ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

本のダイジェスト版(2)

昨日の続き(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20181217)。
自分の研究分野や関心のある事柄については、勿論、図書館から本を借りたり、本屋さんで新品を買ったり、古本で格安に入手したりして、きちんと読む。重要なページには角を折ったり、書き込みやアンダーラインを入れて、もう二度と「手放せない」状態にするのが、長年の私のやり方。学会や研究会の発表レジュメや論文で引用した箇所には、(100円ショップで買った)判子と(百貨店で買った)日付印を並べて押す。(小さな判子は、色とデザインの違いによって、発表場所や引用意図を明確にするため。だから、まっすぐに本を並べたつもりでも、折り跡や付箋のためにブクブクと本が膨らみ、軽く傾斜しているのが「マイ本棚」だ。)
そうは言っても、他にも知っておかなければならない分野や更新すべき情報がたくさんある。その際、誰かが読んで要旨を並べて定期的に送ってくれるメーリングリストを参照して、知識や情報をストックする作業も並行しなければならない。
新聞やテレビのニュースだけで物事を判断するには、あまりにも変化が激しく、しかも規模が拡大している現今である。さらに、朝日やNHKを含めて、情報操作とやらで、信頼が著しく失墜してもいる。
今日、引用させていただく以下の岡崎氏については、非常に感銘を受け、賛同する(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20150404)。
特に、英領マラヤの一次資料を米国東海岸の神学校(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/archive?word=%A5%CF%A1%BC%A5%C8%A5%D5%A5%A9%A1%BC%A5%C9%BF%C0%B3%D8%B9%BB&of=50)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/archive?word=%A5%CF%A1%BC%A5%C8%A5%D5%A5%A9%A1%BC%A5%C9%BF%C0%B3%D8%B9%BB)やイェール大学神学部の図書館(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/archive?word=%A5%A4%A5%A7%A1%BC%A5%EB%C2%E7%B3%D8)で集中して調べた経験から、やはりアングロサクソンの情報網を侮ってはならない、と痛感している。
それなのに、10年ほど前までは、特にイスラーム寄りの女性研究者達が、今から考えても馬鹿げたコメントを偉そうにしていたのだった。そして、会合後、私が会釈しても、侮ってツンツンと無視していた。
学歴や学位(と社会的地位(?))はあっても、教養や一般常識や礼節がない、とはこのことだ。こういう人達が、国力低下と知的文化衰退に貢献して現在に至っている。
ふざけるなよ!

岡崎久彦国際情勢判断・半世紀


*本書は2014年10月に亡くなられた岡崎大使の遺作となる。彼は回顧録の類いはほんとんど残していない。本書は、彼の半生を自身が20時間以上語ったものを筆記したものだ。


彼の長年の国際情勢研究の結論は、「日本の平和を守るためにはアングロサクソンと仲良くすること。そのためには、日米同盟の強化。それには、政府が集団的自衛権の行使を認めることにある」であった。これが数十年、岡崎氏が主張してきたことだった。


・私は江戸時代の人間を知っているわけです。祖父岡崎邦輔の初陣は14歳のときの鳥羽伏見の戦いです。私は15歳のときに敗戦でしたから、私の受けた教育は戦前教育で、戦前の人間といえます。同じ意味で祖父は江戸時代に人格を形成した江戸時代の人です。


桜田門外の変(1860)で井伊直弼大老が殺されたのは、祖父が、私が2・26事件を体験したのと同じくらいの年齢(幼稚園児)のころです。その時に祖父は、親類の筆頭が、「天下の大老が畳みの上で死ねなくなる時代が来た。これからは大変な時代になる」と言ったのを聞いたといいます。


・私が通った旧制府立高校で最もよかった点は、先生に後に東大教授になる若い人が多くいたことです。一年生で国史、二年生のときに世界史の授業を受けました。世界史の先生は、経済史学者の松田智雄氏でした。一学期がギリシャ・ローマ、二学期がルネサンス中心で、ダンデの『神曲』をずっと講義するなど、ずいぶん高度なことを教えてくれました。三学期になると爆撃がひどくなり学校は続かなくなったが、私の教養はほとんどそのころ培われたものです。


・戦局の悪化で校庭ではサツマイモを植えていました。何もないから、勉強するしかなかった。学校の図書館は幸い爆撃されなかったので、本は幾らでも読めました。図書館には原書のオスカー・ワイルド全集があり、何もない時代にこうした立派な本を読むのはとても贅沢をしている気持ちがありました。子供向けの『ハッピー・プリンス』『セルフィッシュ・ジャイアント』、それからオスカー・ワイルドの戯曲『サロメ』も英語で読みました


・明治時代に出版された史書に『通俗二十一史』というものがあります。中国の王朝の宋が滅びるまでの歴史を、史書の数から十八史といい、それに元、明、清を加えて二十一史といいます。


