ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

4月の内部感覚を思い起こす

今日はどこまで書けるかわからないが(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20140508)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20140509)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20140510)、ブログの気軽さで、思いつくままに、新鮮だった得難く貴重な経験記録と記憶補充に努めよう。
5月8日からの日本語ブログのアクセス数は(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20140508)、突如一桁上がっている。昨晩など、一時間毎に百以上、アクセスが増えているのだ。もちろん、記録の正確さとオリジナリティを補佐するために、自分の書いた過去ブログや参照アドレスを不格好でも逐一掲載しているからでもあるが、それにしてもすごい。毎日、ノートにアクセス数を書いているが、相当の人々が注目してくださった様子がわかる。
アナログ志向の私の性格をいち早く悟っていらした今回のご招待者は、本当に親切な温かい方で、わざわざ「そのバルキーな資料、手作業じゃなくて、iPhone持っているんだろう?それ、こういう操作したら、手軽で簡単で荷物にもならないよ。わかるね?」と、わさわざメール指示を送ってくださった。ところが、そこは国風文化に染まった日本の私、またもや反抗心を。
「えぇ、本当にご親切、ありがとうございます。おっしゃることはよくわかっております。うちの主人も、常日頃、同じことを申しております。我が家の二つの部屋は本や資料が山積みで、引っ越ししないと空間がないぐらいです。ですけど、やはり自分の記憶を支えるためにも、アナログ式がいいんです。日本では、有名な著述家でも、あえてデジタル記録を避けて、何でもノートに記録すると公言している人達がいます(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20081115)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20140207)。そして彼らは、実に成功しているのです」。そこで止めておけばよいものを、「ですが、これも日本なのかもしれません。最高のハイテクを充分に理解し、学び吸収に努めつつも、現在の日本が伝統との共存や調和を続けてきている理由は、もしかしたらこの私のやり方が、それを一部反映しているのかもしれません」。
その時は必死だったが、今から考えれば、(じゃ、好きにしなさい)というところでもあろうか。お返事はなかった。でも、どうやら一方で、このようなやり取りを心から喜び、楽しんでもいらっしゃるらしい。
この度、本当にお目にかかれてよかったと思い、同時に一種驚きでもあったのが、日本に対する家族ぐるみの好意と知的関心の割に(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20140508)、日本人の中に友達だと呼べる人がいない、あるいは、仮にいても言及したくなさそうだったことだ。それでいて、突然、やんごとなき三笠宮様に言及される(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120122)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20140319)。ご両親や弟さんの場合は、わからない。また、前の奥様は過去も今も、仕事の関係で日本人とは一定の交流がある上、「1985年には(彼と)一緒に日本に行ったのよ」とも、後で書いて来られた。それに、上のお嬢さん二人は、「二度も日本を旅行したの!」と妹の方が叫ぶほどであった(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20140508)。だから、なぜ突然、面識もない私に訳業が振り向けられたのか、二年前の当初は、嬉しくも戸惑いしかなかったのだ(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120330)。(あんなに有名な方が、どうして無名の私に?)(もし、責任の所在を明確にするために、名前を出して訳文を出すなら、知り合いが日本にいる場合、ご挨拶ぐらいしておかなければ後々困るのでは?)などと、一人で気を揉んでいた。この点、確かに私はれっきとした日本の主流社会に属する日本人なのである。
