ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

震源地は近かった

登録済みの「おおさか防災情報メール」から一連の「府北部 地震発生通知が届いていた。
地震発生は平成30年6月18日午前7時58分で、震源地は、ウェブ報道によれば「高槻市原」とされている。枚方市との情報もあり、三つの断層が重なっている地点のため、現時点では特定不明とのことである。

・平成30年06月18日08時02分
気象庁 発表
以下の地域で震度3以上を観測しました。
震度6弱
大阪府北部


・平成30年06月19日00時35分
気象庁 発表
以下の地域で震度3以上を観測しました。
震度4
大阪府北部


・平成30年06月19日04時57分
気象庁 発表
以下の地域で震度3以上を観測しました。
震度3
大阪府北部


・平成30年06月19日07時55分
気象庁 発表
以下の地域で震度3以上を観測しました。
震度3
大阪府北部

(転載終)
しかし、余震は一回の震度4を含め、私の計算では現時点で29回を数えている。
昨日は、外出を一切取り止めて、自宅待機していた。
地震発生当時、ガスは未使用でパソコンに向かっていたが、幸いにして、画面をチェックしていたのみだったので、画面が突如消えた他は問題なかった。すぐに同じ部屋のテーブルの下に潜り、ドーンと突き上げた後、激しい横揺れが止まるのを待っていた。
しばらくして窓から外を見ると、目の前にお住まいの女性は、早速、おしゃれな防災リュックを背負って、徒歩でどこかへ出掛けて行ったが、町が設置した避難所は、一人暮らしのお年寄りや危険な場所に住んでいる人々が優先ではないだろうか。子供達は、今日も町内全校、休校のようである。

本来ならば、昨日は耳鼻科の再診(昨秋は左耳だったが(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20171114)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20171128)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20171130)、今回は右耳の外耳炎)だったが、町内とはいえ、余震が怖いので、電話で問い合わせてから、今日に振り替えた。

耳鼻科も含めて、今日は一見、普段通りの日常生活だったが、スーパーではパンとペットボトルの水が並べてある棚がガラガラだった。レジでそっと尋ねたところ、朝から列を作って買い物に来た人々で混雑し、大変だったとのこと。私が行った時には、商品はほぼいつも通りにきれいに並べてあったが、時に歪んだままのものも散見され、慌てた様子が伺えた。

一週間ほどは慎重に過ごさなければならない。一昨日、大阪の天王寺近くにある「国展」が最終日だったので、出品者である主人の同僚の人達と8人で楽しい昼食の時を持ったが(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20170621)、今、私が撮った写真を振り返ると、一緒に笑顔で写っている人々の中には、昨日は交通マヒで出勤できなかったケースも含まれていたようである。
その行き帰りに利用した大阪駅が、20数時間後に、あのような状態に陥るとは、その時には想像もできなかった。

https://www.facebook.com/ikuko.tsunashima/posts/10214877838533967?comment_id=10214877980097506¬if_id=1529377917819334¬if_t=feed_comment


震源地近くに居住していますが、我が家では、積み上げた本の一部が落下し、CDの棚が倒れ、食器棚のガラス器とカップ等が少々落ちて割れた程度で、幸いにも被害は微小で済みました。


隣の市ではガス供給が止まり、水漏れや汚染水が溢れ、停電もあるようですが、我が家周辺は通常通りです。買い置きした食料も充分にあり、水も電気もガスも平常通りです。


昨日は、偶然にも主人が早く出勤したため、電車の混雑を避けることができました。

携帯での電話連絡は、主人の方からは不通でしたが、地震発生後の13分後に私から繋がり、大阪市内の主人の実家の無事も確認できました。


一日中、電車が全部止まったため、帰宅を心配していたところ、会社の同僚の方が車で送ってくださり、夕刻には戻って来ました。


私の方は、普段はクラシック音楽以外、滅多に見ないテレビを一日中つけて、隣の和室に防災用布団を出し、最低限の必需品を小さな袋に入れて脇に置き、余震情報に備えました。


一昨日、通ったばかりのJR大阪駅や、いつも利用する隣の市の鉄道駅の混乱状況を映像で見ると、とても信じられません。水道管の破裂にも驚きます。人命救助が第一ですが、経済活動が止まることが、最も恐ろしい余波です。


亡くなったり怪我をされたりした方々の慰安をお祈り申し上げます。



M・U:驚かれたしょうがご無事でなによりでした。
ユーリ:U様、温かい言葉をありがとうございます。関東の方もどうぞお気をつけください。

(転載終)
ご縁とは不思議なもので、上記の「車で送って」くださった主人の同僚の方とは、その前日、昼食会で初対面だったが、仕事でマレーシア(やタイやニューヨーク)にもよく行かれるそうで、思わず話が弾んだ。その方に思いがけなくお世話になったのである。
フェイスブックでは、国内のみならず、マレーシアやオーストラリアやニュージーランドからも安否を問う連絡をいただいた。
有馬ー高槻断層については、20年前の結婚当初、主人の母方の伯父が心配していたので、住む場所を探す時に、教訓として参考にさせていただいた。

我が家の片付けものはすぐに済んだ。本棚が5つある洋間は、案外に何も崩れずに済み、軽いものが散らばった程度だった。玄関の傘立てが脆く、散乱したのは意外だったが、その他は、ダイニングキッチンの割れたお皿とカップを片付けて掃除機をかけたり、落下したCDと本を小さなダンボール数箱に詰め直して、余震に備えて床に置くことにした。また、次震で水平に飛び散らないよう、圧力鍋やフライパンや花瓶等も床に置く工夫をした。

昨日は一日中テレビの地震ニュースをつけたままにしておいたが、今日になると一安心といった感じで、とにかく喋り過ぎ、うるさくてかなわない。
同じ映像が何度も出てきたり、特に高槻の小学校のブロック塀の耐震非対応ニュースが繰り返し流れてくるのは、勘弁していただきたい。というのは、あの小学校や立地条件がどのような特徴を持つのか、子供達への影響も考えて、もっと配慮すべきだと思うからである。