(http://bunshun.jp/articles/-/9454)
・眞子さまと絢子さま――「恋愛結婚」と「お見合い結婚」どちらが理想的?
皇室担当週刊誌記者座談会 #1
「週刊文春」編集部
2018/10/29
・絢子さまは“スピード婚” 出会いから半年後に婚約内定
・「恋愛結婚」と「お見合い結婚」どちらが理想的なのか
・言ってみれば、2つのカップルは対照的な「恋愛結婚」と「お見合い結婚」です。どちらが理想的なのか、国民の間でもちょっとした議論になっています。
・高円宮家には、“結婚と恋愛は別物”という教えがあるように思います。
・今の時代、親が紹介してくれた男性を信頼できる、というのは幸せな家庭だと思いますよ。高円宮家の場合は「代理婚活」の典型的な成功例とも言える。だって、親から紹介された人とすぐに意気投合できるとは限らないじゃないですか。
・絢子さまと守谷さんの会見を通して、皇室のご慶事は一国民として、安心して拝見していたいと改めて思いました。そう感じた人は多かったのではないでしょうか。
・この不安定な時代に、皇室には安心感を持って接したいですよね。
・お子様方の自主性を重んじた教育が「秋篠宮家流」
・この対照的な2組のお姿から、ここへ来て、結婚相手を決断するにあたって、本当に「自主性」を尊重することが正しいのかどうか、一般の人からも疑問の声があがり始めているように思います。
・正直に言って、どうして眞子さまは小室さんのようなタイプの男性を選ばれたのだろう、といまだにモヤモヤした気持ちがあります。
(引用終)
この話題は、もっと真剣に討論したいところだ。
昭和時代ならば、きちんとした良家の子女は、学生時代には仮に周囲の友人と遊んでいたとしても、いざ結婚となれば、親や親戚が持ち込んだ筋でお見合いをするのが通例だった。
いつの間にか、「愛情なしの結婚なんて」「好きでもない人と家の結婚なんて」「家と家の結びつきではなく、一人の男と一人の女の結合が結婚である」という、極端な事例や説教めいた訓示が前面に出てきて、気がつけば、式場でも「〇〇家」ではなく、個人名で表示されることが多くなった。それが現代的で良いとされていたのである。
このままでいくと将来の皇后になられる予定の秋篠宮妃紀子殿下においては、ご結婚前、「たまたま好きになった人が皇族だったというだけで、皇室に入ることに何ら気負いもないのよ」と発した等と、根拠がどこにあるのか不明だが、一般向けに報じられた。学習院だったからこそ、「キャンパスの恋」であっても暗黙の了解だともてはやされ(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20170821)、質素ながらも微笑みを忘れないお嬢様的な様子が素晴らしい、とされた。
だが、格式の高い皇室伝統を踏まえれば、帰国子女が「何ら気負いもない」という軽い調子で皇族と結婚というわけにはいかなかった。親族が平民だから、皇族の係累に平民が混じっていくのである。従来ならば、自然と通じた慣例が通じなくなり、崩壊したり消滅したりしていく。
その結果が今、内親王の婚約や結婚の問題として、国民の眼の前に出ているのではないか?
過去においては、本人不在のまま家柄の形式のみで結びついたり、縁者が利得を狙って話を持ち込む例も少なくなかっただろう。だが、そのような負の面ばかりが強調されると、若い青年男女を躊躇わせたり、判断を狂わせたりする可能性もなきにしもあらず、である。
最近では、女性が男性より10歳ほど年上の結婚だとか、女性より男性の方が学歴や収入が下だとか、私にはちょっと信じられないケースを間近で見聞することが増えた。これなど、人生経験を経た親世代から見れば、あらゆる事態を想定して、まずは持ち込まない話ではなかったか?
高円宮家が、またもや非常に素晴らしい模範を示してくださったと、心より感謝し、大変ありがたく思う。
(http://retsugaiha.blog.fc2.com/blog-entry-2328.html)
・眞子丼を「高貴高齢者を支えたいから公務に専念☆」と典子さまと同じようにしたら典子さまは出雲大社の千家家に嫁ぐ為の花嫁修業をされていた
・「同じ土俵には立たない」と黙って耐えてきたのが高円宮家だった
(部分抜粋引用終)
(http://retsugaiha.blog.fc2.com/blog-entry-2326.html#comment15892)
・皇族として、素晴らしい方だからこそ、皇室を後になさっても名誉総裁を続けて欲しいと皆さんが仰るのです。絢子さまなら当然ですね。
・「一生懸命お勉強するから目をあけて」
お父さまの亡骸にすがった女の子は、ほんとに真面目に一生懸命お勉強をして、しっかりとした賢い女性に成長しました。そして、超素敵な男性のプロポーズを受け、秋晴れのもと守谷絢子さんになりました。
「皆様、今までありがとうございました。これからも高円宮家をよろしくお願いいたします」
そんな立派な言葉を残して。
(部分抜粋引用終)
(http://retsugaiha.blog.fc2.com/blog-entry-2324.html#comment15891)
・スポーツに芸術に、様々な分野で素晴らしい活躍をされた高円宮殿下。華やかな世界だけではなく、全く別の世界でも地道で地味な活動をされていました。
・高円宮殿下、妃殿下、承子さま、典子さま、絢子さま、ご一家で、山谷のとある施設で夕食づくりのご奉仕をされていた。その施設の関係者でなければ、きっと誰も知らないでしょう。
(部分抜粋引用終)
(https://www.ootapaper.com/entry/2018/10/30/211153)
