ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

これから私のとるべき道は...

疲れがたまると、どうも思考が循環したり否定的になったりしますが、ここらで気分を変えてみましょう。
鍵は、「自分に植え付けられた真の思いと願いに素直になること」です。これが私にとって、一番肝要な課題です。その他に気をつけるべくは、「人のものを盗まないこと(アイデアも情報もです!)」「他者を傷つける言動を慎むこと」です。そうでなければ、御心も働かないし、祝福が伴わないと、昔、教会でもキリスト教関係の本でも教わりました。
誰が何と言おうと、古今東西のさまざまな証言を見てみれば、この教えの真実性は明らかです。たとえ苦難の道を歩もうとも、理不尽な思いをしようとも、最終的には「後世の人が判断することだから、甘んじて受け留めればいい」のです。(と、昨晩もRさんから電話で諭されました。)

落ち着いて考えてみれば、私には私に与えられた使命も賜物もあるのに、雑念や世の動向に左右されて、充分に生かし切っていないわけです。マレーシア派遣も、本来、私の意志ではなかったのです。でも、決定した以上は、それも何かの御心なのだろう、使命なのだろう、と教会の人々がお祈りを続けて、私が守られるようにと、いつもお手紙をくださっていました。同僚も、受け取る手紙は私が一番多いとうらやましがっていたぐらいです。だから、決して環境が悪かったわけではないのです。

先日の大阪クリスチャンセンターでも、ご高齢の牧師がにこにことおっしゃいました。「ユーリさん、あの文章は、ユーリさんじゃなければ書けませんよ」と。今は名誉教授でいらっしゃる先生方にも、着眼点を褒めてくださったり、発想がいい、などと言ってくださる方がいらっしゃいました。
ですから、本当に、失礼といえば失礼な私ですね!これが私の弱さなのです。使徒パウロが「私の肉体のとげ」と書いたように、私にとってのとげは、ここにあります。私の文章で不愉快になられた方へ、お詫び申し上げます。
ただし、出て行く場所や所属先や接触する人々については、その背景も含めて、よく吟味する必要がありそうです。偶然的出会いや機会的平等に依存するのではなく…。不快感を覚えながらも「私は私」と頑張るのは、筋違いですからね。やっぱり、研究発表で出て行く以上は、すばらしい演奏会や充実した講演会のように、内側から深い満足感を覚えるような、あるいは、和気藹々と意見交換ができるような、刺激ある建設的な会合がふさわしいはずなのです。肩書きや所属にぶらさがるのも醜いものですが、はっきり言わなければ通じない相手も、昨今、増えてきたのですから。

ところで昨日は、2007年11月5日付「ユーリの部屋」でもご紹介した後藤文雄神父さまの新刊発売日でした。『よし!学校をつくろう:神父ゴッちゃんの履歴書講談社(税込1575円)です。神父さまのサイン入りご著書が欲しい方は、事務局へご連絡ください。AMATAKカンボジアと共に生きる会です。
帯には次のようにあります。「愛する家族や友だちが多く死んでいったのに、なぜ自分は生き残ったのか。私自身、その問いをくりかえしてきた。カンボジアの母なる大地で、その問いにたいする、一つの答えを見出した。それは、子どもたちの未来に希望を託すこと。大人たちが勝手に始めた戦争によって、自分たちが味わった苦しみを、二度と子どもたちに味わわせたくないという執念が、私たちを突き動かした。」
後藤神父さまは、2007年9月21日に毎日新聞大阪本社オーバルホールで『第19回毎日国際交流賞』を受賞されたとのことです。(え、大阪に来られていたんですか?それは知りませんでした。ご連絡くださればよかったのに)と、かえすがえすも残念です。毎日新聞を購読していないからということもありますが。早速、事務局に連絡してコピーを送っていただきましょう。

カンボジアとマレーシアって何か関係あるの?」と言われそうですが、マレー人とカンボジアとの関わりに関する発表を、昨年の東南アジア学会で聞いたことを思えば、そういう問いそのものが容赦なく非専門的です。しかし私にとっては、個人的に偶然とは思えないつながりを感じています。マレーシア派遣から帰国してすぐに、カンボジア難民の家庭教師アルバイトを通して、後藤神父さまと知り合えたのですから。その神父さまにしても、カトリックヒエラルキーの下、司祭を続けるかどうかで長年悩みつつ、売名行為だと悪口を言われながらも、カンボジアの子ども達14人の父親を務め、結果的には学校作りなどの社会貢献が公的に認められたのです。
かつて私は、神父さまに申し上げたことがあります。「それは、全世界に広がるカトリック教会のネットワークとバックアップがあるからですよね。さすがはカトリックだと思いますよ」。すかさず神父さまもおっしゃいました。「いや、プロテスタントの人だってよくやっていますよ」。神父さまと親しい日本基督教団の牧師がいらっしゃるとうかがいましたが、残念ながら、お酒の席でしたので、お名前を失念してしまいました。

それから、緒方貞子先生。後藤神父さまに言わせれば「あれは、信仰だね」とのこと。「危ないところにも、平気で飛び込んでいく。あれは信仰なしにはできない」。通常は、大学の先生としての業績やら華やかで恵まれた家系やらを云々してしまいがちですし、うがったジャーナリストなどは「華麗なる日本のカトリック人脈」などと書いています。でも、カトリック司祭の目には「信仰から来ている」と解されるようなのです。その認識の差違は、非常に重要です。ちなみに、神父さまは、同じ難民活動をしていて親戚同士であっても、犬養道子氏が大嫌いなのだとかつて私に言われました。超保守的であり、人脈コネを使って動くからだそうです。同じカトリックでも、動機の部分や手口はちゃんと見られていますね。
1989年12月15日に名古屋大学農学部までご講演で来てくださった緒方先生を、私も間近で拝見しました。「相互依存の世界と国際政治」と題して、午後三時から五時までたっぷりとお話をうかがったのですが、とても明快で、妙な理屈をつけない具体的なよいお話でした。文字通り大学ノートご持参で、それを時折見ながら、共産圏崩壊後の予測とEUの動向について話されました。一番印象的だったのは、マニキュアのピンク色が美しかったこと、品のよい落ち着いた話し方、それでいて、質疑応答では最後まで質問を聞かないでさっさと答え始めること、中国からの男子留学生に対しては、身を乗り出して質問を聞いていらした姿でした。
当時はやりの「国際派女性」とは、英語で自己主張のできるけたたましい女性のように一部で喧伝されていたのですが、本当はそうでない、という実績を見せていただいたように思います。非常によい経験でした。
その時の私は、マレーシア派遣がもう決定していたのですけれども、マレーシア滞在中にそれが充分生かせたかどうかについては、大いに疑問があります。環境が大事だと繰り返しているのは、そのためもあります。