ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

いわゆる‘Integrity’ということ

数年前にロンドン大学からカルヴァン研究で博士号を授与され、何年か英国の教会で牧会もしていた広東系マレーシア人の牧師と、おとといと昨日、長いメールの交換をしました。マレーシア赴任直後に、たまたま住んでいた場所がご近所だったために、かれこれ20年来、家族ぐるみでお付き合いさせていただいている関係です。
きっかけは、「金銭を愛する人々」と題する1993年の説教内容が「現在のマレーシアの教会にも当てはまるのではないか」と考察したメーリングリストが送られてきたことです。それを読んで共鳴した私は、個人で本の商売を始めた例の人のことを(参照:2011年1月20日付「ユーリの部屋」)、「最近の不愉快な経験」と題して具体的に書き送りました。
「私の知る限り、10年前に知り合った時には、そんな人ではなかったのに.....。WAWASAN2020を志向するマレーシアの急激な経済変化が、あの人にも影響を与えて、そんな行為に出るようになったのかもしれない」と書き添え、問題解決のための提言も加えました。
なんと驚くべきことに、その牧師である友人は、今月から、組織内で彼の上司に指名されたとの由。こちらは全くあずかり知らなかったことですが、だから世の中、ゆめ侮るなかれ!また、学科講師として、自分も彼が何かやっているらしいと感づいてはいた上、他の人々からもそのことで話を聞いていた、とのこと。
私達はお互いに「問題あり」と合意しているのですが、ポイントは「勤務時間外にやっているなら、こちらとしても注意のしようがない」ということでした。
ただし、友人の議論の中心は、「トップからシモジモまでのあらゆる階層面における、近年のキリスト教環境の世界的なモラル低下と、いわゆる‘Integrity’が消えかかっていること」に対する懸念。「他の宗教を信奉している人々の方が、もっと誠実で、きちんとしているではないか」とも。このような題目で説教をしていたら、最近、他所からも説教に招かれたのだそうです。
その指摘については全く同感。実はこの私も、1980年代頃から、(そうは言っても、教会に来ていない人達の方が、人柄においても謙虚で誠実で高潔で、礼儀正しく教養豊かで、能力だって遙かに秀でている事例も多いのに...)と常々感じていました。こんなことを書いたら、本当に怒り出す人が現われそうですが、不思議なようにタイミング良く、その友人と共感できたことを、まずは喜んでいます。
上記の問題で私が最も気にかかっていた点は、「今後一切、資料の複写にも応じてやらない!」と宣言されてしまったこと。本来、それこそが彼の職務でもあったはずなのに、です。これこそ、身勝手な越権行為というものです。
その点についても、友人が先回って心配してくれて、「これからは、研究に必要な資料は私に言いなさい。こちらから複写を頼んでみるから」と。やはり、持つべきものは、金銭ではなく友なり!