ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

日本人の完璧主義?

ある方のツィッターで、「日本の人の完璧主義は、時間がかかるから、スピード重視の英人や米人を激怒させることが多々ある。あちらはとりあえずリリースして、後で調整しながらやればいい、その方がいい物ができる、という考え。日本は最初から完璧。スケジュールも概念も違うから大喧嘩になる」という意見を読みました。そして、「どちらかというと、日本の完璧主義は世界の中ではマイナーだと思う。いい加減な方が遥かに多い」とのこと。

それならば、私の最近の2ヶ月の米国人知識層の方とのやりとりが、まさに該当するわけです。ただし、「激怒」でも「大喧嘩」でもなく、単に(メール上は)、 「いらいらして疲れてしまったよ」程度で済みました。
それとて、相手方にも問題が一切なかったわけではなく、ある面で「知日派」を自称していた割には、日本社会の草の根レベルをご存じなかったことが、私をして(あの方、大丈夫かしら)と疑念を抱かせた面もあったからです。つまり、両成敗ってこと。
上記の場合も、文脈や事によりけりではないかと思います。基本的にはそうだと聞きますが、しかしながら、一概には言えないのではないでしょうか。すべてがビジネスライクに進む方が気持ちがいい、という日本人だって少なくはないでしょうし、あまり最初からバリバリと話を進めてしまい、後で勘違いという事の方が、取り返しのつかないことになる場合だってあります。
「日本人は、結論を出すまで時間がかかるが、あらゆる方面から充分に検討して議論してまとめ上げた後は、皆で協力して、きちんとまじめに仕事をするし、完成度が高い」とは、学生時代からしばしば聞いていた話です。マレーシアでも、そういう我々のやり方を、素直に褒めてくださった華人が少なくありませんでした。

今回も、自分の予定はすっかり後回しにして、依頼された仕事の見直しに一週間を費やしたのですが、できあがったものを見る限り、全くたいしたことはないのに、まぁ大変なこと大変なこと。勉強になる上、刺激があるため、謝礼や知名度アップなんかではなく、単純にご奉仕感覚でやっている部分も多いのですが、それでも、相当、下調べや事実確認をしておかなければ、滑稽な形になってしまいます。そのための読書が必要だと気づき、最近では新たに購入した本が増え、図書館で複写依頼した翻訳論文もあります。肝心のマレーシアに関しては、いまのところ、後回しになってしまっています。

ところが、先方の仕事が早いのはいいとしても、私の原文にはなかったアルファベット地名を勝手に挿入してしまっていることが判明。勝手なこちらの憶測では、どうやら自慢したかったのか、目立たせたかったのか、何か理由があってのことでしょう。しかし、私の名前で公表している文章です。私に断りなく文章を一部変更するなんて....早速、注文をつけました。「私の原稿には、既に日本語で地名が訳されているのに、どなたがアルファベットを(間違って)挿入されたのでしょうか。不必要な挿入なので、見苦しく思うのですが」と。
さすがに、ドキッとされたようで「わかった。直したよ」と、かなりの時間が経ってからお返事がありました。まだ確認はしていませんが、さて、どうなりますことやら。

鬱陶しいかもしれませんが、日本社会の読者層って、結構、このような部分にうるさく目を光らせている方達が少なくはないと思うのです。とりあえず自分が代表として、専ら責任感から申し立てするようにはしています。結局のところ、「日本社会とはこうなんです。日米交渉の文化摩擦を1980年代に経験されてご存じですよね?貴国はそれでいいのですが、我々は文化が違います。それはしかし、反米ではないのです。ましてや、左翼でも過激派でもありません。ただ、私達の規範文化なんです」と、繰り返し伝えるしかありません。
自分でも、(案外に強気だな)と後でびっくりします。主人も「怖いもの知らずだな」と驚いていました。しかし、そこはそれ、公的な立場を持たない身分だからできることでもあります。主目的が、先方の学問的成果と思想と社会活動をよりよく日本語でご紹介すること、これに徹していさえすれば、「もし日本社会から益を受けたければ、我々のやり方をもっとご理解ください」と言うことに、何ら問題はないはずです。
この姿勢は、国連難民高等弁務官時代の緒方貞子先生のご発言から学びました。一言で言えば、「現場の事実に基づいて、きちんと自分の務めを果たすこと」です。できることはできる、できないことはできない、知らないことは知らない、とはっきりした態度を取ることも重要だと思います。
イラク戦争が勃発した際、「アメリカが始めたんですから、アメリカに責任を取ってもらいましょ」と、平然と言ってのけた緒方先生に、(すごい肝っ玉だわ)とのけぞるほど驚きましたが、それもこれも、「私の仕事は、難民救済なんです。難民の暮らしを援助すると同時に、難民が出ないような世の中の仕組みをきちっと作ること」「それほどいい世界に住んでいるわけじゃないんですよ、私達は」 「難民を助けているからと言って、私がその人々の考えに必ずしも賛同しているわけではありません」等々のご発言から、多くを学び、考えさせられた次第です。