ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

隣国関係を学び直す必要性

新年早々、ツィッターで反応をいただき、嬉しく思っている。

https://twitter.com/ituna4011/status/947820965387317250


Lily2‏ @ituna4011 22 hours ago


Lily2 Retweeted 軍関係者の生活
明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願い申し上げます。ほぼ半年ぶりにブログを紹介していただき、ありがとうございます。



Replying to @ituna4011

軍関係者の生活 Retweeted Lily2
あけましておめでとうございます 『カトリック教会の左傾化筑波大学 故 #澤田昭夫 教授の小論各種を分かりやすくまとめて戴き、ありがとうございます。 開発途上国を救うための政策が逆に途上国の足枷となる事例など、入り込んだ共産勢力の恐ろしさも指摘され、多くの方に読んで戴ければ。

(転載終)

https://twitter.com/ituna4011/status/947849773205176320


Lily2‏ @ituna4011 20 hours ago

Lily2 Retweeted 軍関係者の生活
元旦早々、うれしいお言葉を感謝いたします。最近の共産勢力、特に文化的あるいは知的なマルクス主義の恐ろしさを痛感しております。


https://twitter.com/ituna4011



Lily2‏ @ituna4011 22 hours ago



Lily2 Retweeted Lily2
http://d.hatena.ne.jp/itunalily/touch/20150402
当時、一生懸命にブログを書いてよかったと思った。本来はブログより論文書きなのだけれど、まずは気になっていた思想問題を整理することが重要だと考えて、こうしてみた。いささかなりともお役に立てるならば、望外の喜びである。

(転載終)

https://twitter.com/Praises2014/status/947966540825051136


(((Praises5778)))‏ @Praises2014 12 hours ago


闇は光に打ち勝てない Thank you for being a light Lily様 あけましておめでとうございます。 今年も光り輝いて下さいますように! 謹賀新年 - ユーリの部屋 (id:itunalily)


https://twitter.com/ituna4011/status/948013618662010880)


Lily2@ituna4011


Lily2 Retweeted (((Praises5778)))
こちらこそ、いつも応援ありがとうございます。

(転載終)
フェイスブックhttps://www.facebook.com/ikuko.tsunashima)からの転載を。

http://agora-web.jp/archives/2030317.html


Yesterday at 18:45


・「朝鮮からの渡来人が高度な文明を伝えた」というような一般の教科書の記述からは想像ができないかもしれないが、朝鮮と日本の力関係は日本のほうが上であり、日本が朝鮮南部を服属させていたのである。
・日本は中国によってつけられた「倭国」という名称により、辺境の野蛮な弱小国家と思われがちだが、日本は中国も一目置く、強国であった。
事実をキチンと教えない学校教育の弊害もあり、多くの日本人が何となく、古代においては「朝鮮=高」、「日本=低」というイメージを持っている。日本が古代において、後進的であったという通俗イメージは一度、リセットしなければならないことを八幡氏の『韓国と日本がわかる最強の韓国史』は教えてくれる。
・日本人と韓国人のDNAに、遺伝子的な結び付きがあるかどうかを調査したところ、HLA(ヒト白血球型抗原)の分析の結果、両者の遺伝的同質性が低いという結論が出ている。

(部分抜粋引用終)
上記は、八幡和郎氏の新著を読んだ宇山氏の要約を抜粋したものだが、以下に、その宇山氏の公開質問状に対する八幡氏からの回答を引用する。

http://agora-web.jp/archives/2030329.html


百済任那についての公開質問状への回答」
八幡 和郎
2018年01月01日


・私は「韓国の前身である新羅は日本領の任那を侵略し、唐が日本の友好国だった百済を侵略するのに荷担しのちにその給料を掠め取った」というのが、古代日本国家の歴史認識であり、それが日韓関係の原点だということを忘れてはいけないと思う。修正する必要は何もないし、また、そんなことをしたらご先祖様たちに申し訳ない


日本国民がしっかりし認識しておかねばならないことだと思うので、この点について宇山氏がとくに興味をもっていただいたことは嬉しいことである。とくに、天皇訪韓の可能性なども語られる中で、しっかり、再確認しておくべきことだからだ。


