ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

ちょっと一言

昨晩、知り合いのイスラエル人の先生に、2年前にドイツの大学の「ドクター・ドクター」(博士号を二つお持ちなので)の先生が送ってくださったマレーシア関連の論文の件で、お礼を述べました。5月末の拙稿の脚注に引用させていただいたからです。すぐにお返事が来て、「勉強の進捗はどう?何かあったら、いつでも手伝いますよ」と。
イスラエルの先生がドイツ人の先生と親しく、そのドイツ人の先生が専門のサンスクリット研究の応用として、マレーシアのヒンドゥ教徒の社会問題について書かれました。そして、イスラエル人の先生が、私に「話がある」とおっしゃって、その論文コピーをくださったのでした。
どこで誰がどのようにつながっているかわかりません。だからといって、八方美人的に振る舞うのではなく、自分のテーマを持っていさえすれば、このように思いがけないところで、助けられることもあるのだという一例です。
ちょうど2年前は、疲労困憊して頭の中がごった煮のような錯綜した感じでしたが、こうしてブログも始めて、好きなように本を読んだり音楽を聴いたりする自由な時間のうちに、徐々に回復してきたようです。もうそろそろ、自分のテーマ以外に、視野を広げるためにも外に出て行かなければならない時期だなあと、思っていたところへ、T先生から学会入会のお誘いと、会合へのご招待をいただいたのでした。ありがたい限りです。
土曜日の会合では、サルトルの『ユダヤ』を超える思想を出していこう、というお話がありました。また「イスラエルの存在と反セミティズムの問題が消えない」とも。
私の場合は、個人的に子どもの頃から音楽と本が好きで、ユダヤ系の人々を外したら、文化水準が貧弱になるのではないかとナイーブにも思っているので、今でもそれほどまでに差別があるとは、少し信じられないような思いがしています。上記のごった煮頭のまま、ふと思い立ってイスラエルに旅行してみたところ、現場を見て、(ああ、こういうことだったんだ)と。
個人的には、そのイスラエル人の先生はとても親切にしてくださる上、私のテーマに関しても、抱える問題をよくわかってくださるんです。今日もマームード・アイユーブ教授の『ムスリムキリスト教見解』(2007年)(参照:2009年6月29日付「ユーリの部屋」)を読んでいたのですが、マレーシアで出版されているムスリム学者の本よりも、よほど筋が通っていて読みやすいものの、ところどころで同じ話が何度も出てきて(あ〜〜〜)というようなぐったり感もないわけではなく....。これ、何とかなりませんかねぇ?
一方、ユダヤ系の話になると、直接の当事者ではないからなのか、圧迫感から解放され、ようやく呼吸が自由にでき、等身大の自分でいられるような気がするんです。要は、私の培ってきた背景や物の考え方の好みも影響しているのでしょう。多様な新しい話が自由に出せ、批判や質問も、気兼ねなくできそうな感覚が持てるのです。