ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

「台所の祈り」

この秋、引越しのために、冷蔵庫を動かしたところ、すっかり忘れていた紙が貼り付けてあった。
裏面に記してある日付は2001年6月23日で、「台所の祈り」と題する抜粋だった。

「台所の祈り


創造主であられるあなたとともに、
創造の喜びを少しでも味わうために、
家族への愛を、
心を込めたお料理を通して表すために、
私の見ていない所で働いていてくださる
多くの方々への
感謝の気持ちを持つために、
健康管理の責任を全うするために、
必要を満たしてくださる
あなたへの感謝を忘れないために、
遠くの人に思いを馳せるために、
みことばを思い巡らすために、
この台所を小さな喜びの部屋にしてください」

どこでこの紙切れを手に入れたのか、なぜこれを冷蔵庫の脇に貼ったのか、今では記憶が曖昧である。だが、9.11前の時期で、まだ日本全体が、今よりも何となく、いい加減な雰囲気に満ちていた頃ではなかったか?あまり物事を考えなくても、(そのうちに何とかなるだろう)という根拠なき楽天性に満ちていたのではなかったか?
結婚して4年目に入る時であり、祖母や父は健在で、妹と弟は未婚だった。主人は、既に深刻な進行性難病の診断を下されていたが、それでも「しんどい、しんどい」とボヤきつつ、米国出張に行っていた。
私は「論文、論文」と、毎日逼迫した焦りで神経を尖らせていた。何しろ、一次資料がどこにあるかもわからず、あちこち駆けずり回るばかりで、ただ時間が過ぎていったからだった。
将来の希望どころか、将来そのものが何もなく、周囲は光り輝いているのに、自分だけは真っ暗な闇をトボトボと歩いているような感覚だった。
そんな時、自分には「健康管理の責任」が課せられていると気付かされたのは、この紙に書かれた祈りの言葉によってだった。
隣には、他の紙も貼り付けてあった。

「食は命なり」「考える力と感じる力」「医食同源」「変化・バランス・安定」「春=芽・夏=葉・秋=実・冬=根」「陰性と陽性」「色彩(紫・青・緑・黄・赤/赤・白・黒・青・黃))と味(辛・酸・甘・塩・苦)」「遠心力と求心力」「(体内を)温めるものと冷やすもの」「固いものと柔らかいもの」「五感(触覚・視覚・聴覚・嗅覚・味覚)」「手足をよく動かし、心と体と頭のバランスを取る」「手作りの工夫」

これらは、さまざまな本から取り入れた知恵を列挙した一覧表である。
信心深くもなく、祈りに欠けた者だが、これらの可視化体系のお陰で、夫婦共々、何とかここまで生き延びることができた。
あの頃は、まったく予想も想像もできない境地であった。