・Q1:百済からの移民は統一国家成立後、継続的にいて、とくに、楽浪郡帯方郡の遺民など漢族が知識人・技術者として移民している。秦氏王仁博士・止利仏師などいずれも漢族である。しかし、扶余系の支配階級の移民もあったし、とくに、滅亡前後には大量に流れ込んだ。そのなかには、百済復興の際に王位継承候補にもなりうる百済王氏が宗家としていて鎮守府将軍陸奥などになっている。その意味で厚遇されたといえるが、皇室と対等の関係というようなものでないのもたしかで、明治体制下における李王家より琉球王家に近いレベルの扱いと言える。


・Q2:満州に起源をもつ扶余族が支配層であることは間違いないが、それが、人口のどのくらいの割合を占めていたのか、庶民は違う系統の人種だったのか、ほかの馬韓諸国はどうなのか、有力な手がかりはないと理解しています。魏志東夷伝には、馬韓諸国の言語は新羅などと全く別のものだとしており、その意味では、百済に限らず、馬韓諸国の住民のかなりの部分が扶余系だった可能性は強いとは思いますが。


・Q3:雄略天皇倭王武)が、自分の勢力圏を、東国(東北はほとんど含まれない)・西国・半島(だいたい38度線以南)の三つの部分からなると南朝への上表文で述べているように、大和朝廷にとっては、固有の領土ないし勢力圏として不可分な地域と認識されていたということでしょう。


・Q4:神功皇太后は大正15年(1926年)までは歴代天皇として扱われてきました。仲哀・神功・応神によって日本国家が統一されてから、中国に統一王朝は存在しなかったのですが、隋・唐の成立によってはじめて統一中国と対峙することになりました。隋とはアンチ高句麗連合を組んだのですが、朝鮮半島新羅百済高句麗の対立が激しくなり、新羅が唐の従属国(単なる朝貢国とは違う半独立国)となることを条件に唐と手を組んだので、それまでの国際秩序が一変したのですから、まさに東アジア国際秩序の行方を賭けた国家存亡の時だったのですから当然です。


・Q5:律令国家として結実する中央集権化は、統一国家成立以来、継続的なものです。ただ、雄略天皇の死のあと蘇我氏らの豪族の力が強まりましたが、隋・唐帝国の成立と、留学生の増加による百済を通さない直接交流が盛んになったことなどで、識字率の向上、最新の法制度についての知識の普及などで加速したとみられます。白村江の敗北も重要な加速要因ですが、それで方向が変わったというものではありません。


・Q6:天皇は701年の大宝律令、日本は702年の遣唐使の派遣の時に使われているのが確認されますが、それまで使われていなかったのにそのような決定をしたとすれば正史に書かれているはずです。国内的には、天皇の呼称はスメラギ、アメノシタシロシメスオオキミなどが使われていたし、国名はヤマトであるが「日出ずる国」などともいっていたわけですし、「ひのもと」と言ったこともあった可能性が強い。それが、律令や正史の編成や、遣唐使派遣の活発化のなかで漢字表記として統一されたとみるべきでしょう。


・Q7:高句麗支配下にあった人々のなかで扶余族だけでなく、粟末靺鞨なども主要勢力として建国したもので、高句麗の再興という意識はなかったはず。また、高麗が高句麗再興を新羅からの独立の口実として使ったのは事実ですが、高句麗の唯一の継承国家が高麗であるというのはまったく無理です。


・Q8:南北朝鮮や北東アジアで日本の場合ほどの分析がされていないので断定的なことをいうのは無理稲作をもたらしたのも、帰化人の主流も漢族であって、非漢族の半島からの移民が弥生人帰化人の主流であるということは考えにくい。さらに、ご指摘のように、高麗も李氏朝鮮も、北方系がかなり混血しているとみられる一族によって創立されたものであって、古代の半島の住民と現在の住民がどの程度重なっているかは不明。
・ただし、現在の韓国語と新羅語は連続性があること、日本語と韓国語が共通の先祖を一部持つことは間違いない。ただし、日本語の先祖はほかにもありますし、新羅語から日本語が分かれたわけではなく、あくまで数千年以上前の謎の共通のルーツがあるというだけです。

