ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

ここ四日間の随想

1. 京都の国立博物館

(1)「国宝」第三期

先週の金曜日の午後は、京都の国立博物館で「国宝」第三期を見に行ったが、盛況活況でくたびれて帰って来た。前回の二期の時は(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20171025)、確か夕方6時には閉館とのアナウンスがあったはずだが、今回は夜8時まで開館とのことで、ますます人々がゆっくりと動く大魚の流れのように展示品を見つめていた。
私などは、朝思い立ってから、家事をあれこれ片付けて、道中に役場の書類を受け取ったり、スチロールや空き容器を捨てにスーパーへ立ち寄ったりしてからでも、電車に乗って簡単に行ける距離にあるのだが、この混雑ぶりを見ていると、恐らくは新幹線や飛行機に乗って、宿泊施設を予約しながら遠方から来られている人々が相当にいるのではないかと想像された。車椅子や杖を使って、人混みの中を回っている人達もいたぐらいだ。
今回の目玉は、我が町の中世の三名の天皇上皇ゆかりの神宮(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20170723)にある「国宝」二点のうち、一点が展示される期間に相当していたことだった。もう一点は第四期に展示されるとのことなので、もう一度、期間中に行かなければならない。
この町に住み始めたちょうど二十年前から慣れ親しんでいた肖像画だったが、出展されると、何だか、小さい頃からずっと見てきた親戚の子がおめかしして成人式に参列しているかのような感だった。
そうこうするうちに、京都の秋の秘宝展示の期間は終了してしまっていた。昨年は、主人と二人で三箇所回れたのに(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20161109)、今年は一人で一箇所(東寺)のみだったのが残念だ(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20171107)。やはり、これも一期一会で、無理矢理にでも時間をこじ開けて、見られる時に見ておかなければならない。
ブランド名が高いので、京都は不況知らずという感じなのだろう。

(2)「検定」流行

何と「国宝検定」が来年から始まるようだ。既に、何冊かの「国宝」解説書が出回っており、ベストセラーにもなっているらしい。初回はお試しのようだが、もし受験(この種の試験は「受検」と表記)する人が一定数と一定水準を上回り、知識や教養の上でも価値が認められれば採算が取れるということで、今後も、さらに出題を工夫して、等級も細分化して継続されていくのだろうと思われる。
それにしても、この頃は「検定」流行りだ(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20171027)。ご当地検定などは、2004年前後から雨後の筍のようにたくさんあったらしいが、民主党が政権を取った2009年以降、当然のことながら、参加者が少なかったり、出題の質が悪かったり、高度過ぎてチャレンジの意欲が削がれたり、採算が合わなかったりして、結局はつぶれていった「検定」も少なくはないようだ。歴史や伝統文化や世に知られた人物について、観光ボランティアやタクシー運転手ならば、履歴書に「検定○級合格」と書くことで何らかの益があるかもしれないが、地域性の特徴と歴史的意義が明確でないと、単に詳しく知ったところで、単なる雑学物知りか、暇つぶしの趣味程度で終わることだろう。
とはいえ、多様な生き方だとか多文化共生推進のように価値観が曖昧になっている今のような時代だからこそ、「国宝」は案外に魅力を放つのかもしれない。
ともかく、学校時代に使っていた社会や歴史や美術の教科書で、写真の横に「国宝」と添えられていても、「重要文化財」と何が違うのか、子供心にはよくわからなかった。わからなくても、わからないなりに目に焼き付けておくことが必要なのだろう。そうすれば、いつの日か、実物とお目にかかれる時がやって来るのだ。
この頃では、6時閉館でも8時閉館でも、外は同じく真っ暗になるので、早めに帰宅した方が良いと思ったが、京都駅までのバスが満員で、一台、停留所を通り過ぎられてしまった。

2. 隣町の歴史資料館の講演

(1)堺と千利休

さて、翌日はお隣の町の歴史資料館で、堺と千利休をテーマとした連続講演会の初回を聞いてきた。館長のお話では、堺と隣町の共通性を探っていくと、このテーマに突き当たったとのことだった。確かに、千利休ゆかりの茶室があり、中世には信長や秀吉の系譜に連なる築城もあった土地柄なので、聴くチャンスを逃すべきではないと直感した。無料でもあり、せっかくのお話だからと、電車に乗って出かけたのは正解だったと思う。

