ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

毎日の情報分析が判断力を養う

昨日のブログ内容に関連して(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20181218)。
しかしこの話は、外交官や官僚だけの仕事ではないはずである。国民一人ひとりが常に目覚めて、分に応じて、的確な物事の観察力と分析力を養っていかなければならない。その総体が国力となる。
何らかの刺激剤にでもなればと思い、以下に抜粋引用を。
ちなみに、『平和はいかに失われたか』は、過去に入手済みで、読了した(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20151106)。ウォルドロン教授については、過去ブログを(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20151119)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20160718)。

http://www.gakushikai.or.jp/magazine/archives/archives_835_4.html


「国際情勢と日本外交 ―情勢判断をめぐって―」
岡崎 久彦
No.835(平成14年4月)
平成14年1月21日午餐会における講演の要旨


・私の経歴は極めて特殊でございまして、外務省へ入りましてから、室長、課長、部長、局長、防衛庁参事官と、ほほ一貫して情報だけをやって参りました。


・情報をやっておりますと、課長なら課長、部長なら部長、局長なら局長同士で、CIA(米中央情報局)、NSA(国家安全保障局)、DIA(国防情報局)と付き合ったり、MI6(英国情報部)と付き合ったり、モサド(イスラエル諜報機関)と付き合ったりと、ポストがかわる度に繰り返し繰り返し付き合いますから、先方からみると、「この人間にはこの程度なら秘密を言ってもいい」といった、点数がついていくんですね。


・情報の「収集」、どうやって集めたとか、いちばん皆さんがご関心があるのは収集ですね。その次が「伝達」。官邸に早く伝わったとか、伝わらないとか、皆さんそういう話にも大変ご関心がある。そうやって集めた情報を「分析」する。さらに「秘密保持」、それから相手側に誤った情報を与える工作、いわゆる「反間」(ディスインフォメーション)等、これを全部まとめて情報と申します


伝達の遅速や経路は情勢判断にほとんど関係ありません。少しぐらい遅れて入ってもいい。一次情報というのはテレビで知ろうと、人から教えてもらおうと、あまり関係ない話です。


・情報を得た上でいかなる判断を下すか、これがいちばん大事なことでございます。


・いかにして大局的な日本の進路を誤らないかを考える指針とする。それが情報判断であり情報の窮極の目的でございます。


・日本が過去、情報で失敗した事例は限りなくございます。


・こういう縄張り根性がいちばんいけないんです。


・一つだけの情報に依存してはいけないんです。情報というのは、多数情報、複数情報でなければいけない


自分たちに都合のよい情勢判断のみで国際政治を進めていくのは危険です。


・もしそう決めたのなら、今度はそれに反対する情報をどんな情報でも全部集めて検討しなければいけない。


・自分の政策に都合のいいような情勢判断を正しいと思ってはいけない。希望的観測を入れてはいけない。そして複数情報を尊重しなければいけない。これは情報の基本です。


イギリスとアメリカは複数情報制度を採っています。第二次大戦中にその重要性を覚えて、それが戦後原則となっているのに、日本は戦後も全く進歩していなかった。


・日本は戦争に負けたんですから、そこから学ばなければいけない


・敗戦から学んだ唯一の教訓は「戦争は嫌だ」というだけで、あの時どうすればよかった、こうすればよかったという教訓を全く学んでいない


・戦争が終わった時に、「全部徹底的に調べよう」と言って、幣原喜重郎が戦争調査会をつくろうとしたのですが、占領軍側が、「なぜ戦争を失敗したかの勉強をするということは、今度はどうすれば勝てるかということを勉強するんだろう」と禁止したんです。


外務大臣吉田茂GHQを説得しようとしたのですが、GHQの許可が出ずに、敗戦を調査分析して反省しようという試みは、それきり断ち切れとなってしまったのです。


・第二次大戦が終結した時、南米の日系移民のなかで、「日本は戦争に勝ったのだ」という「勝ち組」と「いや、日本は負けたんだ」と主張する「負け組」がいて対立していたわけです。


・情勢判断というのはあくまでも客観的で、しかも、あらゆる事実に目をふさいではいけないのです。


ミッドウェイ海戦であれだけやられ、敗戦を公表して「これは大変だ。ここで考え直さなきゃいかん」ということになっていたら、結果は全然違っていたでしょう。


・情報の隠蔽による過誤


・だいたい大綱とか、綱領とかをつくって、それでいこうと決めるのは日本だけです。ひとたびつくったら、御家の掟みたいに守る


・私は近代史を繰り返して読んでおりますが、一体情勢判断で何がいちばん誤りだったかと考えますと、日本の失敗というのは二つしかありません。一つは、日英同盟を廃棄したこと。もう一つは、真珠湾を攻撃したこと。取返しがつかないのはこの二つだけです。それ以外は全部取返しがついています。


孫文は一九二四年に日本に来ていますが、その頃言っていたのは関税自主権、領事裁判といった不平等条約撤廃だけです。


・何が悪かったかというと、やはり一九二二年の日英同盟の廃棄ですね。日本にとってあんないい同盟はなかったんです。あの頃は空軍なんてものはありません。日本とイギリスが世界で最大の海軍国でしたから、日本の安全は百%保障されていた。


