ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

ツィッターの転載から諸々

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ども‏ @dousitemoiitai 19 hours ago


左翼を理由にお別れされてしまったなう
2:33 PM - 7 Sep 2017


ども‏ @dousitemoiitai 19 hours ago


ありがとうございます、ちょっと悲しみに沈んでおります…


Lily2 Retweeted Lily2


ツィッターを見たら、寂しがらせてしまったか、と。個人的には、おもしろい文章を書く、上昇志向の強い才気煥発な40代の女性だな、と好感を持ちました。左翼思想って、今は流行らないんですよ。それに、理論設定が間違っていることは歴史が証明するところ。プラトン辺りに戻って勉強してね。

(転載終)
リチャード・パイプス先生のご著書もお勧め(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20170626)。邦訳は四冊しか出ていない上、その他のパピ本の方がもっと参考になるというのが、私の率直な実感。逆を言えば、日本語ワールド・オンリーで暮らしてきた方々の知らないことが、英語のパピ本には書いてあるってこと。
ここまで文章が書けるんだから、原書で読んでね。雅子妃殿下の英語力を判断できるほど、頑張ったんでしょ。

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・『ロンドン暮らし』(1983年)浅井 泰範(https://www.amazon.co.jp/dp/B000J7AM8Y/ref=cm_sw_r_tw_dp_x_xcESzbCGAX6ZB …)を、昨日、近所の図書館から借りた。朝日新聞社出版だが、今読んでも懐かしく、おもしろいエピソードが満載。文章にもメリハリ有。学生時代だったあの頃、朝日はあのように、知的に国際的に輝いていた。


・『マリンバ・ヴィルトゥオーソ』ユニバーサル・ミュージック(https://www.amazon.co.jp/dp/B000065E9H/ref=cm_sw_r_tw_dp_x_ngESzbK8DQE90 …)を久しぶりに図書館で借りて、三回ほど聴き、昨日返却。最後の「4132」は、(ちょっと古いが)エアロビ体操に最適の軽快な曲。何年か前にも借りた記憶有り。


・『スパイと踊子』 マイスター・ミュージック (https://www.amazon.co.jp/dp/B00H8SV7AO/ref=cm_sw_r_tw_dp_x_BiESzb8YNJ5XZ …)を図書館で借りて、昨日返却。ヴァイオリン曲を木琴のみで演奏するという凄技。


・『フランス管弦楽曲集』コロムビア・ミュージック・エンタテインメント(https://www.amazon.co.jp/dp/B00005EPRH/ref=cm_sw_r_tw_dp_x_lkESzbFS6WJ1H …)を借りて、今聴いているところ。音があまりよく聞こえない。狙いはドビュッシー

(転載終)
『ロンドン暮らし』を知ったのは、過去ブログ(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20170905)にあるコメント欄から。この本を読めば、ダグラス・マレイ氏(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20170720)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20170805)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20170901)が5月のベスト・セラー本『欧州の奇妙な死』(拙訳)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20170513)で訴えている内容とドッキングしているとわかる。問題の背景は、イスラームムスリム移民だけではないのだ。
[ユーリ後注:著者の浅井泰範氏は、なんと亡父と同年の名古屋市生まれで、名古屋大学法学部を卒業されたとの由。ということは、父の同級生ではなかったか?お名前を言えば、「知っている」と言った可能性が限りなく大。ますます、弟達による葬儀及び埋葬の社会的な問題性が浮かび上がる。このようにして、国力が衰微していくのだ。]


東宮家を応援している方達は、恐らくいろいろなタイプに分類できるのだろうが、秋篠宮家を一方的に賛美してきた人々よりは、知的に高く、文章が面白く、指摘が鋭いことに気づいた。