・戦後、家が貧乏になり、この本を売ることになりました。母や兄弟もこの本が私の愛読書だとは思っていませんでした。私にとって戦後の一番悲しい記憶です。


・後に、ハーバード大学に留学したとき、燕京図書館で『通俗二十一史』が並んでいるのを見つけました。30年ぶりの再会に涙がでました。


・1952年の外務省入省から10年間くらいは、だいたい使われっぱなしで、日本での勤務のときは、毎日残業で疲れ切って何もできない。欲求不満の発散をブリッジと麻雀で晴らしている、といった毎日でした。勉強といえば、往復の電車で考古学、歴史、伝記などに関する新書などを手当たり次第に読んだくらいでした。


・入省してからしばらくして、英国のケンブリッジ大学に留学しました。ケンブリッジを居心地がいいと感じたのは、私も一部の人からジェントルマンと認めてもらったからだと思います。当時もまだ、ジャパニーズ・ジェントルマン、つまり侍は世界最高のジェントルマンと見られていました。


・1967年に異動して就いたのが資料課長(一年後に分析課に変名)というポストで、そこから今に至る、私の国際情勢判断の人生が始まったといっていいでしょう。配属時点で私は36歳でした。


・私は共産圏について何も知りませんでしたから、一体何をしたらいいだろうと上司に聞いたら、まず異動する前に、レーニン全集と毛沢東全集を全部読め、そこから始めろと言われました。レーニン全集は、最近は読む人はいませんが、大変面白いものです。


・分析課の部屋の左側に並んでいる調査班の職員は、全員調査のプロで私より年上、当然月給も上でした。戦前の満州にあったハルピン学院や、上海にあった東亜同文書院を出ている専門家ばかりでした。彼らを部下としてまとめるのが、私の分析課長としての出発でした。無我夢中で勉強しました。


・共産圏の専門家は共産党の機関紙や政府紙である、『プラウダ』『イズベスチヤ』『人民日報』『解放軍報』など掲載された難しい論文を読み解くのが仕事です。


・こうして格闘していくうちに、だんだんとやり方が見えてきて、中国とソ連の共産圏分析については公式文書を徹底的に読むことが王道だとわかりました。トップの政策は決まっていて、こうした公式文書は内容に必ず干渉しているから、それを長期間、欠かさず読むと共産党、すなわち政府の政策、方針が読み取れるようになります。


共産圏分析のすべては、公開情報を漏れなく継続的に読むことです。党の機関紙には、党の言いたいことが書いてあるだけでなく、書いて欲しくないことは一切書かれていないからです。


・当時、英国にビクター・ゾルザという共産圏が専門のジェーナリストがいました。中国で文化革命があると予言し、ソ連チェコに侵入するかどうかで世界中が緊張していたときに、「必ず侵入する」と言ったただ一人の人でした。この人は情報は四六時中、継続的に見ているが、ただし、公開情報以外は一切見ないというやり方を貫いていました。


・どこかのポストに着任すると、私はその国の歴史文化の研究から始めます。そんな大使は、初めの一年は役に立ちません。ところが二年目になると、歴史文化研究が基礎になっているから断然強くなります。そうすると余人をもって替えられなくなり、今度は後任が見つかりにくい。また私のような使いにくい人間は引き取り手がない。というわけで、全部オーバーステイになってしまったのです。


・私は国際社会は国家間の力の関係であり、その中で最も基本的なものは、軍事力という考えです。


・米国留学から帰国して外務省に戻り、就いたポストは調査企画部長です。私は入省後ほぼ一貫して国際情勢分析を専門にしてきましたが、その要のポストに就いたことになります。


・私は分析課長以来、「情報分析とは、とにかく公開資料を徹底的に読み解いて、国際情勢を見通すことにある」と確信してきました。調査企画部長として毎日毎日、情報が上がって来たら、自分で率先して考え、分析し、書き下ろして部下と一緒に議論しました。


日本を戦争の破局に導いた情報軽視や、情報に対する極端な無関心と無知を改善する糸口を作りたいというのが、私の宿願でした。


サウジアラビアの地域について知るための一番良い本は、今もローマ帝国衰亡史』です。これは天下一品の難文ですが、私の知っているかぎり、アラビア半島に関しては一番権威がある本です。


陸奥宗光というのは私の縁続きではありましたが、砂漠の中に3年滞在して、彼の伝記を書き進めれば進めるほど、陸奥の偉大さがわかりました。


陸奥は、一種のルネサンス的人間です。法律、政治、経済だけでなく、哲学も中国哲学から、イギリスの啓蒙哲学に至るまで通じしている(ママ)思想家です。彼は若い頃、江戸で漢学を勉強しています。家が没落しましたから、志を立てて猛烈に勉強し、漢学の素養は超一流でした。


