ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

選挙が終わって

大型台風の中、衆議院議員総選挙最高裁判所裁判官国民審査が終了して、全体としてはほぼ予想通りの結果となった(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20160713)。選挙前に見た『アゴラ』からの転載を以下に。

http://agora-web.jp/archives/2020222.html


選挙に行かない男と、付き合ってはいけない5つの理由


1.選挙に行くのが「面倒くさい」
15分以内のところに休日行くのが面倒くさかったら、おそらく彼氏は君の子どもをどこにも連れて行きはしないだろう。そんなやつとは結婚しない方が良い。


2.選挙に行かないのが「どこに入れても同じ」だとしたら
彼が「どこに入れても同じだよね」と言っていたら、彼は日本語を読む能力が欠けている。つまり、彼は小学校五年生レベルの読解力もない、ということになる。それだと社会に出てから苦労する。今すぐ別れたほうが良い。


3. 選挙に行かないのが「なんだかよく分からない」なら
社会で働くということは、「なんだかよく分からない」ことも何とか調べて、分かったふりをしながらこなしていくことだ。「なんだかよく分からない」ことに対して何もしないのが君の彼氏、ということになるので、仕事できないやつである可能性が高い。将来苦労する。


4. 選挙に行かないのが「その日用事ある」なら
期日前投票という制度がある。若いのにインターネットを使えないというのは、職場における存在価値はほぼゼロだ。そんなやつに未来はない。


5. 選挙に行かないのが「政治家信頼していない」だったら
おそらく彼氏はそうやって斜に構えているのが格好良いと思っている可能性が高い。そして99%の確率で、「政治家信頼していない」というほど、政治家についてよく知らない。「政治家」と言っても多種多様で、実際に政治家と会って話せば、ひとくくりにできないことは分かるからだ。彼氏は本当の君を見るのではなく、君を「女子大生」とか「読者モデル」というレッテルで判断している、ということもこの発言から分かる。時間がもったいない。今が別れる時だ。


【まとめ】
選挙を放棄するということは、君にも君たちの子どもの将来にも、本気では関心ないよ、ということと一緒なんだ。知っているかい?若者があまりに投票しないから、国の支出は子ども:高齢者で1:11というひどい状態になっていることを。投票しない、ということはそういうことだ。
選挙に行かない彼氏は、将来君たちの間に生まれる子どもたちに、良い教育や医療を与えなくても全然OKだよ、って言っているに等しいんだ。つまり、社会の将来について考えられないやつは、君との将来も本当の意味では考えられない。


・認定NPO法人フローレンス代表理事である駒崎弘樹氏のブログ 2012年12月15日の記事から部分抜粋転載

(部分抜粋転載終)

逆を言えば、選挙権に対する態度や言動から、男性も交際中の彼女を判断しているということだ。
おしゃればかりに気を使って、新聞やテレビのニュースと同じことしか言えないオウムのような女性、あるいは、何でも反論すれば持論が展開でき、自立していると勘違いしている自称知的女性は、要注意である。「主婦の目で」や「女性と子ども」を強調し過ぎているタイプも避けた方がよい。
我が家では、過去二十年、一度も選挙権を放棄したことはなく、ほぼ全回、一緒に歩いて最寄りの小学校まで投票に出かけている。6月のことだったが、リサーチ目的でマレーシア渡航が決まっていたので、役場まで期日前投票をしに出かけて行ったことは、一度限りある。
実家のある町では、最初に投票をした時、投票済お印の小さな紙をいただいたが、今住んでいる町では、その慣行はない。
二十歳の成人式以降、納税も選挙の投票も確実に継続してきた。一般市民、もとい、一般国民としては、標準並みだろうと思われる。
裁判官については、電子版朝日新聞のインタビューと郵便受けに入っていた新聞紙で、数日前に一人ずつチェックした。学生時代には何が何だかよくわからなかったが、リベラル系の女性裁判官でなければ、凡そ妥当な線ではないだろうかと思われる。外交官から裁判官になった方や、クリスチャンではないものの、知名度はあまり高くない宣教師の献身性を引用されている方もいらして、世相の反映を感じた次第である。
今の日本では、整然と投票が行われるのが当然のような光景だが、世界各国を見ると、投票前後で暴動が発生したり、不正カウントで当落を公表したりするケースもある。1990年代前半に滞在していたマレーシアでは、識字率の問題や多民族国家の理由からなのか、文字を書いて候補者や支持政党を選ぶのではなく、各党の旗や候補者写真を見て、○か☓をつける単純な方式だった。
あの頃、途上国を中から観察したことが、現在の自分の政治意識を形作っているとは言える。