(部分抜粋引用終)
その後の、フェイスブック上のコメントから抜粋を。

Kazuo Yawata:高句麗百済の言語はまったく別系統の言語だったようですが、両言語ともに書き言葉にはなったことがないので不明です
Kazuo Yawata:古朝鮮語というものはありません古朝鮮漢民族の国ですから中国語でしょう
Kazuo Yawata:高句麗古朝鮮とは無関係です
Kazuo Yawata:高句麗百済は同じ扶余族です。したがって今上陛下は、秦、高句麗百済の帝王のDNAの継承者です
Kazuo Yawata:もう少し厳密に言うと、高麗の王建は新羅の王族の一人が高句麗の復興を口実に新羅から独立を図った後高句麗を継承していますので、その意味で高句麗の再興です。また、契丹に対して、高句麗の復興だということを大同江以北に拡張する口実に使いました。しかし、高句麗が唐に併合されて滅び、ただ、のちに新羅高句麗の王族をかつぐなど攪乱して旧領のごく一部を併合しただけのことで、中国側の言い分が正しいと思います
Kazuo Yawata:漢族が外地に創始した古朝鮮漢の武帝によって滅ぼされて楽浪郡などとなり、それを滅ばした(ママ)のが扶余族の高句麗で、それを併合したのが唐です
Kazuo Yawata:そのころ朝鮮という地名も、実態としての朝鮮民族もなかったと理解しています

(抜粋転載終)
なぜ、このような話になったかと言えば....

http://agora-web.jp/archives/2030268.html


「韓国国定歴史教科書の最新捏造建国史
2017年12月28日
八幡 和郎


韓国では、はるか昔からいちども存在しなかったものが、ある日、突然に主張されはじめ、威勢がいいとすぐに優勢になり、こんどは、それに固執する。古代史でもこんな具合ですから、近現代史についても公正さなど期待の外なので、そういうものだということで、対処する必要があるし、間違っても、足して二で割ることなどしてはあってはならないのだ。

(部分抜粋転載終)
このような曖昧模糊とした歴史の元凶が垣間見えるのが、以下のフェイスブック転載。

https://www.facebook.com/kazuo.yawata?fref=st


Kazuo Yawata
6 hrs · Kyoto


帰化人」と「渡来人」について質問がありましたのでまとめておきます。wikiの次のような説明がされており、おおむね正確だと思います。(一部編集)


歴史学者平野邦雄によれば、『日本書紀』の用法において、「帰化」「来帰」「投下」「化来」はいずれもオノヅカラモウク、マウクと読み、概念に違いはない。また古事記では三例とも「参渡来」と記し、マイワタリツ、マウクと訓む


日本史の用語としては、「帰化人」という呼び名が学会の主流であったが、第二次世界大戦後、戦前の皇国史観への反省と植民地統治の是非をめぐる政治的な論争を背景に、「帰化人」という語には、日本中心的な意味合いを含むなどとされから不適切な用語であるとされ、上田正昭らにより「渡来人」の呼称が提唱され、学界の主流となった。しかし、歴史家中野高行はこの問題に関して、古代史研究の上では帰化人という用語の使用については価値自由を要求している。さらに朴昔順や田中史生らはやはり厳密に区分されるべきとし、関晃や平野邦雄らは「渡来」には単に渡ってやって来たという語義しかなく、倭国王(大王)に帰属したという意味合いを持たないため、やはり「帰化」を用いた方が適切だとする見解もあり、学術研究上の議論は現在も続いている。
(中略)
いずれにしても、単にやってきたら居住を認められるのでなく、朝廷の威光に従うことを約束し、それを認められるというものである。それを上田正昭のように日本中心的であるという批判をするのは誤りと言わざるを得ない。また、帰化という言葉が現行法制において使われていることからしても、歴史学者が勝手に差別用語と認定して教科書などから追放させるのは著しく不適切である(そういう意見をもち表明することは自由であるが)。
この上田正昭の考え方は、たとえば、在日朝鮮人などについて本人が希望すれば日本側は選別できないという主張に繋がるものである。

(部分抜粋引用終)