そのことも、メールで何度かさり気なく尋ねてはみたのだが、どうも判然としない返事か、「敵意の壁」だとか「冷たさ」だとか、妙な方向に話がいってしまうのが気になってはいた(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120123)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120126)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120505)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120528)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120804)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120917)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20121020)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20131124)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20131210)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20131213)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20140205)。ただ、面と向かってならば、誤解は解けるであろう。今回、もう一度、尋ねてみた。「日本は世界で最も興味深い国だと、僕は呼んでいる」と、2012年初期のメールに書いてあった一文を(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120429)、そのまま口にされた瞬間を捉えてである。
「ところで、日本、日本とおっしゃいますが、日本は趣味なんですか?暇つぶしなんですか?それとも、一種の気分転換(リフレッシュメント)なんですか?」
思わず、軽く驚いた風ではあったが、黙ってこちらを見つめるばかり。そこで一押し。「そんなに長く、日本に関心をお持ちならば、日本人のお友達はいらっしゃらないんですか?」
すると、まるで思春期の初々しい少年のように、(だって、だって)とはにかみながら、片手をおずおずと差し出すジェスチャーで、(君、僕の友達じゃないの?)と言いたそうな表情になった。これこそが驚き。還暦を過ぎた年齢の、しかも国内外のメディアに長年出演されて、世界有数の政治家とも交流があり、批判を物ともせず、思い切った大胆な政策提言をされてきた方だとはとても思えないコントラスト。そして、じっと物思いに沈んだ風に、うつむいて指輪をいじくり始めた。(指輪ないしは指輪をはめていた指をいじる癖は、昔の映像から知っていた。)
後で主人に報告すると、「そんなん、顔見たらわかるじゃないか?そういう性格の人だよ。だから、ユーリと気が合うんじゃないかって、前から言っていたんだ」と落ち着き払っている(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20140508)。「頭はいいし、優秀だし、いい家の出で、いい学校を出ている。旅行はいろいろとしているかもしれないけど、本ばかり読んで、友達ができなかったんだよ。そこんとこ、あんまり突っついちゃ、駄目だよ」(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120321)。
次女たる娘さんにも、思い切って尋ねてみた。「ね、お父さん、仕事や専門のことでは、堂々と真っ直ぐにはっきりおっしゃるけど、普段の素顔は、とても控えめな人でしょう?内向的な性格でしょう?」
すると、「そうなのよ」と、これまたストレートなお返事。「父の部屋は本ばっかり。いつも本を読んでいて、あまり私達に自分の気持ちを言わないのよ。そうよ、とっても控えめ」「読者からのお便りに、いつでもお返事を書いているわ」。
まぁ、優しい娘さんでよかったですね、と一安心。でも、これで晴れて、公認の「友達」になれたのだ(と思う)。特に私が、立場や肩書きを持たない普通人であるという点が功奏するらしい。それに、研究テーマは持っていても、ライバルにもなり得ない間柄だから、楽なのだ。中東のように複雑で困難な地域を対象とするシンクタンク運営となれば、資金獲得とその維持のために、何かと利害関係で結びつく機能的な人間関係になりがちであろう。政治家達とのお付き合いも、仕事上のこととはいえ、嫌なことも多いだろう。
それに、昔から今まで、どういうわけか、意地悪で質の低い中傷合戦が絶えない(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120429)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20130704)。「きちんと読めば、そんなことおっしゃっていないとすぐにわかるのに、どうして偉い人達が変なことを書いてくるんですか?『金貸し屋』だなんて、最近もオランダの一流紙が、何てことを(http://www.danielpipes.org/blog/2014/03/hating-geert-wilders)...あれは、一種の反セム主義なんですか?」と問うと、「彼らは、僕のポリティックスが嫌いなんだ。だから、わざとやっている」。では、と勢い込んで、「もう、テレビでお話にならないで、書くことに集中されたらいかがですか?書けば、どちらがおかしいか、すぐに判明しますから」というやり取りも交わした。ともかく、これまでどれほど神経をとがらせ、精神的ストレスに耐えてきたかを、遠くから心配していた。だからこそ、特に成長期にあったお嬢さん三人のことは、学校で嫌がらせに遭っていないか、治安は大丈夫かなどと、最初から気に懸かっていたのだ(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120505)。
そういう波瀾万丈の人生行路でありながら、継続して金銭的な支援者がアメリカ国内のあちこちに存在しているということを、どのように考えるべきだろうか。
