ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

テレビ出演の女性の心得

櫻井よしこ氏は(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/archive?word=%DD%AF%B0%E6%A4%E8%A4%B7%A4%B3&of=50)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/archive?word=%DD%AF%B0%E6%A4%E8%A4%B7%A4%B3)、時々、いささか偏った愛国心を発揮するところがあり、史実としてはそうではないと感じる部分も含まれる。
例えば、日本のキリシタンキリスト教は、いかなる立場を取ろうとも充分に日本史の一部であり、そこから西洋との遭遇における日本の一側面が理解できる。また、東南アジアの人々が戦時中の日本軍政期に恐ろしい思いをしたことは、1990年代前半期の私のマレーシア経験からも事実である(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/archive?word=%C6%FC%CB%DC%B7%B3%C0%AF)。
だが、以下のキャスターとしての心得と経験談には、非常に同意する。
クラシック音楽の番組以外、私がテレビを見なくなって相当の年数が経つ(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20091029)。とにかく、ニュース報道やワイドショー等、質の低下が著しくて見ていられない(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20180811)。
また、以下のお話でも示唆されているように、若い女性の出演者が、奇妙な恰好で登場するようになって、かなり経つ。
例えば、真冬なのにノースリーブで現れたり、昔ならば落ち着いたスーツであるべきだった場で、レースがふんだんに使われたブラウスにふわふわのスカート姿で平気だったり、髪型が、まるで結婚披露会場ではないかと思われるような結い上げスタイルだったり、どのように手入れするのか、長過ぎる髪の毛をダラリと垂らしたりしている。
全体において、とにかく場違いなのだ。
私の子供時代から言われていたことだったが、「デキル女性は、髪の毛は短く清潔にし、服装はTPOを踏まえて薄化粧気味で、さっぱりと身だしなみを整えている」はずだった。換言すれば、今のテレビでは、「デキナイ女性」が堂々と恥ずかしげもなく採用されて、ニュースを読み上げ、政治の話に口を挟んでいる、ということになる。
この頃、インターネットのYou Tubeで気がつくのは、化粧まで濃くなっていることである。私にとっては、まるで90年代のマレーシアで見たテレビ番組の再現かと思われるほどで、この傾向は、当時のインドネシアでもタイでも同じだった。美人不美人を問わず、概して厚化粧は途上国に目立つ傾向であるが、日本も晴れて途上国の仲間入りなのだろうか。
かく言う櫻井よしこ氏も、スタイル抜群なのはいいが、いつもタイトスカートが短か目で、座っていると膝が丸出し。中が透けそうになって、女性の私でも、気になってお話に集中できないことが多い。
そういう女性達のためのパンツ・スーツであると、私は思っている。必要がないので私は持っていないが、その一点においてのみ、対極にある辻元清美氏(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/archive?word=%C4%D4%B8%B5%C0%B6%C8%FE)の服装(と髪型)は、合格点である。

https://ironna.jp/article/10606


櫻井よしこ手記 「ニュース番組までメダカの学校になってどうする」


・ニュース報道は誰が仕切るべきか。そんなテーマでiRONNAに原稿を依頼された。


・日本のニュース報道の主な現場は二つある。報道局の手になるニュース番組がニュース報道の唯一の主役だった時代は疾うの昔に過ぎ去り、主たる伝え手は社会情報系が作るワイドショーになってしまった感がある。


・ワイドショーはいつの頃か、ニュースを扱えば視聴率をとれることを学んだ。これでもかこれでもかと、朝から晩までニュースを取り込み、報道の現場に乱入し続けて今日に至る。


・こんな状況下でニュース報道は誰が仕切るべきかを語るのは、今や似た者同士となった二つを語ることである。


・各局のニュース番組だ。局ごとに顕著な違いがある。日本テレビの場合、ニュース番組の主役はタレントである。他方、NHKをはじめその他の局のニュース番組の主役はアナウンサーである。


