ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

憂いは続く

(結局のところ、私は何をやっているんだろう?)と疑問。まだまだ、いわゆる一般教養のような幅広い視野を身につけなければならないはずだと思い、毎日、焦りのようなものを抱えているのに。いつの間にか、誤って、何だか、袋小路のようなアナクロニズムの小さな世界に入り込んでしまった感。
もやもやした漠然とした不安感のようなものを抱えながら、(自分は自分。騒ぎには関わらないこと。自分のテーマさえしっかりやって、後は誰とも等距離に、礼儀正しくしていれば済むこと)と思って、決然と蛮勇を奮い起こして出て行った所が、実は、必ずしも解き放たれたメンタリティの場でもなかった(かしら?)、という...。
一つだけ言えるのは、現実としての多様性に対する耐性が必要だということ。私など、保守的で堅苦しく思われがちだけれど、案外に、異なる立場に対しても、こだわりなく耳を傾けようとするところがなくもない。それはやはり、物事や現象には、それ相応の理由と背景があってのことなので、まずは聞いてみなければわからないと思っているから。それとて、自分のアイデンティティや好みをはっきりと持っていてこそ。
しかし、病理のような根深い問題を抱えている小集団なんだな、と。かえすがえすも、残念でたまらない。こんなことになるなんて、昔の人々は想像もしていなかったのでは?
一方、(私なんて、普通の学校しか出ていないから)と、コンプレックスのようなものを感じていたのだけれども、今回の一連の出来事を通して考えてみれば、案外に両親も健全思考で、よき道を備えてくれていたのではないか、と。一般社会で立派に通用するようにならなければ、と世間で揉まれに揉まれる場を、あえて指し示したのだから。
くどいようだけれども、本当に残念でたまらない。(まだ続いているの?)と驚くと同時に、いずれにせよ、人材の枯渇に他ならないから。本当に、本当に、悲しくて仕方がない。

PS:私自身の思い込みによる間違いを、2011年6月3日と6月5日付「コメント」欄において、短く加筆訂正いたしました。どうぞご覧ください。