私の住む町の歴史文化資料館は、近衛文麿が揮毫していた由緒ある建物なのだが(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20080419)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20100214)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20161121)、買い物のついでに5分でも10分でもふらりと立ち寄って、展示を眺めたり、こまめに入り口のチラシを取ってきたりしている。そのチラシで、お隣の町にも資料館があり、そちらはモダンな建物の中に配置されていることを知った。

(2)我が町と隣町の関係

人口は、我が町の方がお隣町の二倍なのだが、お隣同士なので文化的に近似性があって仲良くしているかというと、必ずしもそうとも言えないようだ。地理的に地名が重複している地区があるため、住民同士の行き来はあるのだろうが、やはり府の行政が違うと対抗意識も芽生えるらしい。
例えば、私の町では、資料館の年表を瞥見の限り、明治時代の廃藩置県の頃、合併するか別個のままで行くかで紛争があったと記されているが、お隣の町の資料館の年表では、最初から何事もなかったかのように記述が皆無だった。さらに、古い時代の地図を見ると、なんと私の町の元の村々がそもそも存在していなかったかのように、地名そのものが書かれていない。
この辺り、何となくイスラエルユダヤ側の地図とパレスチナ・アラブ側の地図の違いを彷彿とさせ、地域差というより、住民の伝統意識の位相を興味深く感じた次第である。
但し、講演や特別展示などのテーマに沿った冊子を見ると、確かに我が町の歴史的な建物の調査記述が含まれている。二冊買い求めたが、同じ対象物であっても、我が町とは異なった角度からの書き方であり、ある意味では、より詳細かつ学術的な記述であったようにも思われる。
考えてみれば、私の住む町は、暮らしの利便性や恵まれた自然環境は高く評価されているものの(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20070902)、何かにつけて「継子扱い」で、地理は大阪府下なのに、電話局は京都番号であり、保健所は一つ置いた隣の市が管轄なのに、選挙区は隣の市と一緒にされている。複雑と言えばそうなのだが、選挙の度毎に合併の当否が話題には上るものの、特に名水の質低下を嫌う住民意識が反対して、常に孤高を保っている。
また、戦前戦時中には地元由来の中世の人物が戦意高揚のために利用され、町から召集された兵隊が遺訓を受けた過去の反動からか、戦後はベットタウンとして新たに再出発すべく、長らく撤去されたり無視されたり、全く別の意図に開発利用されてきた場所もあるようだ。
それに、政治面では、選挙結果を見ても、どうも草の根市民派の「今ここ」志向が強いようで(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20160715)、子育て支援介護施設の整備、バリアフリー等、目の前の機能性や利便性ばかりが政策に上げられている。この先何十年も、何百年も子孫が住み続けるのだという明確な町意識や歴史観に欠けるきらいがあるようだ。
だが、ここ十数年、当時を直接知る世代がいなくなったことと、若い世代への記憶伝承の目的もあって、少しずつ、歴史的なお宝が装い新たに紹介されるようになってきた。本当はもっと、素朴で貴重な埋もれたお宝があるはずなのだ。今後に期待したい。

ところで、二十年前には、「新居」を定めるべく、夏頃から主人と二人で、総計十箇所ぐらいの地域を電車を乗り継いで見て回った。主人の勤務先の不動産から紹介された家も含めて、滋賀県大阪府奈良県近くや京都府等、あちこち見てみたが、それによって(1)主人の慎重かつ信頼できる人となりとリーダーシップ性が理解できた(2)二人の好みの類似性が確認できた(3)私にとっては地理感覚や地名を覚えることができた(4)良い住居の基準を見定めることができた、と思う。(例えば、今住んでいるところより月5万円は高い家賃の新しいコーポでも、レッキとした都市部なのに、追い焚き機能のないお風呂もあることを知ったのは、この時である。最初の頃、私は「続けてお風呂に入ればいいじゃない」と後先を考えずに言っていたが、冬場は持たないことに、後になってすぐに気がついた。また、職場が頭脳労働だったので、いざとなった時にはタクシーで帰れる距離で、しかもほっとくつろげる自然環境の豊かな地域に居住することが、長い目で見るといかに健康上、心理的精神的に役立つかも実感した。)