TBSの『NEWS23』のように朝日新聞の記者を中心に据えるケースもあるが、それでも日本のニュース番組は、➀タレント中心、➁アナウンサー中心に大別できる。


・どちらも欧米諸国ではおよそ見られない異端のニュース番組である。➀のタレントがニュース番組の担い手になる例は、少なくとも欧米先進諸国では、見当たらない。➁もない。そもそも読みに徹するアナウンサーという職種自体がない。日本のニュース番組は本当に異端の存在なのだ。


・久しぶりに早朝からテレビをつけた。ある局のワイドショーで、若い女性4人が横一列に並んで立って、各自が担当するニュースを紹介していた。4人は、女性というより可憐さが先に立つ少女のいでたちである。くるんとした目と爽やかな色彩の洋服が愛らしい。


・いや待てよ、こんなに可憐な少女っぽい人たちに、1人だけでニュースを伝える力はあるのだろうか。集団で担ってようやく責任を果たせているのではないか。


・自分に割り振られたニュース項目のリード部分を読んでいたが、ニュースの中身について質問でもされたら、おそらく、ほとんど答えられないであろう儚さを漂わせていた。


・早朝だけではない。昼間、夕方、さらに夜のワイドショーも程度の差こそあれ同質の問題を抱えている。伝える側の人数が多い。出演者のほとんどが記者ではない。学者でもない。多くがタレントである


・この頃は売り出し中の学者がテレビ番組に出て知名度を上げるためにあえてプロダクションに所属する事例がある。


・ワイドショーの出演者は各自、専門芸を持っている人たちではあろうが、ニュースのコメントに関しては的外れだったり、月並みすぎたりで、評価に値するコメントは非常に少ない。この件については私の尊敬する立派な学者である加地伸行さんが書かれた『マスコミ偽善者列伝 建前を言いつのる人々』(飛鳥新社)がある。


・日本の報道番組と欧米諸国のそれを比べると明確な相違がある。先述したように海外の報道番組では、例えばBBC、ABC、CNN、France2もFOXニュースも、歌手であれ役者であれタレントをキャスターに登用している事例を、私は寡聞にして知らない。海外では報道番組の伝え手は激しい競争の中から勝ち上がってくるジャーナリストたちが圧倒的に多い。それぞれの専門分野を持ち、特派員としての経験なども積み、報道の現場で鍛えられ、認められた者だけがニュースキャスターの地位を手にする


・視聴者の目がある。誤報や歪曲はニュースキャスター個人としても局としても許されない。信頼を失えば降板ともなる。その種の職業的な実績は、良きにつけ悪しきにつけ、長くメディア論の中で取り上げられる。


・ニュースの伝え手に問われるのは、何よりも報道のプロとしての質である。ニュース番組はプロのニュースマン、ジャーナリストたちによる、あらゆる意味での競争と闘いの現場なのである。


・とびきりの美男でも美女でもない。生まれつき美男美女であったとしても、その美しさを意識的に際立たせることはない。かわい子ぶりは絶対にしない。頼りなさ、儚さなどはむしろ退けられる。彼らは視聴者に信頼される成熟した大人として、まっとう果敢に取材し、報じようとする。番組の担い手として、強く大きな太い柱であろうとする。


・日本はどうか。前述したように、まず、キャリアを積んだ記者が中心になっている番組が少ない。人気のあるタレントが仕切っている番組と局アナと呼ばれるアナウンサーが仕切るものとに二分される。


・通常、ニュースのリードやコメントは番組のプロデューサーや記者が書いてくれる。それらはプロンプターで読める。読みの専門家である局アナにとっては得意分野であり、上手に読むことで基本的にニュースキャスターの形は整えられる。


・古い話だが、私はかつてニュース番組のキャスターだった。各ニュース項目のリードは報道局の記者たちが書いた。コメントは記者やプロデューサーが知恵を絞ってまとめたものが、私の手元にきた。


