ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

本名で自己定義を

最近、多言語表示が増えて賛否両論かまびすしいが、日本国内は日本語表記で統一していただければと私は願っている。外国人向けには、適宜パンフレットを用意したり、英語訳をつけることで対処可能ではないだろうか。
以下の名前の問題も、それに準ずる事柄である。通名ではなく、本名で自己定義するのが筋ではないだろうか。
アイデンティティが曖昧な人ほど、相手や文脈に応じて使い分けをし、自分では世渡り上手だと思っているのかもしれないが、とんでもない話であると思う。
蓮舫氏のことは、あまり好きではなく、従ってよく知らないが、以下の記事によれば、結局のところ、「謝」「斉藤」「村田」という三つの苗字を使い分けてきた人生のようだ。そういう人が国の頂点ないしは代表に立つということの意味を、アメリカ大統領の事例からも、よく考えなければならない。

アゴラ(http://agora-web.jp/archives/2020861.html


「せめて戸籍通り村田蓮舫で首相をめざして欲しい」
2016年8月15日
八幡 和郎


蓮舫さんのお名前については、詳しい経歴を公表することを拒否されているので正確なところは不明だが、少なくとも中華民国独国籍だった18歳までは謝蓮舫、法律改正があって二重国籍になって蓮舫斉藤蓮舫のダブルネーム(?)、そして22歳以前のどこかで日本国籍を選択して斉藤蓮舫のはず(日本政府に中華民国籍を放棄すると宣言しているが、本当にしてるかどうかはその時点での法運用がどうだったか不明。現実に日本では二重国籍を禁止していながら二重国籍者は多い
・結婚して日本の戸籍上は村田蓮舫
オバマ大統領の名は、バラクフセインオバマフセインやバラクアラビア語と近接したスワヒリ語の名前で、バラクムバラクと同じ。イスラム的といえばそうだが、キリスト教名と違ってもともと聖職者の名前というわけではない。
・本名だから意図的で挑戦的とはいえないが、しばしば、保守派からは揶揄の対象になり、本当に生まれながらのアメリカ人かといわれてハワイの病院での出生証明を公開したり、父親が熱心なイスラムでなかったと防戦につとめているが、かなりのハンディになっている。
蓮舫さんにはこれを機会に、せめて、本名の村田蓮舫さん一本でやっていくと宣言することを勧めるし、民進党の人たちもそれを党首となる条件に出して欲しいと思う。
ペンネームで政治活動した例としては、モンゴル系オイラート人であるウラジーミル・イリイチ・ウリヤノフがウラジーミル・イリイチレーニンと名乗ったり、グルジア人イオセブ・ベサリオニス・ゼ・ジュガシヴィリがヨシフ・ヴィッサリオノヴィチ・スターリンと名乗ったのがあるが、いささか特殊な国でしか考えられない。
・制度論としては、選挙や政治活動における名前としては、本名に限るべき。もちろん、若干の予告期間は必要だが、一年程度の予告期間で、一律に断行してよい。そのかわりに、そもそも、選挙の投票はすべて選択式にして現職や知名度の高い人が有利な現状を変えるべきだというのが、私のかねてよりの主張。
・結婚や離婚によって名前が変わったのを引き続き、旧姓で活動したいというのは、実際的な不便を避けるという合理的な理由があるので別かもしれない。
屋号などの襲名に伴ってファーストネームを変えることが戸籍法上できるが、これもおかしな制度でやめていいのではないか。
蓮舫の子は男の子と女の子の双子で、名前が翠蘭(すいらん)ちゃん、琳(りん)クン。やはり中国風のテイストに拘りがあるようだ。

(部分引用終)
もう一つ、別件を。

http://agora-web.jp/archives/2020831.html


鳥越俊太郎氏の「失われた70年」
2016年08月13日
池田 信夫


・彼は一貫して都政には無関心で、憲法改正を阻止するために都知事選に出たと語る。
東京都知事憲法については何の権限もないのだが、「ペンの力はもうだめ」だから「事件」を起こして、人々に彼の「衝撃」を伝えたかったらしい。何をそんなに恐れているのだろうか

僕は60年安保の世代でしたから。当時はまず、総評という柱があって、総評の傘下の労働者が同時に市民運動の担い手であったし、学生運動もちゃんとあって、いろんな人たちが集まっていた。だけど、高度経済成長で、昭和40年代から右肩上がりに豊かになっていく中で、市民運動は、反公害運動だけは残るんですけど、一切の学生運動労働組合も、どんどん潰れていくわけですよね。

・左翼が「どんどん潰れてきた」のはなぜだろうか。彼は国民が「ボケている」からだというが、ボケているのは彼のほうだ。60年安保で争点になったのは憲法改正ではなく、日米同盟だった。全学連主流派は、日本がアメリカ帝国主義と軍事同盟を組むことに反対し、日本を社会主義にすることをめざしたのだ。
・国民は社会主義を支持していたわけではなく、「民主主義を守れ」というマスコミの主張に同調しただけだった。ところがそれを錯覚した社会党は、そのあと左傾化を強め、学生運動極左した。
・左翼が間違っていたからだ。「日米同盟で戦争に巻き込まれる」と彼らはいい続けてきたが、何も起こらなかった。60年安保のとき社会党が政権をとって安保条約も自衛隊も廃止していたら、今ごろ北海道はロシアの領土になり、沖縄は中国の領土になっているだろう。東アジア全体が、東欧のようになっているかもしれない。
・左翼は社会主義を捨て、安保条約も自衛隊も認めて「リベラル」と自称するようになったが、そこには何も残っていない
鳥越氏の人生には、意味がなかった。戦後の左翼ジャーナリストの正義感は錯覚で、彼らの理想は幻だったのだ。彼らが批判した自民党は確かに腐敗した党だが、そのリアリズムは左翼の幼稚な正義よりましだった。

(部分抜粋引用終)