でも、隣町の見学はパスだった。というのは、主人に言わせると「歴史的には有名な場所だけど、何だか雰囲気が暗いよね」ということで、確かに人身事故の多い駅でもあることから、妥当な判断だったかと思われる。そういえば、我が町にも高層マンションが増えて、この頃では、主人の勤務先の若い同僚が家族と移り住むようになってきたらしい。

(3)講演と世相

話題を講演に戻すと、集まった方々は40名ほどで、高齢者が中心だったが、我が町からも三名ほど参加しており、受付の名簿によれば、堺市や東京の港区から来られていた方もいらした。
碁盤の目のような堺市における以前の発掘調査を元にしたご講演で、非常に熱心で丁寧だったので、結局のところ、1時半から5時の閉館まで、たっぷりと講演や解説を学芸課の先生や資料館の館長から伺うことになった。
こういう話は、大学生等も参加して聞けばいいのに、と思う。というのは、発掘調査は昨今では財政難で行われなくなったからである。1990年代までは開発プロジェクトも多く、発掘のための人材も資金もあったが、この頃では、当時の調査結果を資料として、他の文献資料と突き合わせて、新たな解釈の可能性の有無を模索している状態だという。
この1990年前後のエネルギーとロマンに満ちた調査の様子は、二年前に和泉の弥生文化博物館に行った時(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20151208)、館内で見たビデオでも感じられた。今より遥かに礼儀正しく、しっかりして元気そうな大学生達が出演して、古代の農業の様子を実演して見せたりするなど、発掘作業そのものが実に楽しそうだったのだ。そのビデオ制作年から相当経っているのに、まだ当時の古いビデオを展示しているということが、その後の全てを物語っている。

ところで、隣町でも、府境を超えると雰囲気が違う。JRの駅ができるまでは乗り換えのためによく利用していた駅だった上、十数年前にはスーツケースを引っ張って歩いて利用したこともあったぐらいだが、今から考えると、時間の使い方が全く信じられない。府立図書館でも(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20071003)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20170923)クリニックでもそうだったが(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20080827)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20171005)、三十代の頃は、まだインターネット情報が今ほどではなかったためもあって、平気で電車に乗って遠方まで出かけて行った。都市部こそが先進的で高度で洗練されているという思い込みがあったために、暮らしには自然が豊かで名水が湧き出る地が良くとも、仕事や勉強や受診には、時間や交通費をものともせず、発展した都市部へ自分が動くのは当然だと思っていた。
今では、そんな時間の余裕はない。それに「地域医療に貢献する」という流れに沿った良いクリニックが町内にもできて、便利になった。図書館もインターネット検索が発達して相互貸借制度ができたことにより、ご近所で専門的な本を借りることが可能になって、時間短縮には大いに貢献している。

