ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

平仮名表記は即刻廃止を

昨年度の国政モニターでも書いたことだが(https://monitor.gov-online.go.jp/report/kokusei201608/detail.php?id=1008161)、この頃、無闇に地名を平仮名表記にしたり、論文でも「かんがえる」「かんしては」等と、おばあちゃん宛に幼稚園児が書いたお手紙みたいに、殊更に平仮名表記を強調したりするものが増えた。
はっきり言おう。これは、日本の知性を幼稚化し劣化させようとする、文化的マルクス主義の試みである。
だから、平仮名を多用して論文を書いている大学教授は、軒並みリベラル左派か、反日工作員か、出自が曖昧な人だと承知しておいた方が安全であり、賢明である。文系に至っては、そういう人ほど多言語政策を推進しているので要注意である。
曰く、「外国語は英語だけではありません」。
当たり前じゃないか。小学校一年生でも知っているのに、今や首都圏の有名私立大学が堂々と繰り返し宣伝している。まともな人からは無視されているのに、それを「一般の人々は気がついていない」と勘違いして、更に声高に繰り返す。
大馬鹿者が増えて、毎日、苛立つことが多くなった。日本の劣化が著しく、ご先祖様に申し訳が立たない。
ここ半世紀以上、黙っていたが、そもそも私は、頭の悪い人、鈍い人、身勝手で気が利かない人、狡い奴が大嫌いなのだ。なぜかというに、こちらの人生が侵食されていくからだ。時間とエネルギーを浪費させられるからである。ちなみに、これは学歴や出身校を指しているのではない。職種でもなく、職位職階でもない。居住地でさえ関係ない。
「馬鹿は死ななければ治らない」と昔はよく言ったものだが、生きている間に治らなければ、多分、死んでも治らないのでは?
計三回見に行った京都の国立博物館での「国宝」展でも(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20171025)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20171114)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20171128)、大混雑の中で大馬鹿者が周囲に近寄ってきた場合は、容赦なく睨みつけたり、注意したりして、相手を黙らせた。少しでも快適に穏やかに暮らすには、こちらから先手を打って撃墜するしかない。自家製アイアンドームを積極的に発射するのだ。

馬鹿者その一:待ち時間が二十分だと外に表示されていたので、長い列を作って待っている間、持参の本を広げて、余白にキーワードを書き込んだり、ラインを引いたりして読んでいた。すると「ペンはご使用にならないでくださ〜い!」と案内係の女性が近寄ってきた。そこで一言。「どこがペンなんですか?これはシャープペンシルです」と目の前で見せた。すると、「シャープペンシルも禁止です」とキリッ。「鉛筆は、ここに持っていますがな」と、ポケットからキャップ付きの鉛筆を見せたら、やっと黙った。
「口を開く前に考えろ」「考えてから口を開け」。これは、マレーシアで、お人好しのマレー人に対して、よく中上層の華人が言っていた言葉だ。「時は金なり」なので、余計なことを言って時間を擦り減らすな、という戒めである。
美術館や博物館でペンの持参が禁止であることは、以前から百も承知である。インクが飛んで、貴重な展示物を汚す可能性があるからである。
だが、私は展示外の入り口近くの廊下で列に連なっていたのであり、貴重な二十分間をムダにしないために、シャープペンシルで書き込みをしながら本を読んでいたのだ。勿論、細い芯が折れ飛んで陳列物にとって危ないという懸念はあるだろう。しかし、それならば鉛筆だって駄目だ。パンフレットに書き込みをしながら見ている人々全員が駄目だということになる。

馬鹿者その二:二十年来住んでいる我が町には、中世の天皇上皇三名ゆかりの神宮がある(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20170630)。この度、そこから「国宝」が二点、京都の国立博物館に展示されたのだが、日本の中世史では有名な事件と関連があり、日本人ならば誰でも知っているはずの話である。学問的には諸説あるようだが、ともかく、流罪にされて無念止む方なき院の崩御13日前の宸翰御手印置文が「国宝」に指定されている。
その貴重な晴れ姿をじっと見つめていたら、すぐ横に親子らしい女性二人がいて、おばさんの方が大きな声で「あ、両手をびちょ〜ってやったやつでしょ?」と言ったのだ。思わず、最大級に睨みつけてやったら、威力を発して黙った。何が「両手をびちょ〜」だ!お宅、日本人じゃないの?

馬鹿者その三:中国人や韓国人やタイ人や香港人が入り混じって、あたり構わず、列を乱して大声で喋っているのが当たり前になってしまった京都だが、この頃では、見つけ次第、遠慮なく「しぃ〜!」と人差し指を立てて注意して回っている。今年の七月、名古屋の徳川美術館でも五月蠅かったので(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20170727)、思いっきり注意したら黙った。やはり、言われなければわからない人達なのだと会得。ところが、「国宝」展では、きれいにお化粧をした日本人女性達まで、安心し切って同じように大きな声で笑ったり喋ったりしている。そこで振り返って、最大限に睨みつけると、「あ!」と黙った。

