っていたことがあり、グループで一緒にハイキングにも出かけたそうです。その時には、R子さんが妹さんを連れて来て、「うちの妹が、もっとお話したかったと言っていました」とおっしゃったとのこと。お目当てのR子さんは、と言えば、「学生時代から交際しているボーイフレンドがいるので、ごめんなさい」ということらしかったのですが。今は、北大教授夫人としてお暮らしのようです。(←R子さん、主人には、ちょっともったいなかったのでは?)で、残念ながら妹さんの方とは、主人は相性が合わなかったそうです。
R子さんに関しては、十年前の私共への結婚祝いのお品のセンスといい、毎年届くお年賀状の文字や文章といい、なんだか私までお友達になれたらいいなあ、と思うような方なんです。だから、主人の過去の女性関係について、私は全く心配したことがありません!

これらの話を総合すれば、結局のところ、きょうだいといっても、結婚相手の相性は、本人同士しかわからないものだという結論に落ち着きそうです。一昔前の日本社会での、親の決めた家柄結婚の悲喜劇や、中東地域や南アジアで聞くところの、いとこ婚や未亡人が亡夫の兄弟に嫁ぐという習慣を思い出すと、自分の結婚は自分で責任をとるようになった現代の自由に、感謝したくなります。