ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

国情の違いが感覚の差異を生む

差別や偏見だと指摘される向きもあろうが、自分の心(良心)を曲げてまで、違和感を覚える状況に合わせる必要はないのではないだろうか。真に祝福の伴う人生にしたければ、残念だが、きっぱりと筋を通さなければならないこともある....とつくづく感じる経験をした。もしここで妥協してしまったら、結果的に、私はナイーブでお人好しで、洞察力に欠ける人間だということを意味する上、間接的に傷つけることになる人々が複数出現することになるだろう。
情報は、表に出ている情報に、裏情報や周辺情報も加味して、クロスチェックとして検討しなければならない。社会情報のみならず、いわゆる個人情報も同じである。本人がそう言っているから事実もそうなのだとは、健全な環境であれば疑う余地もないが、何かしら不安や疑念や落ち着きの無さが伴う場合は、縦横軸や斜めからの周辺情報の収集を怠らないことが大切である。
人の本質を見抜く尺度に「金・女・酒・時間・食事」に対する態度があるが、やはりここで、自分の感性と合わないことが判明したならば、思い切って去る決断をすべきだ。「プライベートとは別にして仕事として割り切る」「距離を置いて関わらなければ良い」「職業上の才能があるならば、私生活は関係ない」「そもそも他人が介入すべきではない」「本人がよければ良い」という考え方もあるかもしれないが、もしも、当事者から聞いて理解していたつもりになっていたことや公開情報に基いて知り得たことと、現実の実態がかけ離れていたことを知ったならば、そこで自ら判断をし、どうするか決断しなければならない。そうでなければ、自分も同類として扱われ、社会的信用が問われよう。
「朱に交われば赤くなる」「人は付き合う仲間で判断される」「襤褸をまといても心は錦」「何を守るよりも、自分の心を守れ。そこに命の源がある」(箴言4:23)「肥えた牛を食べて憎み合うよりは/青菜の食事で愛し合う方がよい」(箴言15:17)ともいう。
結局のところ、個人の自由だとかプライバシーの保護という以上に、道義性(moral)や倫理観(ethics)の問題である。
詳細は書けないが、最近、あることを機に、あまり普段は考えたこともない日本の習慣や物事の捉え方を振り返るきっかけが与えられた。西洋ではムスリム移民政策の話題で盛り上がっているが、日本の場合、昔ながらの戸籍制度が固く守られて崩されなければ、イデオロギー論争や政策云々をいじらなくても、主流の国民感情や伝統尊重によって、何とか今後も現状を維持できるのではないかと愚考する。むしろ、個人の自由尊重をあまりに広げ過ぎると、どこか無責任で放埒な社会が待っているということでもある。
知的には多少の刺激があり、視野が広がったとはいえ、いったん離れてみるとほっとしている自分がいる。つまり、これまで相当の無理もあったということだろう。前もって予期しておいたことが功を奏して、機を捉えてチャンスを得た面も少なくないが、一つだけ叶わなかったことがあり、それは惜しいことをした。それとて、私も含めてではあるが、当事者にもっと自制と配慮があれば、何とかなったかもしれないのだ。
国が違えば、国益も史観も文化も価値観も感じ方も異なるのは当然である。民族も言語も宗教も違うのだから、予想通りや思い通りにならなかったからと、その相違に橋を架けるべく努力を試みた側を責めるとは、筋違いも甚だしい。
職業と私生活は別という考え方もあるが、普通は相互に関連があるのではないだろうか。やはり私生活がある程度、健全でノーマルであれば、安心感や信頼感や協力体制が自然とできて、仕事もやりやすくなり、成果が上がるのではないだろうか。露出度は高いのに私生活を隠そうとする人がいるとすれば、周囲に何か腑に落ちないものを感じさせないだろうか。
そして、幸福の追求権だとばかりに、自分のことだけ考えて好き勝手にするというのは、幸せでも何でもない。単に軽薄で思慮に欠け、周囲への影響や後先を考えない刹那的な欲望を満たしているに過ぎない。そもそも不釣り合いで不健康であり、長続きしないのではないだろうか?社会の安定や子孫の福利安寧に対する責任は、どこにあるのだろうか。
「家庭をきちんとおさめてこそ、配偶者に忠実であってこそ、国家機密への忠実さにつながる」と2015年春のイスラエル旅行の時に教えてくれた、国防総省勤務のマーク・シリンスキー博士のことを思い出す。逆に言えば、もしも家庭が崩壊しているならば、国家への奉仕などもっての他であり、紛争への和平なども提言する資格の前提がないのだ。そういう言動不一致から得たものを、報酬として受け取るべきではない、と私は思う。
若い頃に立てた志を一途に追求することは、果たして成功と呼べるか?もし国情が変わり、周辺状況も変化したならば、まっすぐ一筋が妥当だとも言えないかもしれない。