・世界中の海を日英同盟が支配している。世界中の資源はいくらでも入ってくるわけですから、繁栄し、自由民権以来の努力が実った大正デモクラシーというものがちゃんとできた。大正デモクラシーは日本人がつくった本当のデモクラシーでした。


・イギリスは時のロイド・ジョージ総理大臣、カーゾン外相、チャーチル植民地相、事実上の外務大臣であった枢密院議長バルフォア国際連盟担当、チェンバレン国璽尚書陸軍大臣海軍大臣全部日英同盟存続支持でした。


・イギリスが自分の責任で交渉すれば、当時のイギリスとアメリカの関係ではイギリスのほうが強いですから、アメリカが「日本を切れ」と言っても切れるものではない。結局、日英同盟は、そのまま存続したでしょう。


・「もし日英同盟が残っていれば、政府部内における海軍と天皇側近の勢力に対する陸軍の勢力の均衡を覆していたであろう」と、在日米大使館のムーアが言っていますが、それはその通りです。


昭和天皇は親英米ですから、同盟国のイギリスがこう言っていますと進言すれば、その通りになっていたと思いますし、親英路線がずっと続いたであろうことはほとんど間違いないですね。


アジアのナショナリズムの屈辱と挫折はもう半世紀続いたわけですが、民の苦しみは戦争に過ぎるものはありません。


真珠湾攻撃をやった結果、アメリカの世論は反戦から開戦へと、その動向が固まってしまったんですね。


アメリカという国と交渉するにはアメリカの世論の動向をみなければなりません。この読みが難しいんですが、戦後はわかってきている。


・日本には石油を売らないという「石油禁輸」で対日圧迫を強めてきたアメリカは、続いて「ハル・ノート」(国務長官ハルからの覚書)という当時の日本政府がとうてい承認できない要求を突きつけて来た。それを公表して、こういうものが来たが、「四十八時間以内に石油禁輸全面解禁。そうでなかったら、戦争しましょう」と、通告を出せばよかったのです。アメリカ議会では「ハル・ノート」なんて誰も知りません。当時共和党の下院の指導者であったハミルトン・フィッシュは最後まで戦争反対でしたし、戦争反対論は議会内の多数派でした。


真珠湾攻撃のあとでも、日本が東南アジアを解放したものですから、「われわれはどうして英蘭帝国主義を守るために戦争しなきゃならないんだ」という論争がかなり起こっています。


・一九四五年二月の硫黄島決戦では栗林中将指揮の日本軍は全く航空隊の支援も援軍も何もなしで、孤軍奮闘。死傷者の数がアメリカ側が日本を上回ったのは、あれが唯一の戦闘です。戦略がよければ、戦術を少しぐらい間違えてもいいんですが、戦略が悪かったら、いかに戦術がよくてもだめですね。


幣原喜重郎山本五十六、これは私のいちばん尊敬する人と言ってもいい人たちですが、その二人の情報判断の間違いが日本の進路を誤らせている


・結局、アメリカの国内事情の分析が足りないんです。議会の議事録を仔細に読んで、ハミルトン・フィッシュの発言とか、他の議員たちの発言を詳しく読んでいれば、期限付きの最後通牒で戦争した方がいいという結論は出たはずですが、そこまで読みきれていない。


・同盟を全部やめて、すべての国が合意できる原則をつくって、その原則をみんなで守れば平和になるんじゃないか、と言い出した。それが国際連盟であり、国際連合であり、これはウィルソン主義として続くわけですが、その原則が崩れたらどうしたらいいかという保障は何もない


・二十世紀が終わり、皆が歴史をもう一度見直しているから、今ならアメリカに対して「乱暴なことをやってゴタゴタにしてくれたな」と言えますが、当時はこんな情勢はわからないです。


アーサー・ウォールドロンが『平和はいかに失われたか』で、マクマレーの書いたメモを紹介し、北岡伸一さんが日本語に訳しています。そのなかで、あの時イギリスとアメリカが一緒になって中国に既存の条約をきちっと守るべきだともっと強く言うべきだった。ワシントン体制を最も忠実に守ったのは日本であり、日本は非難されるべきではないアメリカとイギリスが非難されるべきだと、はっきり書いています。


・勝ったって意味がない。勝ったら、日本の代わりにソ連が出てくるだけで、ソ連相手に同じことをするだけの話だとまで書いています。これを戦後ジョージ・ケナンが読んで、本当に感動し、ジョージ・ケナンの極東政策のバイブルとなった。


・九〇年八月にクウェートを侵攻したサダム・フセインは、アメリカは来ないだろうと思っていた。私は当時「これはサダム・フセインは間違えるだろう」と書いたものを今でも残していますが、アメリカにああいう反戦運動があると、これは間違ったシグナルになる。


共産圏の情報を仔細に毎日毎日繰り返し分析して、結果を出す。私は分析課長になった時に、まず、レーニン全集と毛沢東選集と中ソ論争を全部読めと言われ、そこから始めました。