・今回の絢子さんの結婚晩さん会で思ったことですが、典子さんのときと引き続き、主賓は安倍首相でした。清子さんのときには、主賓は石原都知事でした。元の身位は今上陛下の内親王と、傍系宮家の女王で、かなり格差があるんですが、晩さん会のメンバーは宮家のほうが全く上でした。
(引用終)
確かに、黒田清子様の挙式は大変に丁重で注目されたが、振り返れば、なぜか非常に簡素で地味ではあった。絢子様のように、華やかで愛らしく鮮やかな御衣装であれば....これから始まる新生活の繁栄を祈り、門出を彩るものなのだから。
(https://jisin.jp/domestic/1645813/)
「久子さま 本誌記者が同席していた“婚約者との初対面現場」
2018/07/06
《亡くなったお母様の、深い愛情をもって世界の子どもたちと接するお姿を思い出すと、そのお母様に育てられた子息はしっかりとした価値観をもつ優しい青年であろうと思い、結婚に賛成しました。良いご縁と喜んでおります》
・7月2日に開かれた、高円宮家の三女・絢子さまのご婚約内定会見を前に、高円宮妃久子さまは喜びのお気持ちをつづられた。
・絢子さまのお相手は、認定NPO法人「国境なき子どもたち(以下、KnK)」理事を務める守谷慧さん(32)。久子さまが昨年12月、おふたりを引き合わせられたという。
「久子さまは『妃殿下が知らない人はいない』といわれるほど広い人脈をお持ちです。その久子さまがご婚約発表半年あまりというという“スピード婚”をお認めになったのは、守谷さんの人柄が素晴らしかったからでしょう」(宮内庁関係者)
・KnK会長の寺田朗子さん、守谷さんに好印象を抱いていたという。
「守谷さんは、とにかく爽やかな好青年です。お母さまの季美枝さんは、専務理事として長年KnKを支えてくれました。『久子さまをぜひ写真展にお呼びしたい』と、宮内庁にお願いしたのも季美枝さん。’07年のことです。久子さまはそれ以来、毎年写真展にお越しになり、私たちの活動を応援してくださっています。次期会長は守谷さんにお願いしたいと思っていました。でも、’15年の7月、カンボジアで突然病気になって、搬送先のバンコクで亡くなってしまったんです」
・守谷さんは翌年「母がやってきた仕事を見たい」とカンボジアを訪問。母の遺志を継いで、KnKの評議員を務めることになる。そして昨年11月、KnKの創立20周年パーティーが開かれ、久子さまがご臨席に。このパーティーが運命の出会いを生んだ。
「久子さまと守谷さんは、あのパーティーがほぼ初対面ですよ。’10年の写真展でもあいさつだけはされているけれど、きちんとお話しをされたのはあの場面が初めて」
・久子さまに近づくが、背の高い青年と熱心にお話しされている久子さまに、なかなか話しかけられず5分が過ぎた……。
「おふたりはずいぶんと話し込んでいらっしゃいましたよね。きっと季美枝さんの思い出話に花が咲いたんでしょう。『素晴らしい青年だ』とすぐに守谷さんをお気に召したんですよ。ひょっとしたら、このときにもう『うちの娘に』とお思いになっていたのかもしれませんね」
・絢子さまと守谷さんの末永い幸せは、5分で見初めた“母の直感”が生んだものだった――。
(引用終)
(http://news.livedoor.com/article/detail/15521386/)
絢子さんと守谷慧さんの結婚裏「5分で見初めた」久子さまの直感
2018年10月30日 17時23分
・高円宮家の三女絢子さん(28)と日本郵船社員の守谷慧さん(32)の結婚式が10月29日、東京都渋谷区の明治神宮で執り行われた。
・式の終了後、お二人は記者会見に臨んだ。古式ゆかしい装束姿の絢子さんに、守谷さんは「実際に(衣装姿を)拝見するのは初めてだったので非常に美しいなと思いました」とはにかんだ。絢子さんが「(守谷さんに)どういうふうに見えているかなと思い、少しドキドキしていました」とお答えに。お二人らしいユーモアあふれる会見となった。
・絢子さんが守谷慧さんと出会ったのは昨年12月、母・久子さまの紹介だった。7月の婚約内定会見で絢子さんも《守谷さんのお母様が生前ご尽力されていたNPO法人「国境なき子供たち」の設立20周年の記念レセプションにて、母が守谷さんと約10年ぶりに再会したことがきっかけでございます》と語っている。
・守谷さんの母・季美枝さんは、専務理事として「国境なき子供たち」を長年支えていた。『久子さまをぜひ写真展にお呼びしたい』と、宮内庁にお願いしたのも季美枝さん。守谷さんも一度だけ久子さまに挨拶したことがあった。守谷さんは’15年に亡くなった母の遺志を継ぎ、「国境なき子供たち」の評議員を務めることに。
・かくして昨年11月、20周年レセプションで再会することになった久子さまと守谷さん。
・久子さまはこの再会の翌月、守谷さんを絢子さんに紹介される。《初対面とは思えないほど話が盛り上がり、時間を忘れて楽しんだ》と絢子さんも語っていた。
・5分で見初めた“母の直感”が生んだ、お二人の出会い。絢子さんと守谷慧さん、どうか末永くお幸せに――。
(引用終)
何だか、昭和時代にはごく普通に見聞できた、良識と教養のある家系における、女親のお眼鏡にかなったお膳立てによるお見合い結婚の光景が蘇ってきたようだ。
逆に言えば、平成に入ってからは「個」が「孤」そして「我」にすり替わり、結婚の意味そのものが変容して、家のあり方が崩れてしまったのだろう。それによって、社会や国の活力と勢いが減じてしまっている。
今年もあと二ヶ月となった。明治150周年の記念として、公私共に、実り多く、意義深い一年であった。