ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

土地の人々に敬意を

結局のところ、どの国のどの土地であっても、そこに住んでいる人々に敬意を払う姿勢が大事だということです。
私など、自分の故郷である名古屋を殊更に自慢しているようですが、もともとそういう土地柄であるということと(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20111003)、今回、古い戸籍謄本から、曾祖父や祖父の居住地なども判明し(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120408)、(だから、大学院の頃、東北から東京経由で名古屋に来て、名古屋人をバカにするような発言をした教官に対して、何とも言えない気分になったんだ)と、24年も経った今、わかるようになったのです。当時も、クラスメートの中には、「すぐ名古屋の人は怒る。だから、嫌なんだよね」みたいな発言を高みからしていた人が何人かいました。想像がつくように、東京出身者と大阪出身者です。
でも、クラスメートには、私よりも2,3歳年上の名古屋出身者の女性がいて、彼女の方が、私よりも遥かにあからさまに怒りを示していました。今、振り返っても、当然だろうと思います。
その人だけを見るのではなく、その人を産み、育んだ家族の人々、親戚縁者、幼稚園や保育園、大学院に至るまでの学校の先生と級友達、その他さまざまな大勢の人々が関与することで、一人の「名古屋人」が存在するのに、それを、生半可な誤った知識でのみ、断罪するかのように高みから悪く言うので、誰でも腹立たしいわけです。
それに、前提として、名古屋よりも小さい都市や地方の人々ならば、決してそのようなバカげた発言をしないということが挙げられます。従って、自己中心の誤った狭い考えからくる発言が、我々、地元人を不愉快にさせたのは、全く理にかなったことなのです。
去年の今頃でしたか、新潟のある都市部出身の教授の方が「地方の人々の痛みをわかっていない。名古屋は大都市だから」などと、私におっしゃいました。ただ、私自身、名古屋を自慢しているのではなく、ごく自然なお国自慢のつもりであって、昨今は特に震災の多い雪国である新潟をバカにしているつもりは、毛頭ないのです。いえ、それ以上に、私達名古屋人だって、こんな理不尽な思いをさせられてきたんですよ、と申し上げたい!
そして、原則として、各地域に設立された国立大学は、その土地の人々に、研究および教育の成果を通して知的に還元していく使命と義務を担っているのであり、名古屋大学に奉職し、名古屋の水と空気の恩恵にあずかって生きているのに、名古屋人をバカにするような発言が許されること自体、由々しきことなのです。
この頃、頼まれ事で関係の深まった米国人の「先生」の某テレビ番組での発言を、少しご紹介いたしましょう。もちろん、英語ですが、私なりの理解でお許しください。
多文化主義を実践するには、各人が自分の文化やアイデンティティに自信を持つことが必要である」。
いかがです?名古屋人をバカにできるということは、相当、ご自身の「自信」に関して、他人に疑念を抱かせる行為であるということが、これで明らかになったのではありません?自分に自信のない人ほど人を小馬鹿にして喜ぶという、サディスティックな倒錯心理を、周辺に撒き散らしてしまうのではないでしょうか。