ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

ケンぺルさんの書き残した遺産

今日、ドイツ語をラジオで少し勉強していたら、昨年も読んで知ってはいたものの、改めてタイミングとして、ぴったりないい文章と出会いました。

タイミングというのは、お察しの通り、昨日書いた「日本は米国の子会社ではない」云々についてです(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120405)。つまり言いたいのは、日本の「近代化」には、明治維新前からの脈絡があり、何も、アメリカが「大国」であるからと言って、その流儀が日本でもまかり通るというほど、単純な社会ではないということ、これに尽きます。

古くは中国、朝鮮、インドなどから、その後、ポルトガル、オランダなどを経由して、ドイツ、フランス、英国、そして米国の影響を受けたり、よいものだけを抽出して吸収してみたりしたのです。もちろん、東南アジアとの交流もあり、ロシアとも関係がありました。すべては、地理的位置による経緯でもあります。そのようにして、我々の祖先は生きてきたのです。そのおかげで、今、この私も生命を受け継ぎ、ごく小さな存在ながらも、一生懸命に生きています。

Japan-das verschlossene Reich


Dies Volk übertrift alle andere der Welt an Sitten, Tugend, Künsten und seinem Betragen, und ist ausnehmend glücklich durch seinen innern Handel, seinen fruchtbaren Boden, seinen gesunden und starken Körper, seine muthige Seele, seinen Ueberflus an allen Bedürfnissen des Lebens, seine ununterbrochne innere Ruhe.


(Aus: Engelbert Kaempfer: Beweis, dass im Japanischen Reiche aus sehr guten Gründen den Eingebornen der Ausgang, fremden Nationen der Eingang, und alle Gerneinschaft dieses Landes mit der übrigen Welt untersagt sey. In: Geschichte und Beschreibung von Japan (Herausgegebn von Christian Dohm), Lemgo, 1779, S.410ff)


(出典:NHKラジオ『アンコール まいにちドイツ語』2012年度 4〜9/10〜3 p.314)

通称ケンぺルさん、原音発音に従えば「ケンプファー」氏が、このように18世紀に書き残してくださったことの意味と重要性を思います。この解釈は、日本側が勝手に喜ぶべきものではなく、当然のことながら、ドイツ側の史的事情を踏まえるべきでしょう。ただし、「鎖国」そのものが、「自然の法則を破る罪悪」であることを、聖書を引用して述べた後に、このような論考が記述されたということの深い思想を、自分なりに考えてみたいと思います。

それにしても、こういう文章があることを知っておくと、何かと便利です。「礼節、徳、芸術、素行」が「世界のいかなる民族をも凌駕している」と褒められ、「国内取引、豊かな土壌、壮健な身体、勇気凛々たる精神、生きていくのに必要なすべてを補ってあまりある豊かさ、いつまでも続く国内の平穏」と記されていることは、我々が感謝して受け取るべき過去の恩恵だろうと思うのです。同時に、その記述に恥じないよう、現代文脈の中で、どのように継承し、また発展させていくべきなのか、よく考えて、少しでも実践に移ることができるならばと願っています。
相澤啓一先生、どうもありがとうございました。