ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

物想う秋に

三連休も終わり、秋が深まってきた。
20年前の今頃は、結婚準備のために一人で走り回っていた(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20081116)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20091116)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20101116)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20121109)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20141116)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20161109)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20161116)。
家に式場関係者からの連絡が郵便で届いても、いつの間にか隠されてしまっていたし、荷物を運ぶにも、家の中は嵐のような完全無視のような寒々とした雰囲気だった。
とにかく、家財道具を整理して、自分で電話帳を見て頼んだアリさんマークの引越し屋さんのお兄さん二人に来てもらい、名古屋近郊から、関西の今住んでいる敷地の(前の)住居まで運んでもらった。私は身の回りのものだけを鞄に詰めて、新幹線に乗った。
自分でダンボール箱に詰めたものも多かったが、とにかく、理由も不明瞭なままに「結婚式をめちゃくちゃにしてやる!」みたいな騒ぎだったので、予定を一つ一つ前へ確実に進めていくことだけを考えていた。
「自分の人生だから、自分で考えろ。お父さんは反対はしない」と言ってくれた父一人のみ、私の荷物が一通り運び出された後で、箒と塵取で畳の部屋を黙って掃除していた。その姿を、今もはっきりと思い出す。
そして、主人と二人で大阪の老舗の家具店で選んだ洋服ダンスと食器棚のセットを、私のみ一足先に入った「新居」へ運び込んだのだった。家具専門の運送屋さんが「お日取りはよろしかったですか?」と心配しながら、きちんと二部屋に地震の留め具付きで入れてくださったが、慶事のための日取りを考慮していたら、何事も進まない状態だった。
今日は白でも明日は黒になるかもしれないという切羽詰まった心境だったので、できることをできる間に進めるという段取りだった。
あの頃、私は布団もなかった。まだ部屋の中は暖かかったのと、自分の意識がキリキリしていたために、気温にも気づかなかったのだ。
主人が電話で「夜はどうやって寝るの?」と聞いてくれた時、今でもはっきり覚えているが「大丈夫。服を着たまま、バスタオルをかけて畳の部屋で寝るから」と答えた私だった。
「え?それじゃ、風邪引くよ。これから結婚式があるんだよ」と驚いた主人が、早速、夏と冬の羽毛布団セットを自分用とお揃いで注文して、先に入居した私の所へ届ける段取りを取ってくれた。
今なら私でもさすがに、布団なしで寝るなんて風邪を引くことぐらいは想像がつくが、あの頃は、難癖をつけられてお金は取り上げられる、「家から出て行け」と言われる、気がついたらドアの鍵がかけられて中に入れない等、ほぼ半日常茶飯事だったので、自分さえ気にしなければ何とでもなるという心づもりでいた。
だが、実は当時、緊張と多忙と不摂生がたたっていたのか、外耳炎と結膜炎のため、早速、新たな町の医院に通い始めていたのだった(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20170306)。保険証もなく、「あと○○日で結婚するんです」と受付で申し出て、保険証ができてから治療費を引いてもらう段取りをつけたほどだった。
20年前は、まだ若かったので、無理がきくと思い込んでいたのだろう。
本当に、ここまでの道のりは、振り返ればさまざまな感慨が折り重なっている。でも、何とかここまで来ることができたのは幸いだった。
5日の午前中には、ある試験を大阪市内で受けた。あまり勉強らしい勉強ができなかったのだが、何と人生初の「楽勝感覚」を経験した。
小学校から大学院までの定期試験や単位取得のための試験と各種の資格目的で、数多くのテストや試験を受けてきたが、いつでも終了時間ギリギリまで粘って、何度も答えを見直したりして、持ち時間を最大限活用するのが私の流儀だった。
大学になると、解答を書き終えたら部屋から出てもよいという指示が出るようになったが、それでも私は一度も途中で退出したことはなかった。
ところが、今回初めて、答えがあまりにもスイスイと出てきたので、試験開始後30分で挙手して、他の10名ぐらいと一緒に教室外へ出た。そして、そのまま電車で京都へ向かったのである。
9月の「信長検定」の方が、遥かに難しかった(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20170729)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20170926)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20171002)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20171027)。というのは、記述式と選択式の両方があり、問いも岐阜に特化した出題だったからである。
