ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

反ユダヤ主義ではなく...???

先月、フランスのトゥールーズにあるユダヤ系学校で発生した襲撃事件(http://d.hatena.ne.jp/itunalily2/20120320)に関する短い考察が、今朝の朝日新聞に掲載されていました。ヨーロッパ総局長の沢村亙氏による「ユダヤ系学校銃撃事件:宗教でなく社会が生んだテロ」です。
現地で発生した事件の背景について、電子版ニュース以外に知りようがなく、その上、「欧州で反ユダヤ主義がまた発生している」と、しばらく前の学会でも教授先生方から聞いてもいたので、(それには絶対に反対だ)と強く思っていました。ところが、上記の考察によれば、問題はそうではなさそうなのです。
さまざまな物の見方や考え方に触れることの重要性を再度想起し、ここに、簡単なご紹介をさせていただきたく思います。
しばらく前、今回の事件の犯人(23歳)は、「ウェブサイトを見て、一人で過激化した」人物だとも別のソースで読みましたが、もしそうだとするならば、問題を含むウェブサイトそのものは、だから閉鎖しなければならない、という短絡的な結論に至ってしまいます。
しかし、その議論は、例えるならば、自動車事故を起こした場合、「だから昔のように、馬車や人力車を使えば、より安全で、このような事故が発生することはない」と言っているようなものです。問題は、機械や道具やツールそのものにあるのではなく、新たな現代技術を、どのように使いこなすかが、一人一人に求められている、という自己責任だと思うのです。
もっとも、交通整理のために信号機やお巡りさんが必要なように、野放しで礼讃、というのではありません。「自粛」という便利な言葉が日本にあるように、ある程度の自己規制も、自己責任に含まれると思います。
確かに、インターネット情報は膨大で、一つのことを検索していると、慣れないうちは、図書館で文献を手作業で調べている以上に時間をとってしまいます。ですから、私の場合は、タイマーをかけ、ネット使用時間を毎日ノートに記入し、家事を合間に入れたり、本を読んでノートを取る時間を作ったり、ラジオ学習を強制的に組み込んだりして、インターネットから離れる時間を意識的に取っています。
公式サイトに、膨大な過去の論文アーカイブを持っている方がいます。論考記事ばかりではなく、テレビ出演やラジオで語ったものも、ビデオ録画や録音して、サイトに組み込んでいるのです。それは、一面、新たな創造的行為であり、注目するに当たるものではあります。一方、これもやはり北欧でのことでしたが、「そのサイトに影響され」たことが原因の一つとなって、テロを起こしたという白人青年がいました。
しかしこれも、おかしな話で、例えば、聖書に殺人の物語が記されているから、キリスト教は殺人奨励の宗教だと主張している人のような短絡性を覚えます。事の本質は、そこにはないのだろうと思うからです。そういうことにならないよう、だから、私が繰り返し述べているように、子どもの頃から、古典やよい音楽に親しみ、体を動かして思いっきり遊ぶというような体験が、大人になってから生きてくるのだろうと考えます。
そして、あれほど大量に論考を含む文章を書けるだけの素地というものは、ご本人の遺伝的素質や環境的要因にもよるものですが、相当の陰ならぬ努力、子どもの頃からの膨大な読書量によって築かれているのだということ、これだけは、決して忘れ去られてはならないと思います。
ある時期、活字版で一部の専門家だけが読めるような狭いサークル内での読みものではなく、ある考えから、一般社会にも公開することに決めたようです。その公開ツールが、たまたまインターネットだったわけで、そのアイデアそのものは、ご本人から出たものではなく、まだ30代ぐらいのIT専門職の青年のようです。最近、ある経緯から、その青年と少しメール連絡をすることになりましたが、慣れもあるのでしょうが、彼の理解力やコミュニケーション能力に、何ら問題を感じる節はなかったように思います。
さて、話はすっかり逸れてしまいましたが、冒頭のフランスでの事件は、「欧州をイスラム支配から救う」として77人の殺害に関与したノルウェーのブレイビク(33歳)と、今回の犯人が重なる、という考察を、沢村氏はされていました。
二人の共通点は、次の通りです。
1.崩壊家庭に育ち、荒れた思春期を送ったこと。教会やモスクにさほど寄りつかず、熱心な信徒だったわけでもない。
2.ゆがんだ「英雄気取り」の気味悪さ。銃撃の様子を自らビデオに撮影したり、戦闘服姿でテロ行為に及んだ。
3.組織には属さず、インターネットなどで過激思想に染まった。「一匹おおかみ」「セルフスターター」は、欧州社会の新たな脅威。
4.自分は間違った社会の犠牲者だとの被害者意識に凝り固まった。
5.人と人とが生身で触れ合う機会が消滅し、人々が自らの非力に打ちのめされる時代、陰謀論が忍び寄る。
6.宗教が生んだ過激派ではなく、我々の社会の病ではないか。「巨大な策略が自分たちを脅かしているのでは」という妄想に絡め取られ、謀略と戦う「英雄」を演じたか。
もしも、この考察が妥当だとするならば、「反ユダヤ主義」ではなく、幼少期の家庭教育や本人の性格の問題だということになるでしょう。では、その予防策として、何が考えられるのでしょうか。
沢村氏は言います。「過激だから」と言論を封じれば陰謀論が勢いづくだけだ、と。
そして、「政治の閉塞、経済の停滞、終りのない原発危機。日本もまた陰謀論がはびこる原因には事欠かない。半面、丁寧な議論を省いた単純明快な主張に人気が集まる」とも。
実を言えば、私が恐れているのは、こちらの部分なのです。原発に関する立場一つで、レッテル付けをされてしまいかねない、恐ろしさ。ちょっとコメントや頼まれ事に応じただけで「あの人の仲間なんでしょう?」と判断されそうな性急さ。「そうではない、そうではない」と反論しているうちに、本来の仕事に向けるべきエネルギーが枯渇しそうな焦り。
いつの時代でも、生きていくことは大変なことですが、本当に、じっくりと落ち着いて思い巡らしてみたいと思います。
水質がよく、緑に囲まれた、小高い山に近い場に私達が居を構えたのも、実はそれが理由です。何か、一人で興奮状態の頭と心を休めたい時、この周辺を歩き回ると、ほっと落ち着くからです。それにもかかわらず、「あそこはこの程度の収入の人達が住む人でぇ...」「郡なんかに住んでいるの?」と笑ったのは、とりもなおさず、大学に職を持つ人々でした(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20070902)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20091217)。
くわばら、くわばら....要注意です。たとえ冗談のつもりだったとしても、言うべきではないことです。
陰謀論については、日を改めて書くことができればと願っています。そして、すっかりペンディングになってしまっている、京都の禅寺でのキリスト教講話(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120215)、児玉姉妹の演奏会(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120226)、お正月二日目に知ったマレーシア華人男性の急逝のこと、その他いろいろ、綴ることで気持ちを整理し、感動と体験の分かち合いの場ができればとも思います。それが私の、ブログを続けている意図です。