ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

「断捨離」は「登録商標」か?

http://agora-web.jp/archives/2034370.html


「断捨離」を勝手に使用してはいけません。ご注意下さい!
尾藤 克之(コラムニスト)
2018年8月22日


・モノが増え、仕事が遅れる元凶は、<先送り><何かあったら><もったいない>と考える一連の思考の流れ。これが、仕事の詰まりを生んでしまう。


・「デスクの上には進行中の仕事の書類だけを置く」「書類は基本的に読み終えた瞬間に捨てる」「名刺をとっておく意味はない


・やましたひでこ(著)『捨てる。引き算する勇気』(幻冬舎)を紹介


・「断捨離」の提唱者である。余計なモノを減らし、余計なコトを減らし、余計なヒトを減らすことで余力が生まれる。「断捨離」を日常に落とし込む方法とはなにか。


・この9年間、「断捨離」を出版というカタチで、初めて世に問いかけて以来、周囲の「捨てる」行為への無理解と抵抗の中を、ずっと歩いてきたと回想している。「断捨離」のカリスマとして、多くのメディアに露出しながらも、著者は「断捨離」を提唱したことに苦しんでいたのである。


・間違った「断捨離」の流布ではないかと推測


・「断捨離」は「捨てること」ではない。


・「断捨離」の正しい解釈は、モノに対する執着から解放されることで、心のガラクタも整理され、「今」を自分らしく生きようとする考えである。意識改革や自己改革と言えばわかりやすい。


・仕事ができる人にはどのような特徴があるだろうか。
(1)レスポンスが早い (2)意思決定が早い (3)的確に話ができる (4)慌てることがない(5)価値観が明快である (6)時間に正確 (7)教養が豊か。


・「こうした方々は、男女を問わず、職場でも家庭でも『できる人』という評価を得ています。彼らに共通しているのは、よけいなことに振り回されず、大切なことに絞って思考し行動しているという点です。」(やましたひでこ氏)


・人生や仕事に目的を持ち、目標を設定し、最短で成果を出していくためには、よけいなことをしないのが鉄則


・捨てることはプロセスであり、重要なことは「自分にとっての大切なモノ・コト・ヒト」を選択することだとしている。この選択ができることで上手くまわるようになる。


・「断捨離」は著者の登録商標になるので、無断で使用すると商標権の侵害になる。


登録商標を知らない人が勝手な解釈で「断捨離」を流布させてしまう。これまでは、著者も強く権利を主張してはこなかった。間違った解釈が広まることについて、感じた呵責はどれほどのものだったのか。察するに余り有る。


・HPで調べると、相当数の完全一致、類似の違反が確認できる。


・何ら悪気はなかったとしても、相応の意図や目的をもって商標登録するのである。勝手な侵害は許されない。さらに情報を精査してから、しかるべき対処をとりたいと思う。

(部分抜粋終)
上記の文章は、論旨が一貫していない。前半は「断捨離」の勧めを解説し、仕事のできる人は「断捨離」を実行しているかのように述べる。ところが後半は、「断捨離」は著者の登録商標であるとし、勝手な解釈で流布するな、自分も違反されて迷惑している、という話にすり替わっている。

「断捨離」については、過去ブログでも言及したことがある(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20141208)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20160622)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20160922)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20170313)。

以前も書いたことだが、この頃では、医療機関のデータ保存は「5年間」が原則となっているらしい(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20161222)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20160126)。増加し続ける患者数に対して、人口減少に伴う負担も増加するばかりの昨今、古い情報データは、パソコンに保存してもパンクしそうな実態があるからであろう。
また、役割分担をすることで「ワーク・シェアリング」をし、「輝いて働き続ける女性」や「働き続けたいシニア」を増やす提言がなされている(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20150408)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20170805)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20180728)。これに乗ずる形で、「断捨離」とばかりに、医師も自分の担当以外はさっさと切り捨てて、軽やかに「できる医師」を演じているケースもある。