4月8日の昼食会でも、ペンシルヴェニア倶楽部に十数名が集まった(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20140509)。大半が、まさに淑女倶楽部ならぬ紳士倶楽部そのものだったのだが(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20140510)、そのまま軍服を着せたら実務に出かけられそうな、そんな風貌の恰幅の良い立派なおじさま方も混じっていらした。つまるところ、中東地域でビジネスなり軍事関連なりの事業をしている人達向けの、コンサルタント業を兼務しているということなのである。恐らくは、それを私が理解することを期待してのご招待でもあったのだろう。それはまさに、日本でも話題となっている集団的自衛権などのどこか浮わついた世間知らずの議論に喝を入れるための、生き生きとした現実の国際政治に触れる瞬間でもあった。
実のところ、当日には、イスラエルからの男性出席者も一人いらした。『エルサレム・ポスト』紙の人らしい。ユダヤイスラエル人は、ユダヤアメリカ人と比べて、同じように流暢な英語を話していても、話し方や雰囲気が少し違う。何というのか、アメリカ人にとって、パカッとした明るさを前面に打ち出そうとするのが社会規範だとすれば、イスラエル出身者は、似たような状況でも、どこか陰影を伴った落ち着きが見え隠れするのだ。それは、それぞれの居住国の規模や人口配分などのあり方、そして国際環境の位相を反映しているようにも思われる。ヘブライ語の影響もあるだろう。事実上、ほぼ国民皆兵国防軍で、体を張って国を守り、自ら鍛えられ、いずれは年頃の我が子を差し出さなければならない、厳しい日常から来るものでもあろう。
ともかく、始まる前の15分ほど、(何と!)ぴたりと横に立ったまま、カジュアルな打ち合わせとなり、そのイスラエル出身者と、「テキサスから来た」という、可愛らしい印象を与えるチャーミングな中年女性(まるでジョージ・W・ブッシュ大統領のローラ夫人みたいな感じの人だと思った)の三人のざっくばらんな話を、私が一緒に聞いていたということ自体、今でも信じられないような思いがする。
もちろん、到着は私の方が早かった。じっと黙って壁の写真を眺めたりして待っている間、最初のご挨拶はどうしたものか、一瞬考えてはいた。ところが、小規模のエレベーターが上がってきたかと思うやいなや、扉が開き、映像で見たままの背の高い(194センチほど(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120429))背広姿の(あのネクタイも背広も、私には映像で見覚えが何度もある)招待者が、にこやかに名字を呼びかけつつ、ゆっくりとにこやかに歩み寄って来られた時には、(あら?この瞬間を、私はどこかで知っている!)という内部感覚が走った。これを既視感と呼ぶのだろうか、それとも通俗的にデジャヴ現象と言うのだろうか。こちらこそドキドキはしなかったものの、上記の「日本人の友達」の時とは違って、やはりテレビ出演で鍛えられている長年の自然な使い分けなのだろう、公の立場としてのご挨拶であり、先方から右手を差し出されての握手。少し冷たい手の平。思わず、「ご親切なご招待をありがとうございます。本当に、無茶なこと(extravagant)を申しまして...」と、ごちゃごちゃ口ごもりながらお礼を述べると、ただうれしそうに微笑のままだった。
私が尊敬し、心から格好いいと思う招待者の特徴は、やはり知性の切れ味と分析力、時間厳守を実践される点だ。その打ち合わせでも、内情はよくわからないこともあったし、恐らく私にはわかる必要もないだろうし、または、わかってはいけない部分も含まれてはいたのだろうから、ここでは触れない。どうやら、イスラエル情勢について緊迫した側面があるようだった。「それは承知している」とまずおっしゃった後に、「ここまでは言ってもいい。だが、そこから先は皆の前で言わないように」と指示を出されていた。また、テキサス出身の女性は、それ相応の事情をお持ちのようだったが、それについても、まさに阿吽の呼吸で、テキパキと話が進んでいった。政治も国際事情も、何ら専門ではない私が、こうして生々しい声に触れることができたなんて、これが世界史を生きるということなのか、人類史を共有するというのは、こういう意味なのだと、お話をそばで聞きながら、身の引き締まる思いがした。
ここまで書いてきたのだから、今日は4月8日の会合に集中しよう。
料理を運んできた数名の若いお兄さん達が、私に中に入るよう、促してくれた。「席順はどうなんですか?」「どちらが上席でしょう?」と戸惑いつつ尋ねると、「そんな、順位なんてないよ」と、にこにこ顔。おいしそうな香りも漂ってくる。そうは言っても、明らかに世代が一つ上の方ばかりである。アメリカでは、欧州と違い、「社会階層を殊更に云々することは、あまりないし、むしろ強調すれば嫌われる」と主人から聞いていたが、そうは言っても、最初から堂々とし過ぎるのも妙であるし、何かと気後れがしないわけではない。もたついていると、招待主から「中に入りなさい」と促された。「席順は?」と改めて尋ねると「席順というものはない」ときっぱり。ただし、さすがに、わかっていても一応は譲り合う日本人のやり方をご存じなのであろう、「私の隣に座りなさい」と断言された。「これから、昼食会が始まる。終わるのは○○時だ。その後、少し個別に話す人達がいるかもしれないけど、そのままここに残っていなさい」とテキパキ指示を。
そういう采配の手際よさは、さすがにお見事なのだ。
(この続きは、また明日...)