ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

希薄化した人間関係の一端

https://twitter.com/ituna4011/status/1041488842732105729


Lily2‏ @ituna4011

教会週報 - デイリー牧師ノート http://blog.livedoor.jp/bokushinoto/archives/76986653.html …《牧師の気持ちや教会の実情を知らせる上で週報は大事だ。》《大抵の信徒は説教の内容をほとんど覚えていない。》
9:47 AM - 17 Sep 2018

https://twitter.com/ituna4011/status/1041489565024845824


Lily2‏ @ituna4011


Lily2 Retweeted Lily2
週報は、教会史を書く時に、とても有効な一次資料。ところが、近年のクアラルンプールの日本語集会では、「個人情報が他人に漏れるのは嫌だ」という意見から廃止になった。海外在住の馬鹿げた信徒が増えたものだ。漏れて困るような信徒生活を送るな!
9:50 AM - 17 Sep 2018

(転載終)
日本に帰国してからも、ずっと郵送あるいは電子メール添付で、週報が送られてきていた。これによってお世話になった方々の近況がわかり、旧交を温めることもできた(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20080428)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20101117)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20111026)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20130905)。
単純なようだが、この積み重ねが結束を強め、いざという時の危機管理にもなっていたかと思っていた。緊急連絡網もあり、日本国内の住所録も作成されていたはずだった。
ところが、責任者が変わってしばらく経った頃、「個人情報」が漏れるのは嫌だという意見が出たらしく、極めて無機質かつ機械的な週報だけが送付されるようになってきた。すると、受け取った側から「それなら不要です」という意見が出たようで、結局は中止になって現在に至る。
この話は、突き詰めて考えると、同じ日本語集会に集ってきた歴代の人脈に対する不信感が根底にあり、ささやかながらもクアラルンプールで日本人が綿々と紡いできた歴史を消滅させる行為である。
もし、知られて困るような個人情報を抱えた人々が集っているならば、本来的には聖書のメッセージに反する生き方をしていることになる(テトス2:6-7)。かえっていかがわしい集会だと見なされても、仕方がないのではないだろうか。
第一、本当に小さな集まりだったのだ。家族全員揃ったとしても、せいぜい数十人であり、毎年降誕祭になると、各人の署名入りの集合写真付きカードが送られてきてもいた。今やほとんど新顔で、相互に誰が誰だかわからなくなってもいる。
かつてお世話になったシンガポールやマレーシアの方々が、次々と逝去されていった時にも、このネットワークにより、お別れのご挨拶ができたのに、今や誰が誰だかわからず、連絡のしようがなくなってしまったのだ。
昔、と言っても1990年代前半のことだが、電子メールもインターネットもなかった時代には、現地での日本人社会の人間関係はもっと蜜で、いざという時のセーフティネットがしっかりと確定されていた。
それは一面、プライバシーがないことを意味してもいたが、相互扶助とはそういう側面を含むものである。
殺伐とした時代になったものである。後から集会に連なった人々には、猛省を促したい。