ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

疲れる日々....

「真理」という言葉を出して、法は杓子定規に解釈しなければならない、という意味のことを、強く主張する某氏を国会中継で見ていて、怖い人だなあ、と改めて感じました。以前から、顔の表情や物の言い方がとても怖かったのですが、どうやら主流派とされるキリスト教の信者でもあるらしいです。(やっぱり!?) そして、元銀行員だったとも。(うん、なるほど。)

何かのマニアでもあるそうですが、それら特定の得意分野以外に、文学的素養とか芸術解釈という余白を、人としてお持ちなのかどうか、つい疑問を抱かせました。つまり、複雑な現実と理念との兼ね合いや、あらゆる側面におけるバランスの取り方のセンスという意味です。恐らくは、とても真剣なおつもりなのだろうとは思いますが、とことん相手の言葉尻を文字通りにとって、厳しい追及の手をゆるめない姿が、「国民」である私にとっては、非常に不快感を与える態度で、またもやテレビを切りました。(人口の約半分を占める女性も選挙権を持ち、その中にはテレビで国会中継を見ている人もいるということをお忘れなく。一体、何を「国民」に見せようとしているのか、本当に疲れる国会です。もう、イヤになりました。)

二、三年以来の特に驚くべき事実は政治が如何にも低調になつたことである。或る政策が主張される、初めからその政策が愚であることはわかり切つてる。しかるにそれがいつの間にか政府の政策となつてゐる。すると天下挙つてそれに賛成する。内心は賛成でなくとも表面は賛成する。....この議会は如何に愚劣な政治が日本に行はれつゝあるかを示した功績があつた。過去の内閣が半年か一年しかつゞかなかつたといふことは、政策が半年か一年で行き詰まつたといふことの動かぬ証拠である。...何とかして愚劣な政治を救済したい。愈々壁に突き当る。その時に方向転換が出来る。政治の試験台にされているのである。[以下八日項にまたがって記載]


之れは政治に於て素人が幅を利かすからである。


素人は玄人の将棋を批評するなど恥かしくて出来ない。ところで、政治は素人が玄人を批評する


批評するばかりでない。玄人を押し退けて自ら政治を行ふ。だから日本が政治の試験台になる


馬場君(ユーリ注:「馬場恒吾」氏のこと)の論は素より至言。後日稿を更めて、此の素人の政治に即ち愚劣なる政治に叩頭媚言を呈する政娼に一撃を与へて貰い度い。」(昭和十五年四月七日)


(『鳩山一郎・薫日記 上巻』p.154)