3. 健康に関する一般啓蒙

地域医療といえば、その翌日の日曜日の午後は、大阪の府民健康フォーラムに出席してきた。先月に町内のかかりつけ薬局へ行った時に、置いてあったチラシを見て、ファクスで申し込んでおいたものである。先着330名までとのことだったが、梅田の新しい高層ビルが会場で、目算で200名ぐらいは出席していただろうか。漢方薬剤師、管理栄養士、検査技師、医師も一堂に会した大きな会合で、これまた無料であったが、パワーポイントが充実しており、冊子も配布された。
栄養学については、学校で習っていたことや、新聞雑誌の記事である程度は把握しているつもりだが、やはり、聞いてみると医療介護の現場は、とにかく大変らしい。従って、会場まで足を運べる人を対象に、将来を見越して一般に広く啓蒙するという意図のようである。
先頃の「目の勉強会」でもそうだったが(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20170908)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20171006)、この種の健康啓蒙講座を、無料で広く一般向けに10回以上、毎年継続するということは、並大抵のことではなさそうである。
何よりも、先進国の中で日本だけが断トツに人口変動が著しく、少子高齢化の速度が予想以上に早いことと、それに伴う医療費の高騰による財政圧迫が後押ししている危機感がある。
外科医の先生のお話では、「このフォーラムを始めた2004年当時、人口問題について学者達は騒いでいたが、政府の対応が非常に遅れていた」とのことである。(もしそうであるとすれば、「学者は左翼」だからと馬鹿にする昨今の風潮も、これまた危険であろう。)
若い世代が将来、財政的にも人的にも大きな支援負担を担うことになる切迫感を、冒頭にグラフで具体的に示されていた。単に「これこれを食べれば長生きできる」「アンチエイジング効果がある」という自己満足的な視点ではないのだ。
考えてみれば、私の祖母や親などは昭和時代に「歳を取ったら少食でいい」「病気になるのは不摂生だからだ」「薬は極力飲むな」「自然治癒力に任せよ」ということをよく口にしていた。薬漬けの医者不信から「精神力で治せ」という根性論以上に、「保険証を使うと勤務評定に差し障りがあるから、あまり病院へ行くな」とも言われた。低栄養という意識は全くなく、飽食の時代には倹約生活の実践が先進的だと思って「年齢に応じて贅沢を慎み、食を控えよ」という言い分だった。
ところが、今の考えでは、予防医学が重視されており、早期発見と早期治療が医療費の軽減につながるという。また、訪問介護に行くと、あまりにも昔の偏った考えで栄養まで偏っており、合併症が増えて大変なことになっているらしい。
「しっかりと動物性タンパク質を摂ってください」「筋肉が痩せると免疫力も低下します」と強調されていた。
しかし、しばらく前までは「飽食の時代」「粗食の勧め」「清貧」が強調されていたのではなかったか?
かの『朝日新聞』には、かつて、家賃と食費と光熱費込で一ヶ月数万円で暮らしているという男性ライターが写真実演付きで紹介されており、「少食にすると頭が冴えて、創造力も高まる」という変な記事だったことを覚えている。それを鵜呑みにしてしまった人々は、今いずこ?

4. 町内のクリニックのお話

最後に小話を。
ここ一ヶ月ほど、お風呂上がりの耳の掃除のし過ぎで左耳が痛痒かったので、昨日のお昼前、久しぶりに町内の耳鼻科へ自転車で行ってきた。
ちょうど二十年前の今頃、外耳炎で結婚前後にしばらくお世話になっていたクリニックだが(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20171107)、院長先生は同じでも、十数年前に場所が移転。今や住宅街の広大な敷地に手術室まで備えた大型施設に転換しており、花粉症のおかげもあって相当に繁盛していたのだろうと、時の流れをしみじみと感じた。
先生は私が小学生だった時に京大医学部を出られ、国費でフランス留学を経て、医学博士号も取得されている。二十年前にもご経歴に何となく触れており、明るく親切で人当たり抜群の先生は、新しく移り住むことになった我が町の好印象に最初から貢献されていたと思う。
その後は、花粉症も治まってしまったので(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20130315)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20160330)、長らくご無沙汰だったが、今回、上述のフォーラムの件も併せて、帰宅後、いただいた各種パンフレットやメモを整理しながら、いろいろと考えさせられた。
先生の評判はとても良くて、去年から今年にかけての「日本の名医」の一人に選ばれているようだ。手術件数も多く、近隣の他府県からも受診されているらしい。息子さんと娘さんも耳鼻科医とのことで、先生が三年前に受けた腹部手術で休診の間は、遠方から駆けつけて代診されたとも、新聞の広報記事に書かれていた。
単に腕の良いお医者さんというのみならず、患者応対が上手で、商売上のやり手でもいらっしゃるのだろうと思った。耳鼻科は風邪も担当するので、とかく患者で待合室が混み合っているのが常だが、忙しい現代人に合わせて、インターネットやスマホで予約を取れるアプリを導入されていた。
我が町には関西医大の出身のお医者さんが目立つが、他にも京大医学部や京都府立医科大学等、国公立の大学出身の先生もいらっしゃる。勿論、医学教育は一律に基準が定められており、医師会や学会の研修もあるので、出身校によって治療効果に差異が出るとも思えないが、やはり開業医になってからは、総合的な実力次第ではないだろうかと想像する。
若い頃から医療費ゼロを理想としてきたので(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20170831)、お医者さんのことはあまりよく知らなかったが、年齢を経るにつれ、世相の変化に応じた意識改革を予防的に心掛けなければいけないのだろうと反省した。