ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

勉強法・加齢の知恵・自業自得

引き続き、メーリングリストからの転載を以下に(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20181024)。

濱野成秋『ユダヤ人に学ぶ速学術』


ユダヤ的速学術の基本。どんなに忙しくても、1回5分の情報読み込みをやる。1日10回、メモをとっていく。3週間続ける。


・活性知識は初速の5分が決める。自宅から会社までの行き帰りは勉強時間だ。


ユダヤ人は独学に徹した


・電車の中でも本は書ける。細切れ時間こそ、メモリはテラ級になる。


・学校や静かな勉強部屋で、刺激も屈折感情もなく覚えた知識はひよわだ。仕事中や駅頭で格闘して叩き込んだ知識はタフだ。


ユダヤ人学者は初見で覚えるユダヤ人はいつなんどき放り出されるかもわからないという意識を常にもっている。これはこの民族の宿命だ。いかに金持ちでも、翌日には財産放棄を迫られ、無一文の流浪の民に転落することを覚悟していなければならない。


・習得時間も機会も少ないユダヤ人にとって、大切な知識は見た瞬間に獲得するしかない。だから、「知識は初見で獲得する」を鉄則とするのだ。


ユダヤ人はサバイバルのために、常に情報の交換を怠らない。だがデゴマークを信じて迷妄することはしない。情報の真偽や重要度はいつもチェックする。


想起スピードは常に速いほうがいい。


・勉強族は、みな論客だ。


ユダヤ的記憶法は、印象データと文献中心。

(抜粋転載終)

致知出版社人間力メルマガ 2018.10.25


致知』2018年11月号
特集「自己を丹精する」P10


「加齢は人間に知恵を与える」曽野 綾子(作家)


──今回、曽野先生を取材させていただくに当たり、『致知』に初めてご登場いただいたのはいつだったか振り返ってみましたら、1984年10月号でした。これがその時の記事です。

34年前ですか。昔のものは忘れたいですね。恥ずかしいので(笑)。

──この記事の中で『戒老録』のお話をされていましてね。

戒老録』は確か37歳の誕生日に、当時の日本人女性の平均寿命が74歳だと聞いて、「ああ、きょうは私の人生の折り返し地点なんだ」と思って、老年に警戒すべきことをその日から書き留めることにしたんです。何か体裁のいいこと言ってるでしょ(笑)。

──『戒老録』に「私は25歳の自分よりも37歳の自分のほうがまだしも少しは信用できるように思った」と書かれています。その理由をインタビューで答えられていて、「人生がよく見えてきたから」だと。

まあ、そうでございましょうね。20代から比べれば。

──そして、「37歳の時より、いま(53歳)はさらによく見える?」との質問に、「もう桁違いですね」とおっしゃっていますが、あれから34年経って、さらに人生がよく見えてきたという実感はございますか?

ありますね。やっぱり加齢は人間に知恵を与えると思います。どんなにぼんやりしてても、日々の生活を営む中で何かの出来事に遭遇したり、何かの光景を見たり、いろんな経験を積むうちに少しは利口になるような気はします。

──加齢は人間に知恵を与えるという言葉は、私たちに希望を与えてくれますね。

まあ、事実というよりは、そうなればいいという一つの希望ですけどね。

ですから、加齢によって段々見えなくなることもあるし、不自由になることもありますけれども、読みが深くなることはある。殊に身内の争いなんかしていらっしゃる方の話を聞くと、諦めちゃえば簡単なのに、ってよく思います。

若い時はそれを諦められないで、何とか理想通りの人間関係に修復していこうと思う。でも、不可能な場合が多い。諦めっていうのも随分大事だなと思いますよ。私は子供の時から諦めることはうまかったんですけど、年を取ってもっとうまくなったし、捨てることもうまくなった。

家に何でもたくさん物を置いておく「溜め魔」がいらっしゃるでしょ。私、逆なんです。どっちかって言うと、「捨て魔」なんです。人間関係でも捨て魔な面がありますね。嫌われたら、うなだれてその場を去るんです(笑)。

所詮この世というのは計画通りにならない。叶えられる望みにも限度がある。そう思えば、割と気が楽になるんじゃないかしら。

(部分抜粋引用終)

https://www.chichi.co.jp/


JOG Wing 国際派日本人の情報ファイル
No.2821  H30.10.24  7,836部


反日」は私たちの自業自得ではないか? 上間裏 アキヒコ


【伊勢雅臣】わが国、我々国民の態度が反日を招いた、という鋭い論考です。我が国の中にも反日利得者がいました。反日利得者、反日国家に対して、筋を通さず、カネで済ましてきたという経済至上主義に我々が染まっていた事が、今日の事態を招いたのでしょう。


特定の国や地域を抜きにして語りましょう。相手が何かの理由や口実で、「援助を求めてきた」場合の対応について。相手に言われるがままに、ホイホイ援助していたらどうなるか


当然ながら相手は「依存する体質」になります。まともに働いて富を得るよりも、大騒ぎして援助を貰うことがメインになります。


もしも理由にならない理由や、理不尽な主張、または捏造で援助を得ることができたら?


これまた当然ながら、相手は、さらに理由にならない理由を考えます。さらに理不尽な主張をするようになります。援助の口実を捏造するようになります。



相手側にもいろいろな人間がいます。腐った人もいれば、まともな人もいる。誰かが反日」を主張してカネをもらったら、我も我もと反日を主張するようになります。


「そんなことをするな!」と正論を述べる人は、当然ながら、相手側内部で立場を失います。いくら正論を述べても周囲が支持しない。稼げない奴の言い分なんて誰が聞くものですか。


こうして相手側の社会では、「反日」「理不尽」「デタラメ」な人が出世して、そうではないまともな人は失脚します。やがて相手の中枢部がみんな、「反日」「理不尽」「デタラメ」ばかりになります。


「甘やかしてきた」からそうなったのです。自分たちで反日の芽を大きく育てたのです。


同じ援助をするにしてもやり方があります。相手側でまともな人たちが立場を得るような方向。「理不尽」「デタラメ」が立ち枯れるような方向。


これまでの日本の政治家の一部は、どうやらこういうメカニズムに対して、致命的に無知だった、と言わざるを得ません。というか、そもそも端からそんなこと考えてもいない。


多くの場合は自己の利益誘導にかられて、日本の国庫から惜しみなくカネをやったのです。そして相手側から「名士」扱いされ、自我を限りなく肥大させていったのです。


そういう愚か者、腐った汚い奴らが、長年積み上げてきた「援助の構造」が、今の日本では無視できないものになっています。誰の目からも明白な、大きな山になっています。


方策があったとしても、それが効果を生み、相手側の社会が変容するまで時間がかかります。たとえば安倍総理の任期では足りないでしょう。


ずっとずっと継続的に「合理的な援助」「効果的な援助」を続ける。そして私利私欲に駆られた政治家が、デタラメ援助をしないよう監視しつづける必要がある。


これが国民の役割です。その役割を疎かにしたら、すべては元の木阿弥です。「反日は続くよいつまでも」になります。


これまで日本人は監視をサボってきた。腐敗した政治家を野放しにしてきた。いま目の前にある反日」は、私たち自身の自業自得でもあると私は思います。

(部分抜粋転載終)