昨晩は、9月23日にビデオ録画しておいた『五嶋みどりがバッハを弾いた夏2012』を見ました。
実は、京都の西本願寺にも来られていたとは前から知っていたのですが、当日、雨降りだったので(楽器の調子や音響や人出は大丈夫なんだろうか)と密かに心配していたことも、併せて思い出します。
それに、真夏日に出かけた長崎のカトリック教会でも(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120729)、私達の訪問の後に、同じ場所でみどりさんが演奏されたということを知りました。
これまで彼女には、何度も演奏会ホールでお目にかかってサインをいただいていますが(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20070704)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20070731)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20080525)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20080526)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20080527)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20091109)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20110622)、いくらお元気そうに見えても、ヴァイオリニストとしての人一倍の練習の他に、あれだけ動き回っていると、それなりに疲労もたまってくるのか、年齢よりはかなり年上(もしかしたら私よりも?)に見えました。
南カリフォルニア大学で教授を務めていらっしゃいますが、朝6時には大学に着いて、自宅に帰るのは夜12時だとか。今回の16日間の日本ツアーも、基本的に手持ちの楽器より古いお寺や教会での独奏会だったのですが、移動は公共交通機関、宿泊はビジネス・ホテル、洗濯は自分でコイン・ランドリーにという徹底ぶり。もちろん、空き時間を見つけては、ノートパソコンで世界中の人々とメール連絡したり、大学の仕事を片付けたり(楽譜の注文リスト作りだったそうです)など、アメリカで第一線で仕事を続けようと思ったら、文字通り身を粉にして活動し続けなければならないんだな、しかも、ヴァイオリン以外は「一般人と同じ生活を」と徹底させているところは、さすがはみどりさん、やっぱりみどりさん、だけどみどりさんだからこそ、と思った次第。
毎回、新たな企画を考えなければならないというのも、大変でしょうねぇ。それに、自分がしたいことと、周囲が期待して求めてくるものとのギャップをどう調整し、協力を取り付け、採算を合わせて、実現させていくか、これは非常に挑戦的だと思うのです。
子どもの頃から、シナゴーグや教会で演奏会を続け、それが音楽家としての自分のアイデンティティを育んでくれた、という意味のこともおっしゃっていました。「アメリカでは、シナゴーグや教会がコミュニティーセンターの役割を果たしているから」と。
きれいなドレスを着て、いいホテルに泊まって、ヴァイオリンを華やかに演奏する女性像を期待されていても、「それは自分の生き方とは違う」と、結局は批判も受けとめつつ、自己を貫き通しているみどりさん。一種の賭けでしょうね。
体力的に、ある程度、余裕を持たせた演奏活動をしている音楽家もいるでしょうし、高文化を体現するために、それ相応の暮らしをキープされている人達もいるでしょうから...
いろいろなことを考えさせられた映像でした。