皆様、馬鹿者には遠慮してはなりませぬ。馬鹿は言われなければわからないのだから、自家製アイアンドームで一人ずつ撃墜し、平和と誇り高き威厳を保ちましょう。三人寄れば文殊の知恵となる。
それにしても、「国宝」を四期に渡って長期間展示していた間、貴重な古代からの多くの作品が人いきれで劣化するのではないかと、私は気が気ではなかった。運搬でさえ、一瞬たりとも傷をつけてはならないので、本当に神経を使うことだろう。
...ということに思いが至れば、上記の馬鹿者三例は、そもそも最初から存在しないはずなのだ。

ところで、1980年代の学生時代から、私は韓国のニュースを聞いたり、朝鮮の昔話みたいなものを図書館で見るのが嫌だった。というのは、三十年ぐらい前の日本の嫌な部分がそのまま出てくるような印象だったからである。こちらは前を向いて生きているのに、とうに解決して克服し、既に忘れ去ったと思っていた古い事象が、突然、隣国から流れてくるのだ。
だが、気を抜いてはならない。この頃の日本では、上記の大馬鹿者のみならず、日本を朝鮮半島化しようとする勢力がじわじわと内部から浸透しつつあるからである。

http://ironna.jp/article/8261


・日本が対外的な争いに巻き込まれる時は、ほとんどの場合、朝鮮半島問題が原因となってきたのです。


・663年、すでに滅亡していた百済の復興を手助けするために唐と新羅の連合軍と戦い、敗北を喫しました(白村江の戦い)。13世紀に2度にわたってわが国が侵略された元寇は、元との戦いというより高麗との戦いでした。日清戦争朝鮮半島に支配権を広げようとする清国を阻止することが目的であり、日露戦争ロシアが南下する危険性に備えた戦いでした。


・韓国の文在寅大統領はまったく逆を向いています


・文大統領は反日」を親北政策に利用しようとしています。こんな状況では韓国が北朝鮮に事実上支配され、38度線が対馬海峡まで下りて来ることも、日本は覚悟しておかなければなりません。


・もちろん個人請求権が「ない」ことは、1965年の日韓国交正常化の際に結ばれた日韓請求権協定で明らかです


・左翼の盧武鉉大統領は2005年、日韓国交正常化交渉に関する全資料3万6000ページを公開させました。それを詳細に調査した結果、日本側が「韓国の被害者個人に対して補償する」ことを提案したのに対し、韓国側が「国として請求する」「個人に対しては国内で措置する」と主張し続けたことが明らかになったのです。


・韓国は国家戦略として歴史を捏造し、それを世界に喧伝しています。儒教思想に基づく歪んだ優越意識から、韓国人にとって日本は「未開で野蛮な国」「蔑む対象」であり、今は「お金を取る国」なのです


拓殖大学国際学部教授の呉善花氏は漢字の廃止が影響していると指摘します。


日韓併合当時、韓国では難しい漢字を使っており、庶民はほとんど読み書きができず、識字率は6%に過ぎませんでした。そのため日本は学校の数を59倍の5960校に増やし、庶民にハングルを教えました。ハングルは日本語でいえば平仮名やカタカナのようなもので、「漢字ハングル交じり文」を普及させたわけです。福澤諭吉らの尽力もあり、朝鮮人識字率は1943年には22%にまで上がったそうです。


・1970年代に入ると韓国は漢字を廃止し、ハングルだけを使うようになりました。それによって韓国人の思考能力が著しく低下したと指摘する人は少なくありません。しかも、最近では研究者でさえ漢字が読めなくなっているため、歴史的な資料を読むことができない

(部分抜粋引用終)

末尾の文は、本ブログの冒頭の話と直結する。博士号を持ち、著名大学に就職して教授になっているかもしれないが、軽薄な大馬鹿者の先端を走っていることの結構な見本なのだ。
小学校一年生の頃から大学生まで、夏休みになると一人で母方の田舎の祖父母の家に行って、一ヶ月ほど過ごしていた主人が(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20140128)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20151111)、最近になって話してくれた話だが、漢籍の一部を隷書した襖のある部屋で寝かせられていたという。そのため、朝やお昼寝の後、ふと目を覚ますと、周囲が漢文だらけだった光景が忘れられないとのことである。
(ユーリ後注:昨日版のブログでは「屏風に墨書き」という意味の文を書いたが、念のため、帰宅した主人に確認したところ、「屏風」ではなく「隷書の襖」だとの由。亡くなった伯父さんが「このままでは劣化するから、処置を施さないと」とも言っていたという。隷書か篆書かも気になるところだが、今となっては、一人暮らしの叔父さんが家宝をどうされたか不明だ。こういう時、いつでも「あと数年早く結婚していたら、いろいろと教えてもらえたのにね」という話になる。)
理系のために詳細には興味がなかったそうだが、それでも、戦前は校長だった祖父に尋ねると、いろいろと説明してくれたという。お陰様で、大好きだったおじいちゃんの田舎と朗々たる闊達な襖の漢字が結びつき、高校では漢文の授業が好きになったと言った。
そういう家系だったのに、戦後教育のために全てが後退してしまったのだ。
今日の結論:多文化共生は廃止せよ。多言語政策も即座に廃止せよ。外国人は、日本に来る以上、まずは漢字を含んだ日本語をきっちりと勉強してからにせよ。