ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

西尾幹二氏のワック本

昨日のブログで西尾幹二氏のワック本の問題点を示唆したが(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20171013)、もっと読み進めていくと、具体的に誤りが何箇所か見つかった。その一部は、既に宮内庁のホームページ上で指摘されていることと重複するので、興味をお持ちの方はご自身で確認されたし。
どうも西尾氏が「国民」なるものを盾にして、「民間からエリート女性を娶った皇太子が、お世継ぎも産もうとしないで家庭内で尻に敷かれている」「家族で仲良く楽しく過ごすことは、将来の天皇にあるまじき行為である」「配偶者が病気になって妻としての務めが充分に果たせないのなら、とっとと別れろ」とでも考えているかのように読めるので、何だかイライラさせられるのだが、恐ろしいのは、この本を読んだだけで、まるで陰謀論を真実であるかのように錯覚するかもしれない読者層の存在である。
もし私が西尾氏の立場だったら、次のようにする。
(1)きちんと手続きを踏んで、正式に皇居内のお掃除グループに入って、御会釈に接するところから始める。
(2)自らの信ずる主張を文書にしたためて、本書を添えて、正式ルートを通して宮内庁長官まで届くようにする。
(3)同時に、新春の歌合会に選ばれるまで、毎年のお題に沿って和歌を詠み、郵送を続ける。
「これほどまでに一国民が心配しているのです」という熱意を、宮中のやり方に沿った形で示さなければなるまい。但し、「それは事実とは異なります」と、厳重注意と誤解訂正が事務官から下される可能性も覚悟しなければならないだろう。
その努力もせずに、一般人向けに本を出版して世間で不安を掻き立てるやり方は、如何なものだろうか。
少なくとも、ご快癒と東宮家の安寧を祈念し、落ち着いてしっかりと暮らすことこそが、国民の義務ないしは礼節ではないかと私は考えるのだが。
さて、昨日はまた、貴重な御本が届いた。

徳仁親王殿下(著)『テムズとともにー英国の二年間学習院教養新書7(平成5年2月23日 第一刷)創立125周年記念 学習院総務部広報課(東京都豊島区目白1-5-1)

お誕生日に合わせて発行されたが、五ヶ月足らずで第三刷まで発行されている。
「はじめに」では、ご著書を御両親に捧げたいと記されている(p.ii)。また、ざっと瞥見の限りでは、ところどころに御家族の様子が記されており、実に仲睦まじいことが伺える。昨今話題の秋篠宮殿下については、中国語で上手に会話をされたとも書かれている(p.97)。
参考文献には、日本基督教団出版局の書籍や三笠宮寛仁殿下の『トモさんのえげれす留学文藝春秋(1971年)が含まれている点、微笑ましくさえ感じられる。
本書が出版されたニュースは当時から知っていたが、なかなか拝読する機会にこれまで恵まれなかった。非常に聡明な学者でもいらっしゃる皇太子殿下の素顔に触れさせていただけるのが、とてもうれしくてならない。
西尾氏は、皇太子殿下に忠言したいと表題に掲げておきながら、文句をつけたい雅子妃殿下の御父上のご著書は三冊も参考文献に出している一方で、肝心の皇太子殿下のご著書やお言葉やご会見の資料を全く挙げていないのは、一体どうしたことだろうか。これでは、忠言以前に、前提となる基礎作業が全く抜けている。
第一、皇太子殿下は大学で史学を専攻されたのである。昨年8月、西尾市岩瀬文庫後奈良天皇に触れられたように(http://www.kunaicho.go.jp/page/kaiken/show/9)、過去の天皇のあり方を実地に学んでいらっしゃらないはずがないのだ。
それに、我々は共に同時代を生きているのである。過去の文脈そのものを学ばずに、現在の文脈で化石のような型を希求してみても、子ども達はついて来ないだろうし、私のように皇太子ご夫妻と近い世代でも、何だか博物館に留まっているような感覚であろう。
今日の午後は、町内の施設で、大阪府教育委員会文化財保護課専門員から大阪のお祭に関するご講演を伺った。開始前には外で辻元清美の宣伝カーがうるさかったが(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20171012)、ビデオ映像も貴重で、とてもよい学びの時を過ごすことができた。
ひょっとしたら、西尾氏は関西文化のこのような側面を充分にご存じないままに、天皇問題について「信仰」などという言葉を持ち出して論を進めているのではないか、と講演中に頭の片隅で考えていた。