どんな強弁や論理を振り回してみても、常に何かとトラブルがつきまとっている人からは離れた方が安全ではないか。メールやウェブサイトの情報だけで信用するのは、危険ではないか。短期間のお客さんなのだから、表面的なおもてなしだけであっさりと済ませた方が洗練されているとも言えるが、直感的に抱いた根本的な違和感に対して正直でない自分がいたとすれば、将来的に何か問題を招聘することにならないだろうか。
人を見る目の有無が疑われ、元の家庭や家族への責任感が問われ、人間関係の基本的な信頼感覚に欠け、ひいては社会の安定への努力に欠け、一面で社会的信用を喪失していると言えるのではないか。そして、記憶力や高潔さや洞察力というものが低下しているのではないか。
つまるところ、目下はよくとも、人生が全体として投げやりになるのではないだろうか。
倫理観がない人は、「自分が‘幸せ’であれば満足」で、自分さえよければいいという自己中心的で他人を蹴落とすタイプなのだという。つまり、信用するには危険な類に属するようである。
ところで、日本には「バツ2」「戸籍が汚れる」という表現がある。子ども達が負う深い心的傷を考慮するならば、なぜその表現によって暗に当事者の大人が社会(世間)的に非難されるのか、よく考えなければならないだろう。
反面、「所帯を持って一人前」という言葉もあり、家庭持ちの既婚者は社会的信用が増すというのが、従来からの日本のあり方ではなかっただろうか。「無理に結婚しなくても」「本人の意志を尊重して」等と物分りのよいことを言っていると、社会がモラトリアム化してしまうだろう。
世間の勉強として、以下のサイトから抜粋を。

http://mamastar.jp/bbs/comment.do?topicId=2403647&sort=1


二度あることは三度あるって言うしねぇ。無理、バツイチでも無理なのにバツ2って(笑)/そんな欠陥人間となんか早く離れた方がいいよ。/バツ2は絶対に難ありだよ/その人、口上手くて穏やかで人当たりいいカンジ?/騙されちゃいかんよ/経験者は語るだよ/自分だけは前の奥さんたちとは違うとか思ってるのかも知れないけど、そいつは病気だから同じ目にあわされるよ。同じことを2回繰り返してるんだからね。/嘘つきに×つく人多いよね。/バツ2じゃ、まともな女は誰も寄り付かないから、相当必死で口説いてるんだろうね。二度あることは三度ある。/知り合いにいるけど、バツ2に見えないというか、誠実でいい人。話してても穏やかでなんでこの人が二回も…って思うけど、やっぱり難があるんだよ。深くつき合うとボロが出てくるんじゃない?/ここまでみんなの意見が一致することってそうないよね。クズ男確定ってことで。/ちなみにその人は、とにかく仕事が続かない。知り合って3年くらいだけど、私が知ってるだけでも4〜5回くらい職場が変わってる。/会社にいるわバツ2男。仕事出来るし、穏やかで悪い噂なんて聞いた事なかった。でも、外面のいい自分の事しか考えない浮気野郎だったと聞いて、みんな意外過ぎてア然!深く深く付き合った人にしか本性分からないみたい。/私は他の女とは違うなんて自負してた部分があったんだな。見事にバツ仲間になっちゃったよ。/バツ2は難ありだわ。まともではないね。友達でもやめた方がいい。