・世の中にわからないものがある、ということがわかると、偏見がなくなり、視野が一挙に前に開けます。最近、はじめて哲学書が読めるようになってきました。


・本当のところは何もわからないのです。わからないけれども、門前の小僧習わぬ経を読む、というやつで、最高のお坊さんのお経を毎日聞いていたら、小僧だってやっぱり経を読む真髄がわかるのでしょう。


・繰り返しになりますが、ビクター・ゾルザは、当時最も尊敬されていた共産圏分析の専門家でした。彼の言っていることはただ一つで、秘密情報、聞き込み情報は絶対に読まない。『プラウダ』『イズベスチヤ』『人民日報』だけを読む。


・私がアメリカ情報に自信を持てるようになったのは、ここ数年です。日本だけではなく世界中がアメリカを読めなくて、失敗しました。どうすればアメリカを把握できるだろうか。トレンドを正確につかむにはどうしたらいいか。米国は世論と政治の動向を読み解かねば予測できません世論、議会、ホワイトハウス国務省があり、お互いに意見を戦わせるうちに政策が出てくる。お互いに、ああだこうだ言っているうちに政策が出てきます。だから全部を眺めて、どういうことを言っているかがわかると、それで大丈夫なのです。


・トレンドは最終的に世論が決めますが、その裏には、大衆の好き嫌いだけではない、国家戦略論があります。アメリカはこうすべきだとか、アメリカはこうあるべきだという、政治原則があります。


政治原則、戦略論は、まず外交評論、研究者の本、論文に現れます。それが次はマスコミの社説論説に影響してくる。それがまた政治家に影響してくる。それが政府指導者の講演、国務長官の講演とか、あるいは公聴会の次官補の発言とかに出てくると、かなりのトレンドになってきたといえます。


・米国の評論家の論説、その次は要人の演説です。まず評論家の論説を読んで大きな流れをつかみ、その中で政府の要人とか議会でどういうことを言っているかをつかみます。それから毎日の新聞の社説を読むことです。流れの中で変な動きをする人はいますが、大きな流れは見失いません。


・私は、21世紀の日本の安全を確保するには、日米同盟を盤石にすることが不可欠、と一貫して主張してきました。そのためには、米国にとっても日米同盟が不可欠でなければありません。そのためには例えば米艦に対する攻撃に対して、同盟国として反撃できるようにすればいいのです。集団的自衛権の行使を認め、自衛隊シーレーンのパトロールに加われば、東南アジア諸国も含め、日本は大きな信頼を得ることができるでしょう。日米関係は、米英関係と同等の強固な運命共同体になります。


・日米関係を盤石にすること、そして米国情報を常に的確に把握すること。この2つのことができれば、21世紀も日本の自由と安全と繁栄を維持できると確信しています。これが外務省勤務40年、退官後22年の試行錯誤から得た結論です。


・現在世界のバランス・オブ・パワーの変化を論じるならば、中国の勃興、とくにその軍事力の飛躍的増大を論じなければ何の意味もない。



*以下は、新居雄介氏(現役外交官)の岡崎久彦評である。


キッシンジャーが日本で議論するに足ると見ている人物は、岡崎大使以外に誰か彼の頭に浮かぶでしょうか。あるアメリカの有識者で、自分はキッシンジャーよりも岡崎の方がずっとすごいと思うし、尊敬もすると言っていた人がいたのを憶えています。


・よく酒の席にも誘われましたが、ふっとその時に応じた漢詩が出てくる。花見で千鳥が淵を歩いていたときですが、李白漢詩とか西行の歌が何首かスラスラ出てくる。本業の国際安全保障、政治における知識を超えて、明治の教養人が持っていただろう部分を併せ持っていて、それが全体として人間的な魅力を作り出していた。


・岡崎大使には、日本の良きサムライ文化の最後と、明治の近代的な部分と、英国に最初に留学したことが原体験としてあって、人格の基軸には、サムライ、明治教養人、英国ジェントルマンの3つがあったと思います。


*以下は、細谷雄一氏の岡崎久彦評である。


・岡崎さんは人格を非常に重視し、ウソをつくとか騙すとか、人間的に醜い行動を取ることを嫌っていました。政治家についても人格が評価の対象になっていました。ノブレス・オブリージュ、つまり貴族的でありまた高貴であること、表には出ないが日本の国益のために命を尽くす、貢献する。そういったことに美徳を見ていた。


・岡崎氏のライフワークである、アングロサクソン同盟論は、5、10年単位で考える国家戦略というよりも、50年、100年単位で考える大戦略、グランドストラテジーです。大戦略は総合的な、国家の生き方、生き様、アイデンティティにもかかわってきます。戦略、外交を語った人はたくさんいたが、グランドストラテジーを語った稀有な存在でした。

