ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

再びツヴァイク

みすず書房の『ツヴァイク全集』から2巻(「女の二十四時間」)、19巻、20巻(「昨日の世界」1,2)を借りて、ここ数日、暇をみては読んでいます(参照:2011年3月27日付「ユーリの部屋」)。ただただ、懐かしいの一言に尽きます!
二十数年前に読んだものなのに、ちゃんと筋書きの記憶が甦ってきたのも楽しい上、私なりに、若かった疾風怒濤の時代に伴走する暗く重たい心象心理が思い出されるのも、これまた興味深い経験。
冷戦期だったからこその、ドイツ語とドイツ文学に夢中だったあの頃....。専攻分野ではなかったからこそ、プレッシャーもなく、自分のペースで、思うように勉強が進められた時代....。
今ではインターネットで、再婚した妻と共に服毒自殺したツヴァイクの遺体写真も見られます。生前の姿も含めて、まるでデジャヴ現象のような、想像を裏切らない写真ばかり。
彼は一体、幻想を生きた作家だったのだろうか?したたかに、たくましく生き延びたユダヤ系の人々もいる中で、なぜ彼自身、反ユダヤ主義の再興に絶望したのだろうか?古き良き時代だったヨーロッパ精神の充溢がこれで崩壊したと感じた時、自ら生き続けることを放棄する決意をした彼。でも、なぜ?

1942年 世界全般の情勢に不安を感じる。リオ・デ・ジャネイロカーニヴァルが祝われているとき、シンガポールが陥落する。これは驚愕に値する対照的な出来事であった。諸当局およびブラジル・ペン・クラブ会長にあてて別れの手紙を書く。深い憂鬱におちいる。身のまわりを整理処分。二月二十二日、ロッテ・ツヴァイクとともに服毒自殺。国葬。」(ツヴァイク年譜)


(『ツヴァイク全集 20』 p.661.)

この年譜が正しいとするならば、彼の自殺の引き金となったのは、シンガポールを陥落させた日本軍の行為ということになります。
だとすれば、この国の一員として、シンガポールも領域に含めているリサーチャーとして、やはりツヴァイクとは何らかのご縁があったように思えます。もっとも、本書と出会った時には、私が今まで続けてきたようなテーマの研究をすることになるとは、全く予想もしていなかったのですが。