(部分抜粋引用終)
なかなか辛辣だが、本音を吐露している分、信憑性が高い。これが現在の日本のあり方だとすれば、まだ西洋と比べて健全性が残っていると言える。

https://onet.rakuten.co.jp/konkatsu/survey/knowledge/data/2016051701.html


離婚は1回までとする女性が多数!


一回目の失敗は許せるとして二回以上の失敗は離婚を繰り返す癖がついていると思う。
色々と問題がある人なのだと思ってしまいます。
離婚歴は多くないほうがいいです。あまり多いとその人自身に何かあるのかと思ってしまいます。
2回以上の離婚経験があると、何かあるのでは?と疑ってしまう人もいるようです。また、離婚が軽い存在となってしまい、自分と結婚しても些細なことですぐに離婚をされてしまうのではないかと心配かもしれません。
許容なんか出来ません。一度でも離婚する人は新たな原因を生みます
私は男の人の離婚は責任感のない人と思っているので離婚歴のある方は嫌です。
離婚そのものを否定する考え方もあり、一度離婚を経験した男性は信用できないという厳しい意見もいくつかあがっています。

(部分抜粋引用終)
一度はやむを得ないかもしれないが、やはり厳しい意見の存在は貴重である。

https://www.plus-yokohama.com/column/18repeat.html


・昨今では、結婚した夫婦3組に1組が離婚している時代です。 諸外国と比較すると、例えば米国では45%近くが離婚に至ると言われているように、日本の離婚率はまだまだ少なめで世界ランキングでも20位以下となっていますが、それでも日本人の認識としては離婚件数は増えてきたと感じる方も少なくありません。


・一般的には、離婚における良いことや悪いことの経験を踏まえ、再婚に対して慎重になる方が多いのですが、離婚に対するマイナスイメージや障壁が低くなったことで、「また違う人を探せばいい」「一度でも二度でもあまり変わらない」というような意識になり、離婚という貴重な経験を活かせずに、離婚と再婚を繰り返してしまうケースが多くなっているのかもしれません。


・どちらかというと恵まれた環境にある人ほど、気に入らないことがあると他人のせいにしてしまう傾向があります。このような人は自己分析力に乏しく何事も他人のせいにする自己憐憫型の性格なので相手に合わせることが不得意です。結婚生活が破綻したのは相手のせい、自分は悪くないのに・・・と、何につけてもうまくいかない状況をパートナーの責任にしてしまうのです。自分を客観的に観ることができて分析力があるならばバツ2、バツ3を回避することができるのではないでしょうか。

(部分抜粋引用終)
この件に関して、世界ランキングは低いままの方がいい。米国の影響など、断固、ご遠慮申し上げるべきである。自覚なしに日本に影響を与えたがっているはた迷惑な人もいるようだが。

https://matome.naver.jp/odai/2143532778688975401?page=2


・家族を失ったら労働意欲まで低下しそうですね・・・

・病気や老後の事を事前に考えて置く必要があります。

・独り身の老人、孤独で寂しすぎる・・・家族が恋しい・・・

・本当の幸せとは・・・目に見えないものだったのかも・・・

・今までうまく生活できていたのは、妻がいたからだったと気付く男性から見ると、料理・洗濯・掃除などの家事は簡単に見えるかもしれません。しかし、実際に自分でやってみると意外に時間が掛かるうえに、あまり良い結果ができないというのが一般的です。

・自分の不倫による離婚は、後悔してもしきれない

・よくよく考えると夫婦円満は世界平和にも通ずる素晴らしいこと。

離婚して身も心もボロボロになる前に、今一度、愛のある家庭を考えてみることをおすすめします。

(部分抜粋引用終)
確かに、家庭円満が社会の安定につながり、ひいては世界平和への希求も生まれるのだ。小さな足元をしっかりと固めないで、なぜ混乱地域に向かって大言壮語する?