上田正昭氏とは、大阪府立図書館での講演会合で、一度だけお目にかかったことがある。確か1998年から1999年の頃だったと記憶する。当時は『朝日新聞』を購読中であり、夕刊のコラムやインタビューで、時々識見を披露されていたのを覚えている。
俄には受け入れ難くとも、歴史学者の一見識として知っておくべきかと思ったので、講演会に出掛けた。もう一人のパネリストは、講義を聞いたことのある京大のタイ研究者の先生だった。
上記の八幡氏の説を読むと、(やはり、はめられたか)という気がしないでもない。もっと早くから知っておくべきだった。
但し、私の世代の公教育では、最初は「帰化人」と教えていたのに、途中からいつの間にか「渡来人」に変更された記憶がある。若い時には、前時代の反省を踏まえて先端のことを学校で習っているのだと思い込み、遅れを取らないように変更呼称に即座に合わせた私だった。これも所謂「戦後教育」の弊害であろう。
もう一つの理由として、これまた私の世代では、近隣アジア諸国の人々には先の戦争でご迷惑をかけたのだから、日本人としては、低頭して相手を極力理解するように努め、相手の望むことを叶えていけば、将来的に和解に至るであろうという啓蒙もあった。私が率先したことではなく、そのように学校や読み物で言われていたので、そのように考えるのが現代的だ、と思い込んだまでである。
だからこそ、この歳になっても尚のこと、知識を更新して、新たに学び直さなければならないのである。

ウィキペディアから関連箇所を抜粋する。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%8A%E7%94%B0%E6%AD%A3%E6%98%AD


上田 正昭(1927年4月29日−2016年3月13日)



上田は1965年(昭和40年)刊の中公新書帰化』で、「帰化」は『日本書紀』の用語で、『古事記』『風土記』は「渡来」あるいは同じ意味で「度来」と記すことを指摘し、当時の呼称と実態からは帰化人ではなく渡来人と呼ぶほうがよいと提唱した。このことで右翼からの脅迫を受けたこともあったが、渡来人の用語と理解は急速に定着した。読者の中には当時皇太子だった今上天皇もいた。更にこの上田の論と共に、「渡来人」に戦後の在日朝鮮人のイメージを投影する金達寿の主張が広まったが、こうした上田らによる「帰化人」から「渡来人」への言い換えについて、古代史学者の関晃は、「渡来」ではただ単に日本に来ただけという意味になり、帰化し日本人の一員となったという意味合いが無くなってしまうため学術用語として不適切であることを指摘し、疑問を投げかけ批判した。



・門下生に千田稔(国際日本文化研究センター名誉教授)、和田萃京都教育大学名誉教授)、井上満郎(京都産業大学教授)、灘本昌久京都産業大学教授)、田中俊明滋賀県立大学教授)などがいる。
・師である林屋辰三郎をはじめ、梅棹忠夫梅原猛とは親交深く共著『新・国学』(中央公論社、のち中公文庫)を出しており、湯川秀樹とも親交深く、夫人の湯川スミとともに1980年に『すばらしき仲間』(中部日本放送)に出演した。
・作家では松本清張司馬遼太郎と親交深く、日本古代史関連で対談やシンポジウムなどで会う機会が多かった。


学外における役職
・アジア史学会会長(1996年-2001年)
大阪府立中央図書館名誉館長(1997年)
中国社会科学院学術顧問(2000年)
・社叢学会理事長(2002年−2014年 )、名誉顧問(2014年−)
・財団法人世界人権問題研究センター理事長(1999年−2015年)
・姫路文学館館長(−2014年)
京都市学校歴史博物館長(−2005年)
麗美術館館長
・財団法人京都府埋蔵文化財調査研究センター理事長(2003年−)
・財団法人京都市生涯学習振興財団理事長
・社団法人部落解放・人権研究所顧問
・京都生涯教育研究所顧問
・財団法人角川文化振興財団理事
NPO法人大阪ワッソ文化交流協会理事
島根県古代出雲歴史博物館名誉館長(2007年−)



・朝鮮新報によれば、今上天皇が「桓武天皇の生母が百済武寧王の子孫であると続日本紀に記されていることに韓国とのゆかりを感じます」と2001年12月に述べた事が話題となったが、既に1965年、著書でその可能性について指摘していた。当時、右翼団体により「近く天誅を加える」「国賊は京大を去れ」などの電話や手紙による嫌がらせを受けた
・八木晃介、水野直樹らと一緒に「朝鮮学校を支える会」の呼びかけ人となっている

(部分抜粋引用終)