話を日常に戻すと、先週の土曜日の午後、新聞広告で見つけて葉書で申し込んでおいた、大阪市北区民センターでの第26回「目の勉強会」に出席した。481名ほどの中高年が抽選で集まっていた。無料講習会だが、サプリメントや眼科医の病院の宣伝も兼ねているのだろう。
加齢黄斑変性症や白内障緑内障について、症状および現代最新の治療法の紹介と予防法を伺った。こういう話を定期的に聞くことは、早期発見、早期治療のためにも有効だと思った。というのは、白内障等はポピュラー過ぎて、案外に古い情報を自己保存したままでいることもなきにしもあらず、だからだ。
似たような催しに、盲導犬アイバンクやiPS細胞利用の講演会等もあると、パンフレットに書いてあった。
淀川キリスト教病院の眼科部長の中井医師は、阪大医学部を出てハーヴァードへ留学された俊英というご紹介だったが、実際には、とても気さくそうで、いかにも関西風のくだけた話し方をする先生だった。換言すれば、そのように振る舞っていないと、関西では受け入れられないということなのだろう、と理解した。
最近のブログ上の眞子さんの伴侶となる男性に対するコメントで、オバサマ達による猛烈なバッシングを読んでいて、全く異なる状況だった私の結婚前にも、非常に似たような事象が発生し、家族でコミュニケーションが成り立たなかった二十年前を再考させられた(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20170828)。中井先生のお話を伺いながら、頭の片隅で考えていたのは、多分、肩書から勝手に何十年か前のイメージを形作り、それを今でも大切に持ち続けているがために、実態の推移に目が行き届かなかったからではないか、と。
私の経験では、親の目から見て娘の時代になると、学校教育の地均し化や社会主義化が進行し、一億総中流を自称するようになった。従って、祖父母の代はどうであれ、結婚に対する価値観や好みが変化するのは、やむを得ないのだ。それは、親に対する反抗でもないし、子育ての失敗でもない。
第一、子どもを産み育てることが大事業であるにせよ、子どもにも一人格を認める教育哲学が徐々に浸透すれば、親の理想と子どもの理想が全会一致するはずがないのだ。私の世代だと、大抵、結婚のことでは「親が折れる」のが普通だと、二十年前の騒動の頃、よく聞かされたものである。
かといって、家の継承のために、親が自分の望む方向に幼児期からお膳立て(いわゆる「許婚」候補者を数十名ぐらい探しておき、自然な出会いのセッティングをする)努力もしないでおいて、学校や職場に入るまでが親の務めとし、その後は偶然に出会った人との自由恋愛に任せて結婚させるとすれば、それも土台、無理無謀な話である。「好きな者同士が一緒になれば幸せになれる」というのは、結婚では全くの幻想に過ぎないからだ。
そもそも、「幸せ」って何なのだ?
一人の男と一人の女が結びつく以上、各家系の歴史、血筋、遺伝疾病、長寿家系か多産系か、女腹かどうか、社会階層、親兄弟も含めた学歴と職歴、居住地の文化習慣の他、借金、失業、転職、学業中退、犯罪人、死産、流産、中絶、病死、事故死、隠し子や愛人、離婚歴の有無等、さまざまな要因を考慮する必要がある(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20170710)。父方母方両系の親戚づき合いが、結婚と子どもの誕生以降、自然な形で続いていれば、このような情報が少しずつ誰にでも等しく共有されて、それほど大問題が発生することは少ないだろう。
だが、何らかの理由で、親同士が子どもの出来具合(?)を競い合っていたり、父方と母方が学歴、職歴、財産の程度、居住地や住まいの良し悪し等を事ある毎に比較し続けた挙げ句、子どもや孫の世代に対してさえ、「お宅は結構です」「どちら様ですか」のような意地悪をしたり(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20151106)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20170828)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20170829)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20170103)、隠さなければならないような生き方(戸籍改竄(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20170114)、健康管理の怠りによる疾病、行方不明、不審死、夜逃げ、不倫、離婚、アルコールやギャンブルの依存症、DV、仮面夫婦、引きこもり、虐待等)をする人が一人でも出現したりした場合、ことは重大である。

[ユーリ後注:上述は、昨今では「差別反対」「人権侵害」のように学校でも教育されるようだが、実は、日本国籍を晩年になって取得され、日本に帰化されたアメリカ出身の日本文学研究者であるドナルド・キーン氏が既にあっさりと記述されていることでもある(『果てしなく美しい日本ドナルド・キーン(著)足立康(訳)講談社学術文庫(2002年9月10日第1刷/2012年2月1日第22刷 pp.87-92)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20140509)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20140513)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20140519)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20150225)。以下に、象徴的な文を幾つか抜き出してみよう。

・とりわけ上中流社会では、結婚は本質的に家族同士の結合と考えられている。
・恋愛結婚は、盛んに論じられてはいるが、実際には比較的まれである。
・仲人が青年にふさわしい配偶者を見つけると、双方の家族は書類を交換し、念入りにこの結合がお互いにどのような利益となるかを量り合う。何ひとつないがしろにされることはない。望ましからぬ病気の痕跡がないかどうか、本家の遠い先祖に至るまでことこまかに調べ上げられ、財産、教育、社交について注意深く検討される。
・仲人は自分が探し出した候補者の美点を大袈裟に吹聴することで悪名高いので、娘が倹約家か、働き者か、またはそのほかの美徳を兼ねそなえているかどうかを確認するために、間接的な調査が同時に行なわれる。(p.88)

(引用終)
これが、本人不在の形骸主義を生んだ悲劇も含めて、ある程度の日本社会の安定と信頼感覚を長らく醸成していたことは否めない。]

