ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

『愛を乞う人』を見て

早いもので、シンガポール・マレーシア旅行から帰国して、10日ほどになります。まだ、お世話になった方々にお礼状などを出していません。というのも、写真がデジカメだけで500枚以上にもなってしまい、できるだけ安くて良心的なお店に出したものの、まだ現像が戻ってきていないからです。それに、滞在中のエピソードなど、フィールド・メモが整理し切れていないため、私なりの予防策として、誠に勝手ながら、少し時間を置かせていただくことにしました。(慌てると、先日の神戸行きのように、夜の講義なのに昼の講義と時間を間違えて、かえって向こうの方達にご迷惑をおかけすることになるからです。)
というわけで、大阪、神戸、京都、と次々に予定をこなしているうちに、今日になってしまいました。
では、今日は何をしたのか。実は、9月半ばの町内広報に掲載されていたビデオ映画を見に行きました。電話で申し込み、町内の総合会館のような場所で、先着順の定員が無料で見られる仕組みなのですが、本当のところ、(申し込みしてはみたけれど、やめようかなあ)と思っていました。ところが、さすがは人権担当課だけあってか、確認連絡が丁寧で、つい先日前に、ファクスと電話で「定員90名に満たなかったので、そのまま3階の学習室まで来てください」と連絡が入りました。(これは仕方がない。じゃあ、今回が初めてだし、今日だけ)と自転車で朝9時半に出かけていきました。
着いてみると、既に説明が始まっており、計40名ぐらいの中高年男女が集まっていました。健康診断の時のように、名簿もきちんと作ってあり、出欠を取られました。一応は、町の税金でまかなわれている催しだからでしょうか。雰囲気は決して悪くはなく、この方面に関心があり、かつ、平日のこの時間に出て来る暇のある、普通の人達の集まりでした。
人権課の催しは、これが初めてで、正直なところ、知識としては知っていても、参加に全く抵抗がなかったとは言えません。ただ、今回のビデオ映画が、1998年に新聞紙上でも有名になった原田美枝子主演の『愛を乞う人』だったから申し込んだというのが、実情です。日本アカデミー賞最優秀賞受賞という触れ込みでした。
2時間15分たっぷりの迫力ある映画でしたが、一人だったら、この種のものは見られないなあ、と感じるほど重たいテーマで、母親の娘に対する暴力行為のすさまじさ、日本占領下にあった台湾との戦時戦後の複雑な人間関係、親探しの現代的なシーンなど、どっと疲れました。以前書いたように、私も子どもの頃、よく叩かれて叱られましたが、もちろん言うまでもなく、あんなにひどい状況や住環境ではありませんでした。(父が結婚前の私に、「うちは、全体から見たら、いい家の方だぞ。何も問題はない。世の中を広く見たら、こんなに揃っている方が珍しいぐらいだ」と言いました。その時初めて、母があまりにも神経質に、否定面ばかりを見て、事を大きく荒立てていたことにも気づかされました。)
私の子ども時代は、公立の小中学校で、体罰として、水の入ったバケツを持って廊下に立たせられるとか、忘れ物に対して正座させられるとか、物差しなどでたたいて注意される、ほっぺたにビンタなど、日常茶飯事でした。
今でも覚えているのが、小学校一年の時のことです。ある日の下校前、給食のマーガリンを残した人が誰か、が大問題になり、いわゆる当時の用語で「ハイミス」の担任の先生が、「犯人捜し」のためと称して、ハンドバックから何やら薬のような包みを取り出し、「私がやりました、と名乗り出る人がいなければ、これをクラス全員に飲ませます。マーガリンを残した人がその薬を飲むと、嘘つきだということで、洗面器いっぱいに血を吐きます」と脅したのです。下校時には母親達が当番制で学校まで迎えに来ることになっていて、たまたまその日は、うちの母も当番になっていました。それで、マーガリンを残したのは私ではなかったのに、(いやだぁ、ここで薬で死ぬ人が出たら嫌だよう)と怖くなり、咄嗟に席を立って前へ駈け出し、「先生、私です。