(引用終)
別件を。これは判断し難いところだ。
「見たものを画像として記憶する能力」については、千住真理子氏(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20150225)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20131007)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20130211)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20080923)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20071012)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20070925)が楽譜を記憶する方法として語っていたし、佐藤優氏(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/archive?word=%BA%B4%C6%A3%CD%A5)も似たような能力を保持しているらしい。だが、私にはそんな特殊能力がないので、(そうかしら)と思うまでだ。そういう保留事項も、必要ではある。

高橋洋一なぜこの国ではおかしな議論がまかり通るのか』


・正しい結論を導くためには、「正しい前提」から始めればよい。筆者の思考は、その一点に尽きる。だからウソはすぐに見破れるし、予測も当たる。この国の未来を正確に見通すのは、じつはそれほど難しいことではない。



・筆者の学生時代の勉強法を尋ねられると、筆者は「小学校に入ってから大学を卒業するまで、一度もノートをとったことがない」と正直に答える。いまもメモはとらない。だから筆記具も持ち歩かない。


・筆者にはフォトグラフィックメモリーの能力があった。さすがにいまは歳をとったので、衰えていてできないが、これは見たものを画像として記憶する能力のことだ。


・黒板に書かれた文字も、一瞬で記憶できた。グラフや数式も、メモもせずに画像として脳にインプットできる。これはトレーニングで身につけたテクニックではなく、生まれつき備わっていた能力だから、「読者には再現性がない」といわれれば、致し方ない。


・わたしが「変人」であることは認めよう。しかし、筆者には人が真似できないような特別なノウハウを駆使して仕事をしているという感覚はない。


・むしろ、きわめてオーソドックスな一般理論を用いて分析や予測を行っていると考えている。言い換えれば、正しい前提のもとに、正しい理論を、正しく使えば、正しい予測が導かれる確率が高くなる、ということをシンプルに実践しているにすぎない。


・筆者の仕事術として説明すれば、前提の段階ではできるだけ省略的思考をすることだ。加工されていない客観的な統計データや、シンプルなロジックから定理を構築する。


・筆者は普段から新聞は読まないし、テレビも観ない。この生活は、官邸に勤務していた役人時代から変わっていない。


・正しい前提となる情報を求めるのであれば、メディアに頼らないことだ。幸い、いまはインターネットがある。ネット上には何の加工も施されていない一次情報が必ずある


・筆者の情報収集も基本はインターネットである。ただし、ドメインは日本の政府機関による情報を公開した「go.jp」か、大学・研究機関による情報を掲載した「ac.jp」に限定する。



・「時間がない」の真意は「時間の使い方がうまくない」。


・わたしの原稿執筆も、たとえば日刊紙の短いコラムなら1時間、ウエブ連載の長めのコラムなら2時間、書籍の原稿なら4時間という具合に時間を設定して1日のスケジュールに組み込む。


・筆者は仕事をタイムゲームだと思ってやっている。役人時代に残業をしたことがないというのも、仕事は就業時間内に終わらせるタイムゲームだと思ってやっていたからだ。


・役所には、夜半に急に対応しなければならない案件が生じることもある。そのために待機する者もいるが、筆者は原則として定時で帰った。その代わり、居場所を伝えておき、必ず連絡がとれるようにしておいた。そうすれば、緊急時にも30分もあればタクシーで駆けつけることができる。


・筆者は基本的に、仕事は時間内にできたところまででいい、という割り切りをもっている。


・筆者の原稿の場合、制限時間内で書けたものが完成品だと割り切って、タイムアップになったら編集者に送ってしまう。


数学的思考で重要なのは、データであり、ロジックだ。そこに瑕疵がなければ、文体や表現にはそれほど固執しなくていい。だから毎回、80点以上の及第点はとれているという納得感がある。


・100%の状態にまで仕上げてからパスを出せば、素晴らしいキラーパスになるだろう。だが、それは自己満足のようなものだ。


・80%から先の20%の部分は、そもそも自分の力量が足りないから未完成なのだ。だったら早くパスを出して、パートナーや第三者の知恵を借りたほうが、早く仕事を100%に近づけることができる。


・この考え方の混泳にあるのは、組織論の中で実践されているダメージコントロールである。


・政治家を見渡しても、ここ10年ほどで金融政策を正しく理解していると筆者が思い当たるのは、安倍晋三菅義偉中川秀直山本幸三竹中平蔵渡辺喜美舛添要一馬淵澄夫小沢鋭仁松原仁、金子洋一、、、各氏らくらいのものだ。


・現政権が歴代政権のなかでも傑出した雇用成果をあげているのは、金融政策を理解している安倍首相、菅官房長官が政権の中枢にいて、一連の日銀人事で間違いを犯さなかったからである。


・雇用とインフレ目標とが表裏一体であることを完璧に理解し、正確に実践できる政治家であれば、金融政策のドライバーになれる。

(引用終)