ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

これがダメなら次善策

人には複数のアイデンティティがあるゆえ、幾つかのネットワークを重ねて持つことの大切さを、最近、特に感じています。
この道一筋という生き方が、もし、人をより深化させ、一つを通してさらに多方面へ広がる経験へと導くならば、それは健全なあり方だろうと思います。ただ、逃げ道というわけではなくとも、これがダメなら次善策はこれ、とルートがいろいろ用意されているのは、それもまたよいことではないでしょうか。
明日から、夫婦で沖縄旅行(参照:2010年11月13日・2011年1月5日付「ユーリの部屋」)。正直なところ、二人とも、これを楽しみに今まで頑張ってきたという感じです。やっと疲れが癒されるかと期待しています。
と、思っていたら、名古屋でお世話になった先生からまたもやお葉書。昭和一桁生まれの名誉教授方は、マメというのか律儀というのか、ハッと居ずまいを正されるようで、とても頭が下がります。
長年愛着があった手元の資料をお譲りくださるとのことで(参照:2011年3月2日付「ユーリの部屋」)、留守期間を外していただければと、ご連絡したのですが、なんと、「沖縄」の文字に先生の心が躍られたようで、またもやお返事が来たのです。
沖縄返還時から30年間、毎年、調査に行かれ、琉球大学での集中講義もなさっていたとか。それにも関わらず、「沖縄に何のお役にも立っていませんので、自責の念さえいたしておりますが」と、大変謙虚なお言葉が綴られていました。
そうなんですよね、私も本来、もっとマレーシアにとって、何らかのお役に立てればと思って続けてきた作業ではあっても、わけのわからぬ世の荒波や、日本の狭いサークル内での一方的な論理に押され気味になると、つい、「あぁ、もう疲れた。早く終わって欲しい...」とつぶやいてしまうのです。
先日、やはり沖縄をテーマに長年、研究その他の闘いを一人で果敢に続けてきた先輩研究者から、「しんどいならやめればいい。おもしろかったら、他の人がそれをするから」と言われました。実は私が言いたかったのは、そういう意味ではなく、(事がそれほど深刻だから、疲れるんです。そうではあっても、責任上、ここでやめるわけにはいかないのですよ。何もおもしろくてやっているんじゃないし)ということだったのですが、果たして、当事者(注:「先輩研究者」ではない)にそれが通じているのかどうか.....。
沖縄に30年、そしてマレーシアに45年、関わって来られた先生の述懐がこれです。まだまだ私なんて、というところですが、一方で、「まだやっているのぉ?」という、憐れみとも見下げた感情とも曰く形容しがたい言葉に、がっくりくることもしばしば。
一つは、現場に数年間、居住したことがあるかどうか、それとも、単に短期訪問しただけで知識として理解し(たつもりになっ)ているのか、の違いが大きいでしょう。それに、現地語を肌感覚で吸収したかどうかも、センスの分かれ目です。
もうかれこれ10年以上前にもなりますか、NHK教育テレビの講座にも出演されたことのある東大のN先生から、「おもしろい問題を含んでいるから、自分の切り口出して」「完璧じゃなくてもいいから、もうそろそろまとめてみませんか」とお勧めの言葉をいただきました。それなのに、資料不足から躊躇してしまい、「いえ、まだまだなんです」と。(昨日も似たようなことを書きました。)
とはいえ、同情してくださる方は、必ず存在します。同じ日に、おもしろいことをおっしゃった方もいました。「パワーポイントで口頭発表するのは学問じゃない、なんて言っている人は、自分がパソコンできないから、そう言っているだけ。おじいさんやおばあさんの多い学会では、そういうことになる」と。実は、うちの主人も同じ事を言っています。「その発言、理系じゃ考えられんな。今時、どこにそんな人がいるのか、顔を見たいものだ」と。
世代間ギャップは、こんなところにも観察されます。職位職階は尊重すべきだし、現代技術は活用すべきだし、何やら、どちらに非があるのか、だんだんわからなくなってくるのですが。