この場合、仕事がより煩雑になり、トラブルが増加することが予見できる。というのは、一見、合理的なようでいて、実は社会主義思想そのものだからである(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20131116)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20170408)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/archive?word=%BC%D2%B2%F1%BC%E7%B5%C1%BB%D7%C1%DB)。
(1) 人間の寿命は5年毎にリセットされるわけではない。医療データを5年毎に処分していたら、その場ではスッキリするかもしれないが、病歴の記録も同時に消されてしまうわけで、難治病や治療に時間のかかる場合は、「記録が残っていないので、こちらでは対処しかねます」という馬鹿げた話になる。
(2) 「ワーク・シェアリング」をすれば、例えば高度専門職の女性が、結婚して出産しても働き続けられるという幻想を、無責任に喧伝する場合がある(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20131024)。ところが、この場合、連携プレーが滞りがちで、責任の所在が曖昧化する。機転もきかず、臨機応変の対応ができないため、時間のロスを生む。フランスのように、休暇取得や休暇を邪魔されたくない権利ばかり主張すると、なし崩しに連絡が滞り、能率が下がり、ひいては国力が低下する。
(3) 「断捨離」では、精神の拠り所まで捨ててしまい、心の病にかかる人が増加することだろう(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20161201)。日常の整理整頓は重要だが、何を保存し、何を処分するかは、個々人の好みや人生観による。
例えば、うちの主人の場合、50年以上前の幼稚園の頃のワークブックやお絵かき帳が実家から送られてきたことによって、私自身がよりよく主人を理解することにつながり(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20161102)、古い思い出を宝として、この先の人生を頑張る意欲が湧いてきたのである。もしも、「子供の絵なんて」と義理の両親が捨て去ってしまっていたとすれば、遠慮深くて自分を語ることをあまりしなかった主人を、30代で出会ってからの時間帯でしか、私は知らなかったことになる。
医師も同じだ。地域医療でかかりつけ医を持つことの利点は、同じ水と空気によって同じ地域で生活をする人々の傾向を熟知する医師が、保健所や町の行政指導に基づいて、公正かつ親身に個々人を診ることができる点にある。顔なじみになっておけば、いざという時にも、経験の蓄積から判断が可能であろう(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20171114)。
5年でカルテを処分する大病院や大学病院の場合、担当医が定期的に変わる可能性もあり、コミュニケーションの連携プレーが取れないことも考えられる。また、事務職には非正規雇用の人も含まれるかもしれず、医師に対して引け目を感じて、医師が言ったことをオウム返しに患者に伝えて激怒させるケースもあり得る。
一昨日と昨日の私の事例がそうだった。
進行性難病を抱える主人(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/archive?word=%BF%CA%B9%D4%C0%AD%C6%F1%C9%C2)の定期診察(二、三ヶ月に一度の割合)に、私が付き添って大学病院へ行ったのだが(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20090226)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/archive?word=%C2%E7%B3%D8%C9%C2%B1%A1)、担当医が突然、毎年この時期に恒例の、保健所への診断書提出の求めを「今日はできない」と断ってきたのだった。次の診察は11月とされた。
従来は、この時期になると、診察の時に封筒に入れたパソコン打ちの診断書が医師から手渡されていた。今回も、保健所の書類は6月に送られてきており、私も書類を全部揃えて複写を取り、後は診断書のみだった。手続きは、来月上旬と決まっている。
診断書窓口との激論の後、私は(1)変更通知が事前にないのは困ること(2)「診断書ができるまで病院で待つ」と申し出たのに不可とされたこと(3)システム上の問題なのに、個別対応は不可だとして、診断書の遅延による交通費や郵送費の手間暇が患者負担になるのは解せないこと、等を病院内の意見書に書いて箱に入れてきた(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20070906)。
国立の機関は、我々国民の納税によって成り立っているのに、何たるザマか。事務とのやり取りも、言葉が日本語だけで、まるで1990年代初期のマレーシアの大学や銀行のスタッフとの英語やマレー語でのやり取りかと思うほど、酷似していた(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20171128)。
夫婦で朝一の診察を受けたのに「個人情報ですので、患者さんのデータは教えられません」と抜かす。「先生が今日はダメとおっしゃっています」「先生がお決めになることです」「奥様かどうか、患者さんの委任状が必要です」と繰り返す。「患者番号と名前」を尋ねておきながら、「それにはお答えできません」「個別対応はいたしかねます」の一点張り。画一的で機転が利かないというのか、想像力が働かないというのか、臨機応変ということを知らないのだ。
そういう時はまず、「こちらでお調べして、折り返しお返事します」と言うんですよ。その一言が、なぜ言えない?
先生が「今日はダメ」とおっしゃったならば、「では、いつなら可能ですか」とお尋ねするのが、事務方の役割なんですよ。言われたことをそのまま患者に口伝えするなら、ロボットと同じだ。
「口を開く前に考えなさい」「最後までこちらの言うことを聞きなさい」と、マレー人に対して華人がよく文句を言っていたが、全く同じことを、今回、私も病院の事務職に言った。何だか、途上国にいるような感覚だった。
立腹したまま、担当の保健所へも通報したところ、「難病事務担当」の男性が即座に理解してくださり、対処法を教えてくださった。
その後、病院へ電話をして、コミュニケーションの不備と論旨の非一貫性を指摘し続けたところ、夕方になって「診断書が窓口に届きました」と電話があった。やればできるではないか!だから、「今日一日、病院で待っています」と申し出たのだ。
しかし、台風が直撃しそうな昨今、6月のように大地震が再び発生するかもしれないのに(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20180619)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20180620)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20180621)、ただでさえ不便な暮らしに甘んじて十数年の患者の家族を、多忙の中、翌日の半日、余計に無駄足を踏ませる意図は何なのか?
大学病院の医師にとって、難病患者等は自分の研究のデータとしてのモルモットでしかない。簡単に言えば、学会発表をして、研究論文ができれば役割は終わっている。従って、医師である自分の度重なる遅刻や重要書類の遅延行為が、患者や家族や職場や病院スタッフ全てに影響し、回り回ってどれほどの国力低下に結びつくか、何も考えていないのだ。
医師になるための医学の勉強ばかりして、一般常識が働いていない。これでは、患者の症状やQOLを悪化させることに医師が貢献しているようにも見える。
初期に出会った熟練のお医者様方と助手は、対処がテキパキと的確で、病状から先を見越して応対してくださり、本当に今では懐かしい。
ここでは、女性も男性もなかった(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20180813)。高度な専門知識と経験に加え、教養と常識に恵まれた、患者本位の優秀な医師かどうかが鍵だ。
その場合、簡単にカルテを5年で機械的に処分しているようでは、研究職としてはダメ医師の典型である。また、「女性枠」(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20140322)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20170629)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20170709)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20180606)で下駄を履かされた無能な医師も、ダメの二乗である。
「断捨離」は「登録商標」ではない。間違えるな!