・形の上では今と同じである。しかし当時、私はリードやコメントについて、それぞれの担当記者やプロデューサーと、時には嫌になるほど議論をしたり修正を加えたりした。ひとつひとつのニュースの取材に、私自身が直接関わることがないとしても、私はジャーナリストとしての自分の在り方を強く意識していた。周りもそのことを意識し、そして受け入れてくれていた。報道局の兵と私の間には、取材する者としての対等の感覚があったと思う。そのようなプロデューサー及び報道局の記者全員に対する敬意と、自分に対する信頼があって初めて、私の16年間のニュースキャスターとしての仕事が完うされたと思う。


・報道にはどうしても、その記者、その番組の価値観が反映される。基本的にどのニュース番組も取捨選択の段階ですでに価値観が反映されているのである。それが昂じると偏りにつながっていきかねない。


アメリカのCNNは明らかに左に偏っている。だが面白いことに、CNNとは逆の右に偏りがちなFOXニュースも高い視聴率をとっている。左の人はCNNを見て満足し、右の人はFOXで盛り上がる。対極にあるテレビ局同士が互いに逆方向に傾斜することで社会全体の情報供給のバランスがとれていると見ることが可能だ。 


・対照的なのが日本である。わが国のテレビ局はメダカの学校である。ニュースの報じ方がおよそ一色に染まる


・方向は左系統への偏り一本道である。往々にしてNHKがその先頭を走り、TBS、テレビ朝日、NTV、そしてフジまで含めて同一方向に雪崩を打つ。実に日本の悪しき実態である。アメリカのように対極的な価値観や方針を持つ複数のテレビ局は日本には存在しない。


・まず事象の一側面だけでなく、全体像を伝えることの重要さだ。全体像を描いて見せることなく部分だけに焦点を当てれば、間違ったメッセージを送ることになりかねない。


・事象の一部のみの報道は、結果として歪曲報道になる。社会にも、国民にも、全くためにならない。こんな異常な偏った報道はない。そこで私は自分のネット番組『言論テレビ』で事柄の全体像を大いに発信した。


・二つ目の大事な点は、立場の弱い側に心を添わせることだ。それは「弱者」を絶対善と見做したり、過度に大事にすることではない。彼らの抱える問題を、自分のことのように心に感じ、解決を願い、そのために必要なさまざまな情報を伝えることである。表面的な正邪の観念や建前論から離れて、考えを深める最大限の取材と努力が大事なのだ。


・日本で女性がニュース番組の柱になったその最初のケースが私だった。私は自分の責務を番組全体に責任を持つことだととらえていた。むろん、それは現実とは異なるのだが。例えば、対外的に番組に責任を持つのはプロデューサーであり報道局、テレビ局そのものである。それは確かにそうなのだが、それでも現場ではすべてが最終的に私にかかってくるのも事実である。


・スタジオに入ったが最後、全責任を持つのはキャスターの自分であると、私は認識していた。私のジュニアパートナー、お天気情報の担当者、カメラマン、ディレクター、こうした人たち全員を守らなければならないと、いつも私は考えていた。


・犯人たちをよく観察して冷静に対処する。決して興奮しない、させない。落ち着いた声と態度で対応する。思想的な話にもよく耳を傾ける。


・究極の危機対応としてこんなことを考えていたのは、大げさかもしれない。滑稽に思われるかもしれない。けれども、ニュース番組の担い手として、オンエア中に危機が生じたときには、毅然として筋の通った対処をするのは最低限の責任だ。


・そこまで力を入れて臨んだのが『きょうの出来事』という報道番組だった。だからなおさら感じるのである。ワイドショーのニュース報道は本当に的外れで無責任で見ていられない、と。アナウンサーの報じるニュース番組はとても異質だ、と。

(部分抜粋引用終)
PS:但し、アメリカのテレビ番組を現地で見ていて気になったのは、やはり女性キャスターで、スレスレまで胸の谷間が見えるような服装。これは、いくら何でも下品である。また、発音がもっと洗練されていると、ありがたい。