私の場合、現代版の結婚紹介所のような形で主人と知り合ったのだが(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20151227)、片方が申し込んでも成立せず、相互に申し込みが一致して、初めて会うことができるという仕組みだった。勿論、男の側は独身証明書と勤務先証明と年収証明書と高校以上の学歴一覧表を事前に提出して、条件をクリアした人のみが入会できることになっていた。女性は、健康な独身で高校以上の学歴証明と顔写真さえあれば、収入の要件など、そこまで厳しくはなかったが、確か、入会に際して支払う料金は、男性より数万円上だったかと記憶する。いずれにせよ、身元確認として、戸籍謄本や住民票も提出した。男女共に、自分の家族形態を記し、それぞれの最終学歴と職業名も書く必要があった。
それに、入会に際して、日本の某著名大学が長年の研究に基いて作成したという、100問か120問ぐらいの心理テストを受けて、性格の一致、人生観の傾向、マッチングの成否等も調べた上でのお相手紹介であった。
要は、専門職の男女に対して、「毎晩遅くまで仕事に忙しくて、時間的に自力で結婚相手を探す環境に置かれていない」結婚志望者向けの紹介所であった。(他のオプションとしては、死別等、やむを得ない状況で単身親になった方達同士の再婚向けコースもあったかと記憶する。)
「成婚率何%」みたいな宣伝もかつてはあったが、私共の場合、結婚式直後や結婚十周年記念の節目に、置き時計のお祝い品や各種イベントやパーティ等のお知らせまで送られてきて、単なる結婚ビジネスではなかったと思う。
何と、結婚二十年経った今でも、定期的に小さなお知らせ等が届くので、さまざまな各種割引特典チケット等を有効活用させていただいている。
私の世代だと、ご成婚前の雅子妃殿下風に、女性も出来る限り実力をつけて公の仕事をすることが、少なくとも、国公立や有名私学の四年制大学以上を出た女性の社会目標とされていた。フェミニズム運動やリベラル左派の成果というよりは、共学が進めば、当然、女の子も同じカリキュラムで同じレベルの教育を受けることになり、血筋や遺伝子の組み合わせによっては、能力の高い女性も生まれる。勿論、人口全体の割合からいけば、客観的に見て、肯定的な意味での少数派である。
ともかく、条件を満たせるように一生懸命努力して、出自がどうであれ、同じ水準に達した者同士が、新しいチャレンジとして仕事に就いて、自分の人生を築いていけるとするならば、責任感もひとしおであり、誇りが自分を支えていたために、今ほどの女性同士の反目や諍いや妬み嫉妬もなかったのである。
だからこそ、同世代の紀子妃殿下が、学生時代には手話ボランティアやサークル旅行や東南アジアの船に出て、教授の娘なのに何を勉強したかも不明瞭なまま、経済的にも親がかりの実家以上に婚家に依存して、あっさりと型破りにも皇族と結婚するという話に、羨ましいどころか、「なんか変わった人みたいねぇ〜」と言うのが、私の周囲では当たり前の感想であった(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20170904)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20170905)。
25年前には、こういう風潮であったので、結婚紹介所も、昔ながらのお節介オバサマの斡旋ビジネスとして以上に、社会的要請として喫緊の需要があったのだろうと思われる。結婚とは、人口維持以前に、社会の安定や経済の活性化、そして通過儀礼として人の成熟度とも密接に関わるからである。
恐らく現在では、人口減少と高度長寿化と近隣諸国の興隆軋轢に伴う日本の弱体化のために、輪をかけて皇族に対する復古調を賛美させるのであろう。
行き過ぎた左翼傾向は是正されるべきであるが、戦前のムード的な民族感情は危険である。
そんなことを、ここ数週間、感じさせられた。
翌三日の大津、近江舞子については、また別途、思い巡らしを記すことにする。

[補記]
自分の夫のことを自慢げに書くのは気が引けるが、上記のような紹介で知り合った後、初日の名古屋で8時間があっという間に過ぎた(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20170727)。その時、感じたのは、(一生懸命に話さなくても、何事もよくわかってくれ、落ち着いていて、包容力の高い、温かい人だわ)ということだった。

そして、結婚後に知った新たな事実は、紹介所宛の提出書類で、学歴や職歴、年収や貯金額を、実際より控え目に書いていたことだった。正確に言うと、例えば、(国立)大学の院の研究室や、アメリカ留学をした大学や(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20170804)、その後の東海岸駐在の経験等を全部省略してあったということである。首席卒業だったということも(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20151111)、披露宴の時に指導教授がおっしゃったのであって、自分から言ったことはない(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20170828)。

鳩山家と縁続きだったという田舎の祖母の話も、主人や義母は、由紀夫氏が首相になった時、初めてぼそっと言い出した(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20100108)。だからこそ、私は図書館で本を借りて調べ、ファイリングを作り、何か関連資料がないかどうかを鳩山会館まで見に行ったのだった(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20100329)。実家の掛け軸に「木堂」の号が入っていたことも、片付けを手伝った時、ふと見つけた私が素っ頓狂な声を上げたことにより、知った事実だった(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20170727)。

翻って私の地元の名古屋は、言葉の上では謙遜するのに、いざ出してくるものが派手というのか見栄っ張りという文化がある。大半の人が進学や就職が地元志向なので、がっちりと網目のように張り巡らされた位相位階が暗黙の了解として存在し、そこからはみ出した者は無言の制裁を受けることになる。

このような相違と立ち向かうことを、私一人に背負わせて来たのが、これまでの二十年間だった。ブログ書きでもしていなければ、今でも誤解が何乗にも膨れ上がっていたことと思う。