https://oshiete.goo.ne.jp/qa/8628548.html


事の顛末を考えないからそうなる。歳の差婚が成立するのは、人並み外れた資産がある人だけです。多くの夫婦を見てきましたが、歳の差婚は、資産家以外ほぼ全滅(離婚か、離婚しなくても困窮)です。
まぁ、そもそも、婚姻に適さないからバツがつくんですけどね。
バツ2ということは、何かしら彼に問題があるんですよね・・・

(部分抜粋引用終)
「人並み外れた資産」と言っても、上には上がいる。それに、その資産目当てでくっついているとすれば、なおさら品性に欠けるのでは?

https://www.newscafe.ne.jp/article/2015/10/08/1714020.html


15歳差を越してくると年上の方に「同世代と価値観が合わない幼稚な人なのかしら」と思ってしまう。

(部分抜粋引用終)
「愛さえあれば年齢差なんて」という言い訳もあるが、現実を手堅く生きるのがよいと思っている者の目には、会話にも、容貌にも、しぐさにも、何だか不自然さやチグハグ感がつきまとう。親子ほども差があると、最初は親切に世代の差異を埋めるべく説明しているようでも、次元が下がってくるのはやむを得ないし、年下の方は無理に背伸びをするので、誰にとっても会話が疲れてくる。
おまけに、食に偏りが著しい人の場合、会話にも行動にも楽しさがない。つまり、「少々難あり」なのだ。簡単に列挙すると、「我儘で自己中心的」「妙に頑固で意地っ張り」「協調性に欠ける」「疲れやすく、文句が多い」ということになる。
『ハフィントン・ポスト』にも書いてある。

https://www.huffingtonpost.jp/2015/01/13/8-signs-marriage-doomed-_n_6460484.html


社会学の学会誌「Social Forces(社会的な力)」に掲載された研究によると、離婚は社会的に「伝染」するものであり、友人や家族に広がる傾向があるという。友人や隣人など、あなたのネットワーク上の誰かが離婚した場合、あなたが離婚や別居状態に陥る可能性は75%も上昇する。さらに悪いことに、同研究を行なった研究者らは論文で、「離婚した人間は離婚の傾向を広げ、友人ばかりか、友人の友人にまで影響を与える可能性がある」と述べている。


・エモリー大学の研究がさらに明らかにしたのが、年齢に大きな差があるカップルは離婚する確率がかなり高いことだ。10歳の年の差がある夫婦は、同年齢の夫婦よりも離婚する可能性が39%も高い(20歳では95%高い)と、「アトランティック」誌が伝えている。

(部分抜粋引用終)
ここまで来ると、もう逃げるしかない。アメリカの影響を受けたくないのは、広大な土地に住む移民社会のため、肯定面では活力とダイナミズムに満ちていると言えるが、その一方で、相互理解やコミュニケーションが雑になり、ちょっとした言葉の行き違いで、簡単に人間関係が壊れたり疎遠になったりすることが慣例化しているからだ。つまり、長期的に人間関係を円満に保つ知恵や工夫が少ないように感じられるのだ。
ところで、転職すると「履歴書が汚れる」と、終身雇用が当然だった頃の学生時代に聞いていたが、日本では、戸籍だって「汚れる」のだ。

http://kiseki-i.net/contents_139.html


「戸籍が汚れる」、「戸籍をきれいにする」ってどういうこと?