この年齢になってもまだ、試験を受ける習慣が抜け切れない。馬鹿だ、ゴミみたいな存在だ(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20171103)、と周囲から言われ続けてきたので、常に人様は自分より何事も優位にあり、自分は教えを受ける立場だと思ってきた。その心的傾向のために、あれこれと本を読み、講演で専門家の話を聴くことが苦にならず、博物館や美術館の展示を虚心坦懐に眺めることが好きだった。
その延長線上に、今でも試験を受け続けている。人から試され、自分の能力の限界を実感しつつ、常に少しでも向上あるいは人並みレベルを目指して努力を続けることは、世の中で受け入れられるためにも、当然の行為だと認識している。
その日の午後は、京都駅に近いからという理由で、長らく後回しにしていた東寺へ行ってみた。秋の特別展示で100円引きということが理由だった。他にも東本願寺http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20161208)や明治天皇御陵へも行く心づもりだったのに、1時から五重塔を含めた三ヶ所をじっくりと見ていたら、4時15分までかかってしまった。
五重塔は外観が素晴らしく、建築様式も見事なのだが、実は内部に鈍い黄金色の仏像が何体も四方に向けて並べられており、柱も色彩豊かな仏画が描かれていることを、この歳になって初めて知った。
京都駅の一角には、お抹茶や寺社や駅周辺のお店などの凝ったポスターやチラシや冊子がたくさん並べられている。興味関心に沿って一部ずつ取っていたら、鞄がとても重くなってしまった。製本された本以上に、紙は重い。
「信長検定」の出題の一部が、岐阜公園内の標識やチラシや駅に並べられていた冊子の文章と重複しているのを知ったので、それをヒントに、京都についても自己流ガイドブックを作ろうという算段である。ファイルに綴じたり、切り取ってノートに貼り付けたりして、立派な「京都検定」参考書ができるというわけである。
虐げられているように見えながら、充実した一人時間を楽しむ術が、私には自然と備わっているようである。
PS:今振り返ると、もしあのまま疲労困憊して結婚を止めてしまっていたら、この20年間はなかったことになるが、想像するだに恐ろしい。娘が必死に勉強して職に就いて働いて得たお金を取り上げて、「家から出て行け!」なんて、どのように暮らしていけばよかったのだろうか。私の場合、まだ勉強していたから良かった。読書好きで、物事を裏からひっくり返して考える癖がついていたから慎重にもなれた。だが、一歩間違ったら、身を落とすことになりかねない。
結婚制度は社会の安定のために必要である。新聞雑誌やテレビのいい加減な報道で、夫を見下げたり、男を馬鹿にしたり、医者や弁護士や学者こそがエリート花形職業だと吹聴する無責任な風潮が蔓延していたが、きちんとお勤めしていて、金銭感覚が一致していて、女性問題やお酒の問題がなくて、言動が信頼できそうな男性ならば、「結婚しよう」と言ってくれた段階で、私にとっては、あれこれ選んでいる暇も余裕もなかった。それで正解だったと今でも思う。
これは、小中学校の頃、身につけた知恵の延長でもあった。例えば、相互学習や遠足や給食のために、自由に「好きな子グループ」を作るよう指示された時、(あの子は嫌い)(あのグループに入りたい)等と選り好みするのではなく、「一緒のグループになろうよ」と声を掛けてくれた子とさっさと組むようにしていた。成長期だったので、いろいろな子の間で揉まれるのが将来のための訓練になるとも、自分に言い聞かせていた。そして、宿題のノートを見せてあげたり、出来る限り、仲良くするように心掛けていた。
二十代から三十代の頃までは、まだ高度経済成長期の残影が意識下にあったことと、体力的に元気だったので、「仕事を持っていれば、無理に結婚しなくても、一人で生きていける」と囁くような風潮に乗せられがちである。だが、私の場合、海外で一人暮らしを先に経験したので、単独の生活がいかにきついかを身に沁みて感じていた。物事の判断にせよ、世間の中での扱われ方にせよ、お金の使い方の幅にせよ、結婚制度の枠組みによって与えられる安心感や安定感は、他の何事にも代え難い。

《参考記事》

https://news.careerconnection.jp/?p=26922


・35〜44歳の独身女性の労働者数は2015年時点で190万人。そのうち非正規は79万人、41%を占め、2005年と比較すると14ポイントも増えている。
・結婚しない女性が全体的に増えたことや、女性事務職が派遣などの非正規に置き換わってキャリア形成がうまくできなかったことをあげる。IT技術の普及の影響もあったことだろう。
・35〜44歳の独身非正規女性の7割近くが年収250万円以下。回答者からは「20代は正社員だったがリストラ。ずっと非正規で貯金もない」「両親に介護が必要になったり自分が病気になったら破綻する」といった危機感を訴える声があがる。
内閣府経済社会総合研究所の意識調査(2015)によれば、非正規の女性は正規に比べ、結婚意欲が低いのだ。
・「同一賃金同一労働」の方針を掲げているが、中身は「非正規労働者の賃金を正社員の8割程度に引き上げる」というもの。

(抜粋引用終)