・当時の情報事務、調査事務というのは、防衛庁警察庁公安調査庁とも、ソ連、中国、北朝鮮北ベトナムと共産圏分析ばかりでした。いくら共産圏の情報を分析しても、アメリカの内情を知らないのでは、ベトナム戦の帰趨がわかるわけがないんです。


いちばん強い国アメリカのことを分析しなければ、世界はわかるわけがないのに、世界中どこもやっていなかった。


・共産圏分析というのは、共産党の長い演説の行間を読む。時々はスパイ情報が入りますが、たまたまいい情報が入っても、続いて入るとは限りませんから、ひたすら行間を読む


・分析課長の時に「一度日本に教えに来い」と頼んだんですが、「一週間も旅行したら、その分をもう一度読むのは大変だ。外へは出られない」と断られました。


アメリカ情報になると、限られたものを一所懸命読んで、眼光紙背に徹する共産圏情報とはまるっきり違う。読むものは限り無くあって、読みきれない


・国際情勢を知っていると称する評論家が出てきて、「アメリカはこう考えている」とその人が言ったら、その一言で素人とわかります


・「そのアメリカって誰?」と聞けば、すぐわかるんですね。名前一つ言えない場合が多い。名前を知っていても、それが支配的な意見と言えない事はすぐわかる


アメリカには国務省がある、国防省がある、大統領府がある、議会がある。議会には上院も下院もあって、新聞世論がある、国民世論がある。そのそれぞれ全部が四分五裂で意見が全部違うんです。それらの多種多様の意思が、チェック・アンド・バランスを通じて、お互いに議論をし合っているうちに、一つの筋が出てくるんですね。その筋を見分けるのがアメリカ分析ということです。


アメリカの総意たるものは、最後に出てくる公式文書がある意味で唯一の手掛かり


アメリカ分析をやるのにこれだけは押さえておきたいというのは、アメリカの議会公聴録


・継続的に五年十年と読まなければならない。大統領や国務長官といった要人の演説も大事ですから、これも全部読まなければいけない。


アメリカの有識者に「この演説はここがおもしろいな」と言ってみる。もし向こうが同意すれば、そこがポイントになる。「いや、本当はここなんだよ」と教えてくれるかもしれない。


アメリカの内部に精通している知識人をよく知っていて、しょっちゅう連絡をしていないとアメリカという国は読めません。そういうことを五年十年ずっと続けて、それで初めてアメリカが読めるんです。


アメリカを東京、ヨーロッパが大阪で、日本は名古屋と譬えてみますと、名古屋の人が大阪を知ろうとして、大阪そのものを分析してもあまり意味がないんです。大阪は東京の方ばかり向いていますから、むしろ東京へ行って、東京が大阪をどう考えているかを知った方が遥かに早いし、大阪が東京をどう考えているか、東京と大阪の関係を知っていれば、名古屋なるものが大阪を分析しなくても、だいたい大阪の問題はわかる


・私はそういう人たちと付き合っていたから、東欧の将来が読めた。日本で共産圏分析をやっていても誰も読めなかった。東ヨーロッパの国々が日本に相談に来るわけがないんですからアメリカヘ行って、「東ヨーロッパをどう判断するか」と聞くのがいちばん早い。


・大きな話を一つだけすれば、結局、アングロアメリカン世界と仲良くしていればいいということに尽きるでしょう。


日英同盟の頃は、イギリスの陸軍情報部が日本の大本営にしょっちゅう情報をくれて、情報のつき合わせもやっていました。だから、世界中の情報がわかっていた。


・イギリスの情報部とつき合わせてみれば、精度はたちまち十倍も二十倍も増えます。戦後日本はアメリカとそれをやっている。


・そういう国と親しくすることで、情報はいくらでも出てきます。もちろん、日本にだけは教えたくないとか、情報操作はされるでしょう。


・トップの人間は一次情報を全部集めた上で総合的情勢判断を持っていますから、こちらが必要なのは、その総合的情勢判断なんですね。そこでは嘘をつけない。


・一人で十年ぐらいは継続してみていなければだめだ


国家情報官は十人ぐらいいて、ヨーロッパ、共産圏、アジア・太平洋、アフリカ、中近東、軍備、経済というふうに分担し、それぞれの国家情報官はその分野についてはなんでも知っていて、大統領に聞かれたら、すぐ答える。そういう情報システムです。


・学者であっても、アメリカの公聴会の記録、演説、これは毎日必ず読まなければいけない。これを十年やれば、情勢判断をほとんど間違えないです。


・情報分析官はまた、アメリカの有識者とつねに交流する実力を持ち、その友好信頼関係を強化して、「こいつなら話してもいい」という間柄になれる人物である必要がある。そして、しょっちゅう意見の交換をし合う。そういうシステムをつくるのに、大したお金はかからないと思うんです。


・情勢判断というのは、毎日、毎週、毎月、毎年、継続的にしなければいけない。世界の治乱興亡の理を知っていて、尚かつ、毎日毎日緊張感を持って細かい情報を全部きちんと読む根気がある人材。


・それ以上に東洋的見識のある人材を情報分析官に任命すれば、世界一の情報機関ができるのではないかと私は思っております。

(部分抜粋引用終)