八幡氏のフェイスブックhttps://www.facebook.com/kazuo.yawata?fref=st)のコメント欄からの抜粋を以下に。

Kazuo Yawata:近現代の日本では、開国以降に帰化した人の男系子孫を外国系と認識していると思います。
Kazuo Yawata:鎖国という時期があるので明確な区別が可能ですから。沖縄ではダメですが。
Kazuo Yawata:古代にはハーフという概念はありません。父祖だけが問題です。
Kazuo Yawata:在日の人が「帰化」したとして彼らを「帰化人」という言い方はしません
Kazuo Yawata:日本語の帰化人という言葉は『古代にあって国家統一以降に渡来した人の男系子孫』という意味であって英語などでどういうかは関係ありません
Kazuo Yawata:『帰化した人』と『帰化人』を混同している方がおられますが、別の概念です
Kazuo Yawata:その通りです。「アメリカに帰化した日本人」という言い方はあっても「アメリカの日系帰化人」とは普通は言わないと思います。

(抜粋転載終)
もう一つ、興味深いフェイスブックhttps://www.facebook.com/kazuo.yawata?fref=st)から部分転載を。

Kazuo Yawata
14 hrs · Kyoto


【日本人の先祖のうち縄文人比率は12%という新しい研究】


国立遺伝学研究所静岡県三島市)の斎藤 成也教授らのグループによる縄文人の核DNA解析を踏まえ「縄文人」は、2〜4万年前に他のアジア人集団から分かれ、独自に進化した特異な集団だったとしている。また、現代日本人の遺伝情報のうち縄文人から受け継いだのは12%に留まるとしている(『核DNA解析でたどる日本人の源流河出書房新社)。また、縄文人のDNAがアイヌで50%以上、沖縄の人たちで20%程度という。


さらに、日本列島への渡来を、①旧石器時代後期から縄文時代中期、②縄文時代後晩期、③弥生時代以降と分ける三段階説も唱えている。つまり、②と③がいわゆる弥生人だが、遺伝子的には近い存在ということになる。


とくに、②を日本祖語をもたらした人たちという。日本語は数千年前に朝鮮語と共通の先祖から別れたと言われるから、ひとつの解答だろう。農耕との関係にこれを当てはめると、②が渡来してプリミティブな農耕を始めていたところに、③のうち早く来た人たちが稲作技術を持ち込んで一気に広がったということになるのだろうか。私は、むしろ、政治史的にみて、①と②をあわせた縄文人、③のうち2500年くらい前から4世紀までにやってきた弥生人、④統一国家成立後に来た帰化人(渡来人という表現は反天皇制のための用語で嫌いだから使わない)に分けているが、縄文人をふたつに分けるという考え方はありうると思う(ただし、言語をもたらしたからといって、それが大量の移民によるとは限らないので留保するが)。


この学説をそのまま受けいえるわけではないが、縄文人が農耕を学んだのが日本人の祖先の大半という馬鹿げた歴史観を駆逐する有力な傍証としては歓迎したい。(関係新聞記事のリンクはコメント欄)


Kazuo Yawata:日本人のDNAの12%は彼らから来ているという重要な先祖のひとつということでいいのではないでしょうか
Kazuo Yawata:帰化人をやめて渡来人という言葉を使おうと提案した人は帰化人という言葉に天皇制の臭いがするのを理由にしています
Kazuo Yawata:古代においては統一国家成立以降に朝廷の権威のもとに入った人たちを諸蕃と呼んでいました

(部分抜粋転載終)

数年前、普段は滅多に見ないが偶然流れてきたNHKの番組で、韓国まで出掛けて、韓国語で現地の年配学者に挨拶をし、幾つか質問をして、古代日本との交流の「実態」を教えてもらっていた日本女優がいた。あまりおもしろくなかったので記憶は曖昧だが、残った印象としては、いかにも日本側が無知で誤っており、韓国にある古文書の記述こそが正当であることを、女優を通して視聴者を啓蒙しているかのような構成だった。
韓国の古文書は漢字表記だったが、日本の古文書の方が遥かに達筆の文字だと感じたことも印象的だった。
さらに、その番組では、私が高校で習った「白村江の戦い」を、別の呼称で説明していた。(あら?今ではそう呼ぶの?)と不思議に思ったので、記憶に残っている。
この番組の内容等も、韓国側の「今の主張」を押し出しているのみであって、日本側にとっては歴史的な信憑性は低いと見てよいのではないだろうか。
新年早々、失礼いたしました。