私が犯人なんです。どうか、クラスのみんなを薬で殺さないでください!」と泣きながら叫びました。面食らったのは先生の方で、「え!ユーリちゃんはそんな子じゃないでしょう?」と驚いて、「先生は、本当は誰なのか知っているんですよ」と。私があまりにも、「おかあさ〜ん、私、マーガリン食べたけれど、ごめんなさい!ごめんなさい!まだみんなと一緒に学校に行きたいよぉ」と何度も叫んだので、先生もさすがに「まぁ、今日はこの辺りでやめておきましょう。でも、またマーガリンを残す子がいたら、今度は絶対に薬を飲ませるからね」と。
こうして書きながら、なんて先生、なんて時代だったんだ、と我ながら信じられませんが、あの頃は、学校やスポーツ系クラブや家庭での、躾としての体罰や脅しは、ごく普通のことだったのです。昨今なら、新聞沙汰になるでしょう。(主人の出身高校も、府内では有名な伝統校の一つでしたが、数学の教師が竹刀を持って授業をし、できない生徒を脅していたとか。)
ついでに書き添えますと、自分がやったのではないのにヒロインのごとく、私が挙手して名乗り出たのは、白人系修道院経営のカトリック幼稚園での教えからです。「私達の罪の身代わりとなって十字架にかかられたイエズス・キリスト」の受難物語と聖母マリアの慈愛あふれる行為とを、毎日のように幼稚園で聞かされていたので、すっかりその気になっていました。なんてウブな子どもだったんでしょう!それに、名古屋のプラネタリウムで、地獄物語を見たことも影響しています。あれは本当に怖かったなぁ。
話を映画に戻しますと、原田美枝子一人二役で評判となったあの母親の姿は、まるで狂気そのものです。それに、戦後のごたごたが絡んで、非常に複雑な暮らしぶりとなっています。台湾の町の様子は、まるでこの間行ってきたばかりの、シンガポールやマレーシアの一角を思い出させ、(日本ではそういう風に見られているのか)とゲンナリしました。
普段、テレビをほとんど見ない生活ですし、映画だって、夫婦で有名な作品を新聞広告などで調べて、たまに出かける程度です。それだけに、刺激が強かったですねぇ、この作品は。町内の人達と一緒に見られてよかったです。映画作品としての完成度は、確かに高かったと思いますが。
暇人が無料で映画を見られるというほど、甘いプログラムではありません。人権啓蒙の一環として、さまざまな資料やパンフレットも同時に配布されました。しかしこれ、相当の専門家でないと、安易に扱えない問題じゃありませんか?
マレーシアで人権と言う時には、憲法との兼ね合いで、民族政策や言語政策や宗教政策上の諸問題がしばしば話題になります。その他に、人権活動家の突然の拘束とか、抑留が長引くとか、場合によっては、ひどい拷問と殺害も発生することが珍しくはありません。外国人労働者の扱いが非人道的であるとの批判もあります。また、今回、シンガポールチャンギ国際空港で、後ろ手に手錠をかけられていたインド系男性を二人見ました。
日本の場合は、さすがにその種の事例は既に過去のものとなったか、問題の質が異なることが多いのですが、それにしても、(疎かったなあ、私)と反省させられました。
アンケートでは、事の重さに何も書けず、もし今後上映してほしいとしたら、何を選ぶか、という欄に、戦争関連をマークして提出しました。しばらくは、人権映画はもう結構という気分です。ただでさえ、マレーシアでの自分の研究テーマが、非常に神経を消耗する重たいものなのに、これ以上はちょっと...。
人権担当課のお仕事も大変だなあ。ストレスたまりますよ、これじゃあ。
気分転換に、階上の図書館に久しぶりに出かけ、『音楽の友』二ヶ月分と『婦人之友』一ヶ月分をチェックして、必要箇所をコピーしました。『音楽の友』を読んでいる時が一番幸せで、思わず夢中になりました。この一時間のおかげで、ようやく映画のショックから立ち直ることができ、1階のレストランで昼食をとり、町へ買い物や送金などの用事を済ませる元気が出てきました。