ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

国内外の難題山積み

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眞子内親王殿下と秋篠宮家の蹉跌」
2018年2月26日


宮内庁が2月6日に、秋篠宮家の長女の眞子内親王殿下と、小室圭氏の婚儀を2020年に延期すると唐突に発表して、国民を驚かせた時に、私は「やはり、そうなったのか」と、思った。


眞子内親王殿下と小室氏の一般なら結納に当たる「納采(のうさい)の儀」が、1ヶ月にみたない翌月の4日に、予定されていた。まさに、悲喜劇だった


・私は眞子内親王殿下が、小室氏と2人で昨年9月3日に記者会見を行われた時に、日本と皇室の将来が危ふいと思って、暗然として、言葉を失った


眞子内親王殿下が「婚約が内定いたしましたことを、誠にうれしく思っております。(略)プロポーズは、その場でお受けしました」と述べられ、小室氏が悪びれることなく、「2013年12月に、私から宮さまに『将来結婚しましよう』というように申し上げました」と補足した時に、私は一瞬、テレビの映像を信じることができなかった


眞子内親王殿下と小室氏は、秋篠宮殿下にも、宮内庁にもはかることなく、あきらかに2人だけのあいだで、結婚を決めたのだった。ひと昔、4、50年前だったとしたら、2人が駆け落ちしたのだった私はあってはならないことが、起ったと思って、強い衝撃を受けた


・現行憲法の第24条「【家族生活における個人の尊厳と両性の平等】」は、第1項で「婚姻は、両性の合意のみに基いて成立し」(傍点筆者)と、規定している。内親王殿下と小室氏の若い2人は、憲法第24条に従って、行動したのだった。


・これは、アメリカ占領軍が、家族制度が日本の危険な国家主義の基礎となっていると信じて、日本の伝統社会をつくり変えようとして、家族制度を破壊するために、定めたものだった。


・メディアの報道によれば、小室氏は法律事務所の下働きをしており、年収が250万円というが、それに近いのだろう。真剣になって、皇女に求婚したととうてい思えない


・もっとも、今日、国民のあいだでも、家族の絆が弱まって、「家」の観念が失われるようになっている。やはり、天皇家も時代の高波によって、侵蝕されるようになっているのだろうか。


・皇室といえば、『君が代』を連想しよう。和歌君が代は、おそらく世界のなかで、今日まで歌い継がれている、もっとも古い祝い歌であろう。『君が代』の歌詞は、1000首以上を収録している、『古今和歌集』(西暦905年)に載っているが、もとの歌は「わが君は千代に八千代に‥‥」と始まっており、庶民を含めて、婚礼をはじめとする祝賀の宴で、祝われる者の長寿を願って、朗唱されてきた。


・明治に入って、西洋に倣って、国歌が制定されると、「わが君」を「君が代」に置き換えた。同じ寿歌(ほぎうた)が1100年以上にもわたって、唄い続けられている国は、世界のなかで日本しかない。古い伝統を大事にしてきた国柄を、示している。おそらく人類の祝い事のなかで、世界のどこにおいても、結婚がもっとも寿がれるものだろう


結婚するから、家――あるいは家族(ファミリー)が絶えることなく、人類が存続でき、未来を確かなものにすることができることを、理屈抜きで、知っているからだろう。ところが、今日では結婚は、男女2人の一過性の快楽を求めるために行われる、ごく軽い結びつきに、変わってしまっている


・現行憲法の規定によれば、親や兄弟や、一族は、2人の結婚とかかわりがなく、2人の結婚に干渉してはならないことと、されている。2人が家を継いでゆくために、結ばれることが、なくなってしまった。だが、家族(ファミリー)が解体してしまったら、国も崩壊してしまう


・同じ立憲君主制度をとっているイギリスの王室も、同じような状況に陥っている。


・私はイギリス発祥の『ブリタニカ(大英)百科事典』の最初の外国語版となった、日本語版の初代編集長をつとめていたことから、エリザベス女王の妹君のマーガレット王女が来日された時に、大使館主催の歓迎パーティで、お話する役目を割り振られたことがあった。だが、マークル妃と会っても、同じように敬意を払えないと思う。


開かれた王室は、大衆の手の届くところに降りてくるから、大衆化して、王室らしくなくなる。王家という家を基準とせずに、自分本位の自由恋愛によって、配偶者を選ぶことになると、王家を支える尊厳が失われてしまう。


・その家にふさわしい配偶者ではなく、自分本位に自由に相手を選ぶことによって、結婚と家が切り離された


子育て支援や、生活保護などの福祉制度も、このような傾向を助長している。


・世界のどこへ行っても、結婚は今日のように一時的な快楽ではなく、家や、社会に対する務めであって、神聖な行為だった。結婚は責任をともない、自制と節度を必要とした。もちろん、人類を存続させるためという、暗黙の了解があったにちがいない。


眞子内親王殿下も、今日の日本国民の姿を映す鏡となって、いられるのだ。すると、いったい、私たちに眞子内親王殿下を批判する資格が、あるのだろうか。

(部分抜粋引用終)

「無関心でいられない 中東の危機」
2018年3月8日


・昨年12月に、クリスティーズの美術オークションで、新しく発見され、レオナルド・ダヴィンチの作品だと鑑定された、イエス・キリスト肖像画が、過去最高額の4億5000万ドル(約500億円)で落札されて、世界的に話題を呼んだ。


・海外メディアによれば、サウジアラビアのモハマド・ビン・サルマン皇太子が落札した可能性が高く、現在、隣国の首長国アブダビの美術館に寄贈されて、所蔵されている。


・昨年11月に、32歳のモハメド皇太子が、有力な王子グループを拘留して、国政を掌握した。これまでサウジアラビアでは政治が、王族たちの合議(コンセンサス)によって行われてきたから、クーデターだった。


・モハマド皇太子は石油に依存してきた経済から、2030年までに脱却して、近代国家を建設する目標を掲げている。サウジアラビアは、もっとも保守的なイスラム国家だったが、改革を進めて、女性が目だけをだして黒衣で全身を覆い、家族の男性の同伴なしに外出したり、自動車の運転を禁じ、戒律に従って映画館も、劇場もなかったのを、許すようになるという。大改革だ。


・皇太子の政権奪取は、シリアでIS(イスラム国)が壊滅し、イランが支援するアサド政権が勝ったことに、強い危機感に駆られたためといわれる。この直後に、内戦に陥っている隣国イエメンから、イランが操る反乱軍が、リディアへ向けてミサイルを発射した。


サウジアラビアはイランを天敵とするイスラエルと、かねてから裏で協力してきたが、ムハマド皇太子は事実上の同盟関係を結んだイスラエルは隣のレバノンで、イランが支援する民兵ヒズボラに脅かされている


・皇太子の「2030年改革計画」は、アブダビを手本にしているといわれる。


・私は性急な改革が、成功しないと思う。かつてイランで、パーレビ皇帝が性急に改革を進めたために、イスラム保守派革命が起って、帝政が倒れた轍を踏むのではないか。


サウジアラビアイスラム僧をはじめとする宗教保守勢力が、一連の改革による脱イスラム化を、傍観するものだろうか
 

・私は中東の研究者だが、1980年にレバノンベイルートを占領していた、パレスチナ解放機構(PLO)のアラファト議長に招かれて、会ったことがあった。その時に、アラファト議長が「中東は砂丘のように、ある時、様相が一変する」と、語った。


アメリカ軍が東アジアを留守にした時に、日本は北朝鮮、中国に対抗することができるのだろうか。

(部分抜粋引用終)