ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

名古屋アイデンティティの消滅

低迷し、劣化しているのは、主流だったキリスト教組織(『キリスト新聞』や日本聖書協会)のみではない(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20181021)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20181022)。

名古屋市は、私の出生地であり生育地である(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20111003)。小学校6年生の二学期まで、市内で過ごした。父方母方の祖父母の両系とも岐阜から名古屋に出てきた家系で(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20170611)http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20170727)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20170926)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20171107)、ずっと名古屋市である。
華美かつ堅実を誇りとしていた名古屋経済も(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20110121)、いつしか暗い影を落とすようになってしばらく経つ。
父は、名古屋の錦通に本店を持つ都市銀行に、定年までずっと勤務していた。ところが、父がストの日も早起きして路線沿いに歩いて通い、風邪の日も休まず真面目に勤務し、それによって私達三人の子供を育ててくれた都市銀行は、私の結婚前に統廃合され、今や名前も消えてしまっている。この銀行は、戦後の名古屋の高度経済成長を担う中心だったのに、である。
妹と私は、伏見にあった音楽学校に幼稚園から大学院の一年生まで、週に一度は通い続け、ピアノやバイオリンを習っていた。その近辺は、父方の祖父の本籍があった。御園座もあった。だから、親の気持ちとしては、子供達の習い事を通して、無言のうちに血族の系譜を伝えているつもりだったのかもしれない。ところが、気がつくとその音楽学校は閉鎖され、いつの間にか栄へ移転となっていた。
今年に入ってからの名古屋アイデンティティの消滅ニュースを、以下に列挙してみよう。
(1)亡父と妹と私は名古屋大学の出身である(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20180922)。今や名古屋大学岐阜大学の統合さえ、驚くことではない。
今年3月22日の産経ニュースによれば(https://www.sankei.com/west/news/180322/wst1803220043-n1.html)、二つの大学法人を統合して「東海国立大学機構(仮称)」とした上で運営していくようである。
名古屋大学は、国内水準ではノーベル賞受賞者が多いものの、研究環境の水準が下降の一途を辿っているのは明らかである(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20130519)。だからと言って、研究費や大学維持の経済的理由から安易に岐阜と名古屋を統合してしまうのは、地理的距離や地元住民のアイデンティティの希薄化につながらないだろうか?(それに、偏差値の小さな差異から、高校時代に「都落ち」だの「勝ち組」だの何だの、無用な劣等感や優越感を抱かされた元高校生の心理は、今更、誰がどのように責任を取るのか?)
(2)幼稚園の頃から、きちんとしたお買い物では必ず、洋服を着替えて足を踏み入れていた老舗百貨店の丸栄が、今年6月30日には閉店された(https://www.asahi.com/articles/ASL6Z5665L6ZOIPE01V.html)。
「403年の歴史に幕下ろす」と朝日ニュース記事は簡単に見出しにするものの、その内実たるや、信じられない有様である。
バブル崩壊後に業績が低迷し、会社設立から75年、前身の呉服店『十一屋』の創業から数えると403年の歴史」と記事は記すが、名古屋人のアイデンティティが、また一つ消滅したのだ。「十一屋は江戸時代初めの1615年に創業した。1943年に同業の三星と合併。『栄地区で丸く栄える』という意味を込めて『丸栄』に社名を改めた。松坂屋名鉄百貨店、名古屋三越と合わせて『4M』と呼ばれてきた」と淡々と述べるが、創業者のご子孫の気持ちはやるせないものであろう。
「ギャル文化の発信地だった丸栄」と上記の朝日記事は綴る。だが、それは私の知らない話である。というのは、最後の社長が内部の反対意見を押し切って、競争力を高めようとして「ギャル文化」を安易に持ち込んだために、従来の固定客が離れていき、今回の閉店につながったというのが私の理解だからだ。
丸栄スカイルの最上階には喫茶店があった。大学一年の時には、短期アルバイトとしてウェートレスをしていたことがある。誰にでも頭を下げる訓練として、若い頃の接客業は必要だと父も認め(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20081214)、「勤務態度をチェックしに行く」と言っていた。確かに、口頭で注文を受け、その場で全部暗記して、間違いなく、丁重にコーヒーや紅茶やケーキやアイスクリームを、ご年配の上品そうな女性客や背広姿のサラリーマンに差し出すことは、18歳の小娘にとって常に緊張を伴う仕事であり、何より体力勝負でもあった。「昼間の時給は◯◯円で10日間。これでブラウス一枚ぐらい買えるかな」と雇い主の男性が言った時、(私はそういう風に見られていたんだ)と驚いたことも、世間を知るいい勉強だった。一緒に働いていた女性達からも、離婚話やお化粧法等、世間の一端を学んだ。両親が揃っていて実家から通っていたからこそ、許された短期アルバイトだった。
その思い出も、建物の取り壊しと共に消えてしまうのだ。
(3)国宝級と言われる名古屋城の復元計画も、内部で揉めて流れた模様である。当初の予定としては、「木造復元された天守閣の竣工時期は2022年12月」だったはずが、今年7月30日の毎日ニュースによれば、「名古屋城 木造天守閣復元 月内の計画提出を断念」とあった(https://mainichi.jp/articles/20180731/k00/00m/040/094000c)。
名古屋城の近くで育った私(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20180718)にとって、幼稚園から小学校まで、休日には父や妹とよく散歩に出かけ、学校の写生大会をしていた懐かしい場所であるが、このニュースには片手をもぎ取られたような感がある。
(4)10月8日には金山にあった名古屋ボストン美術館が閉鎖された(http://www.nagoya-boston.or.jp/grand-final/happiness/)。1999年に開館されたが、結局は一度も行けなかった。ニュースによれば、「赤字による資金難が続き、2018年度末までとなっていた米ボストン美術館から作品を借りる契約を更新しないと16年に決め、閉館することになった」らしい(https://www.asahi.com/articles/ASL7R56XVL7ROIPE027.html)。
これには、さまざまな要因が考えられるが、第一には、現在、世の中の中核を担っているはずの私の世代の意識と態度が問われよう。大きく言えば、戦後教育と大衆化したメディアの真の意図を見抜けないままに、「個の確立」が「自己中心」に矮小化したエゴ意識となり、10代から40代までを無為に過ごしてきたツケがこのように現象化してきたのではないだろうか、と愚考する。
もう一点、見逃せない要因として、中国に相当やられているのではないか、ということである。チャイナ・ハンドを徹底的に分析せよ!