ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

おじゃまるではなく....

もし京都の大学に進学していたら……
もし学生時代に戻れるならば……
現役時代の弟にもかつて勧めたことがあるが、「どうして古い遺物を300円かそこら払って見なければならないのか」と、耳を傾けもしなかった。
理系のくせに、理系だからこそ、文化系の追加努力が必要なのに、そこが大きな間違いだったと、今でも思う。

私ならば、まずは文房具店か大きな書店へ行って、京都の白地図を一部買う。そして、週末に一度、最低でも隔週に一度は二時間ほど自由時間を確保するように計画を立てて、行きたい寺社、特に古刹を選んで、カレンダーに書き込む。そして、行き先の市バスの路線を考えて、あるいは自転車か徒歩で、訪問してみようとするだろう。
場所と季節によっては、水筒と手作りのお弁当を持参するのもいい。何も喫茶店やレストランに入る必要はないのだ。節約や倹約の工夫も、若い時だから許される。
パンフレットをいただいて、帰宅後は、地図とパンフレットに日付を書き込み、ファイリングをして綴じ込む。小さな古刹訪問ノートを作って、感想などを記しておく。
デジカメで写真を簡単に撮る時代だが、できれば単純なスケッチもいい。
若い頃は、人生時間の関係で物事の重みを体感する経験が浅く、体力もあるので、二時間もあれば充分だろう。それに、他にすべき活動もたくさんある。
私の世代では、「進学するなら女の子は短大がいい」と言われていたのだが(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20070730)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20071102)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20140324)、今や勉強向きでなくとも、なぜか皆、四年制大学あるいは大学院に行くことが珍しくなくなってしまった。ともかく、短大であれ、四年制であれ、ましてや院進学であれ、私ならば絶対に18歳の頃から、学割の効く上記の習慣を始める。
学割とは、社会に出る前の学生に与えた経済上の「特権」なのだから、使わなければ制度を考えた方達に申し訳ない。
最初は意味がわからなくてもいい。継続は力なり。後に、興味も湧くことであろう。他日を期して、コツコツと続けていくのだ。
読めない漢字や知らない言葉も、その場でメモして、帰宅してから辞書で調べる。
図書館に行く用事ができた時、気になる点は、本で探して調べておく。必要なページはコピーを取り、古刹訪問ノートに貼り付ける。
修学旅行もいいが、自力で自発的に行動するところに、醍醐味がある。
寺社巡りやお城巡りは、大人になってもできる、一人でもできる、いい趣味だと思う(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20170705)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20180718)。
「おじゃまる」もとい「おじゃる丸」で誤魔化すのではなく(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20180715)、小さい頃から、何事も本物を見て育たなければならない。充実した大人人生を過ごすためにも….。

追記:本日届いた本は以下の通り。

榊原喜佐子徳川慶喜家の子ども部屋草思社(1996年11月/1997年5月 25刷り)

著者の妹君の御本は、既に入手済みである(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20180715)。内容に重複が見られるのは、御姉妹が仲睦まじくあそばされたことの証左であろう。
この世代の方々がご健在でいらした頃は、まだ日本の世相も引き締まっていた感がある。