日本の法律では世帯ごとに戸籍があり、結婚した夫婦は同一の苗字を名乗ることになっています。そして結婚した夫婦が離婚する際は、結婚時に改姓した方は、①姓を旧姓に戻すか、②改姓後の姓を名乗り続けるか、選ぶことになっています。


女性が男性の戸籍に入る(=入籍)ことになり、離婚するときは男性の戸籍から抜ける(=除籍)となります。除籍になる方は新たに戸籍を作るか、親の戸籍に戻る(=出戻り)ことになります。


離婚の時点で、戸籍の変遷は
①出生(本人の誕生)届け 
②親の戸籍からの除籍 → 結婚のための入籍 
③離婚のための除籍 → 離婚後の戸籍
となります。

その後再婚、再々婚をすると、戸籍は上記の②、③の手続きを繰り返すことになります。


結婚・離婚の事実が戸籍にしっかり残るので、いわゆる「戸籍が汚れる」ことになっていきます。ちなみに離婚すると戸籍に「×」がつくので、ここから「バツイチ」という言葉が生まれました。


「きれいな戸籍」にするためによく行われているのが、転籍です。つまり、本籍地を別の住所(他の市区町村)に移してしまうのです。ただし過去の事実が消去されるわけではないので、戸籍をさかのぼれば、結婚や離婚の履歴は残っています


住基ネットが運用されている昨今、戸籍の必要性も問われてきています。今後戸籍がどうなっていくかわかりませんが、戸籍は生まれてからの履歴です。

(部分抜粋引用終)
この「戸籍制度」に関する基本的な理解なしに、「日本文化を称賛している」「日本の移民政策が気に入っている」と言わない方が賢明ではないだろうか、とつくづく感じた。思慮が浅くて視野が狭い印象を与えるからだ。
では、最後に、駐日アメリカ大使館はこのような日本の戸籍制度をどのように記述しているのだろうか。これまた興味深い事実が出てきた。

U.S. EMBASSY IN JAPAN(https://jp.usembassy.gov/u-s-citizen-services/child-family-matters/marriage/family-registry-system/


Japan’s Family Registry System


The following information was provided to the U.S. Embassy by the Japanese Ministry of Foreign Affairs.


Overview of Japan’s Family Registry System


1. Definition
Japan’s family registry system serves to record and certify an individual’s identity and family relationships on the basis of family law. Because this system is closely connected to the lives of the citizens of Japan, it is administered by local governments (municipalities) in accordance with the relevant legal provisions, with involvement by the central government as necessary in the form of directives and other measures.


2. Significance of the Family Registry System
A family register (koseki) is an official document that records and certifies the identity and family relationships of Japanese citizens on the basis of family law. The principal items recorded and certified in a family register are (1) an individual’s full name; (2) gender; (3) birth date and birthplace; (4) parental relations (names of parents, relations to them, etc.); (5) spousal relations (name of spouse, date of marriage, date of divorce, etc.); (6) data related to the death of an individual (date, time, place of death); (7) name of legal custodian or legal guardian; and (8) data related to inheritance, such as the disinheritance of a presumed heir. The information recorded in each family register is based on formal declarations made by citizens to their local government (municipality) at the time of a child’s birth, marriage, etc. Such registers are maintained only for Japanese citizens; as they are not established for foreigners, they also serve to certify Japanese citizenship.


3. Validity of Entries in a Family Register
A family register lists information about key life events including birth, death, marriage, and divorce. It is an official document certifying this information, and as such the entries are presumed to be true and valid. Making a false declaration resulting in an entry in family register not in accordance with true facts is punishable as a criminal act under Article 157 (1) of Japan’s Penal Code (“False Entries in the Original of Notarized Deeds”).


4. Administrative Authority for the Family Registry System
The family registry system IS administered by local governments (municipalities), and as such the mayors of those local governments (municipalities) are invested with administrative authority as the executive agent (Family Registration Act, Paragraph 1 of Article 1 and Article 4).

(Excerpts)

換言すれば、現代では変遷を経ているとはいえ、八世紀から戸籍制度に慣れ親しんできた日本国民に対して、上述のような「今の自分が楽しければいい」とでも言いたげな言動で接すれば、どこか摩擦が生じるのは必至ではなかっただろうかと、ここまで書いてきてようやく合点が行ったのである。